神化
蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、
部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。
「イスティグラーク」、
すなわち
忘我の境地というのは、
このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。
その者より生じるいかなるものも、全てその原因はその者には属さない。
水に溺れてもがいている者、あがいている者、「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。
『アナー・アル・ハック』
すなわち「われは真理(神)なり」という言は、
この境地を象徴するのにまさしく的を得ている。
人びとは考える。何という暴言、何という傲慢、と。
人びとは考える。
『アナー・アル・アブド』、すなわち「われは神のしもべなり」、という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。
断じて違う。
『アナー・アル・ハック』
「われは真理なり(神なり)」こそが、真の謙譲を表わす言である。
『アナー・アル・アブド』
「われは神のしもべなり」と言うとき、その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。しもべ、などと上辺では卑しみつつも、しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。
『アナー・アル・ハック』
「われは真理なり(神なり)」と言うとき、その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。
これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。
ルーミー詩撰より
あなたは翼を持っている。それを使うことを学び、そして、飛び立ちなさい。
ルーミー
私は空を飛びたかった
ある晩、礼拝が終わり、夜間に定められたコーランの朗誦を終えたのち、私は瞑想にふけっていた。
恍惚におちいったとき、私は次のようなヴィジョンを得た。そびえ立つハーンカーがあった。それは開いており、私はハーンカーの中にいた。
突然私は自分がハーンカーの外にいるのがわかった。宇宙全体がそのあるがままの姿において光からできているのが、私にはわかった。あらゆるものは一色になった。そして全存在物の微粒子は、おのおのの存在に特有の方法で、おのおのに特有の力強さで「アナー・アルハック」(我は真理−神−なり)と宣言した。私は、彼らがいかなる存在によってこのような宣言をさせられたのか、理解できなかった。
このようなヴィジョンを得たのち、陶酔、法悦、強い願望、異常な愉悦感が私を襲った。
私は空に飛び立ちたかった。しかし、何か樹に似たようなものが私の足もとにあり、そのために私は飛び立つことができないのだとわかった。
私は、むやみやたらに地面をけとばしたので、ついに樹を払いのけることができた。
弓から射られた矢のように、いや、それよりも百倍も強く、私は立ち上がり、遠くへ飛んで行った。
第一天に着いたとき、月が二つに裂けるのがわかった。わたしは月を通り抜けた。この「不在」の状態から戻ったとき、私は再び「現存」の状態にいることを知った。
シャムス・アッディーンディン・ラーヒージ(1516年没)
平凡社「スーフィー」p135より