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NZ災害等から見る近年の報道について

2011-03-02 | news column

ニュージーランド地震の被災者インタビューに批判の声も あなたはマスコミの災害報道にどのような感想を持ちますか?




この記事についての意見:




視聴者の知りたいという欲求にこたえること、そこでしか知りえない情報を伝えること、
それは報道の重要な役目であり、災害の際でもそれらが機能することによって、
二次的な人的被害、災害が防止されたり、安否確認で不安を解消することにつながったり、支援の輪が広がったり…
適切に行われれば、良い面が多数あるのがマスコミ報道だと思います。
しかし、それが多角的に心情を慮ることのできない、無神経なもの、
単なる野次馬的下衆な興味を満たすものとしてしか機能しないのであれば、もはや無意味と批難されても仕方がないのであり、
そういったカタチではない災害報道というものを考えていかなければならないと思います。
さまざまな「知りたい」欲求にこたえることは必要だけれど、
何の罪もない被害者、取材対象者を傷つけるような興味本位の取材は見る側にも不愉快です。

実際の救助や復興の邪魔になってしまうような行為はもちろんすべきでありません。
そうなっていないか、つねに注意を払うべきで、分からないことがあれば専門家や実際に携わる方に尋ねたうえで、
適切な取材方法を選ぶべきだと思います
また個別インタビュー等においては、取材を受けた側、その表現を受け取る側、
100%誰も傷つけないということは不可能であるにしても、常識以上にあらゆる人たちの心情に配慮できるだけの力が
報道にはあってしかるべきですし、それもまたプロの力のうちだと思います。

近年、こうした災害報道だけでなく、報道全般において、
その徹底すべきジャーナリズム精神であったり、さまざまな立場の人に対する心情面の配慮であったり、
独自の意見として確立して世の中へ投げ、それに絶対的に責任を負う、、、
大変なことだけれど、それを当たり前にしてこそプロであるということが、まったくもってできていない、
プロ意識の欠如甚だしいといった感を受けます。

その場でウケればいい、
センセーショナル性一番、スピード一番、あとは二の次、
過ぎ去れば知らん顔、
ではあまりにひどすぎます。

見る側の倫理性、知性とも共犯関係にあるのかもしれませんが、本当にここのところの報道のレベル低下には
強い危惧の念を抱かざるをえません。
早く内部からそのことに気づき、むしろ見る側を引きあげていくほどの高い精神性、良識を打ち出していくよう、
報道自身、生まれ変わっていってほしいと願います。



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