時の宇宙
ありとあらゆる瞬間に
あなたは死と再生を繰り返す。
預言者も言った通り、「この世はほんの一瞬に過ぎない」。
われらの思考は御方により、
御方の宙へ向かって放たれた矢。
どうして宙にとどまり続けていられようか?
どうして御方の許へと戻されずにいられようか?
ありとあらゆる瞬間に、世界は新たに創造される。
われらは、永久に繰り返されるこの変化を知らない。
生命の水が刻一刻、新たに注ぎ込まれれば、
肉体は河のように、連続する流れの痕跡を残す。
火花を素早く回転させれば、一筋につながる光の線に見える。
時も、時の経過も、絶え間なき神の御業のもたらす不思議の現われ。
巧みに回転させた松明の火が、ひとつの環に見えるかのように。
『精神的マスナヴィー』1-1142.
旋火輪
旋火輪(せんかりん)は仏教およびインド哲学の術語。サンスクリット語アラータチャクラaltacakraの訳で、火のついた木片を勢いよく回すときに見える火の輪をいう。
刹那生滅
この詩でルーミーの言っているのは仏教でいう「刹那生滅」のことです。
すべての事柄は瞬間的に生起して消滅する。 そして次の瞬間に同じ構成要素によって新たな因果関係が結ばれて、また生起し消滅する、そしてそれが連続すると考える。私たちには持続して存在していると見えるものも、実はこのような瞬間、瞬間の存在が連続して積み重なったものなのである。ー このような考え方を、刹那生滅といいます。
この刹那生滅に関して道元禅師は次のように言っています。
「おおよそ人が指を一度パチンと弾く間には65の刹那があって身体も意識もすべて常に生滅しているのだが、凡夫はかつてそれを自覚せず知らないままです。
一日一夜のあいだには、
64億9万9千9百8十の刹那があって、身体や意識はすべてその刹那に生滅しています。しかしながら、凡夫はそれを知ることはないのです。知らないがゆえに菩提心を起こさないのです。
仏法をしらず、仏法を信ぜざるものは、刹那の生滅がどのような道理なのか信じないのです。
もし釈迦如来の仏法の正しい教えをあきらかにするには、かならずこの刹那生滅の道理を信じなければならないのです。」
正法眼蔵「発菩提心」