cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

表現が伝えるもの。*ピエ・ド・コションの粒マスタード焼き*

2010-07-03 | Weblog
ども、こんばんは。
相変わらずの局地的な雨の降りようが続く梅雨で、九州のほうのかなりな雨量となっている地域が心配ですが…
被害も出ている様子、
お近くの方、また雨の多い地域の方、気をつけられてくださいね。
その一方、ここは蒸し暑いっ
エアコン苦手の私も、さすがに時折使いつつ、過ごしています。

剛君のDVD、いいですね~♪
見まくっています(笑)
特典映像にあらわれる、それぞれの“普段”に近い表情と、LIVEとのギャップもまた
DVDとしての映像の仕上がり感も好きです
そして来週には、また今年の薬師寺LIVEが開催されるんですね。。。
私は参加できないけれど、参加される方はぜひ、また素晴らしい時を分かち合ってきていただきたいと思います

光一君のほうは、明日、SHOCKの7月公演初日ですね☆
内君に代わってどうなっているのかなぁ。
ぴあの連載でちょっとだけ雰囲気をのぞかせていただきましたが、こちらも気になるところ。
暑い時期の公演なので大変だと思いますが、ぜひ光一君も、カンパニーのみなさんも、
無事に千秋楽まで、走りきってくれることを祈っています
パンフもポスターも新しい仕様になっているんですよね。
そして2,3月ステージ分の写真集も発売になるみたいだし…
できれば一度足を運びたいな、、、と検討中です(^_^ゞ

さて、2人それぞれの活動について話したところで。
ちょっとそれとも関わりのあることなのですが、今日、ちょっと自分のなかでひっかかったことについて、
表現のことについて話してみたいと思います。

マイケルの突然の死から、先日一年が過ぎましたが、死後、新たなファン層が広がっていることを伝える記事を目にしました。
そのなかから、なんですが、

これまで(生前)曲も映像も知っていたけれど、変な人、という印象だった。しかし、死後特集する番組、ドキュメント、さまざまな人の語りに触れ、人類愛に満ちた人であったこと、慈善活動などにも積極的で、社会にメッセージを投げていた人であったことを初めて知った。

ま、およそこういったたぐいの意見ですね、
そういった声が多数寄せられているのだとか。
う~~ん…
いや、一見素晴らしい意見のようですよね。
ま、たしかに、こうした再評価が進むこと、死をきっかけに見直しが進むことは悪いことではないと思うんです。
ですが、私が気になったのは、「曲も映像も元々触れていた」には違いない人たちであること。
要するに、そこにある表現そのもの、本人が投げたものは、なにも変わっていやしないのに、180度評価、とらえ方がその人のなかで変化した、ということだと思うんです。
で、そのきっかけがドキュメント等々…いわばガイドというか、まわりのものがそれを解釈し、非常に直接的な形で、これはこういうものなんですよ、と伝えたもの、
…ということですよね。
これって、やっぱり表現に対する姿勢として、
それに触れ、感じる者の態度としては、かなり疑問だと思うんです。
表現者の強いメッセージだったり、本当のその核は、いかに見えにくくても投げたその表現そのもののなかにしかない、
そこにただ絶対的にあるもので、そこから感じ取るもの。
それですべてだと思うんです。
まわりがああだこうだということで、感情的にガラッと変わる、
そうか、これはそういう意味のものだったんだ、と気づく、
それはたしかに解釈の読み取りであり、知識ではあるけれど、
表現者が投げ、あなたが感じ、生まれたもの、震える真実ではないはず。
ただそこに向き合った時になにを感じ、なにを考えるか。
そこがもっと大事にされてほしい。
でなければ、どんどんと表現によるメッセージも皮相なものになっていってしまう、
第3者の言葉での評、分かりやすい感情的表現に流されるばかりでは、こぼれおちるものがたくさんある、
そういうものがたくさんあるからこそ、その表現はその表現として、投げられたそのカタチをとっているのだから…

ちょっと説明が分かりづらくなってしまったでしょうか。
ま、誤解を恐れず、そぎおとしてごくごく簡単に言ってしまうなら、
表現を味わうのに、感じるのに、他人の貼ったレッテルやイメージなんて気にするな、
それを自分の感じたことと混同しないでほしい、
そう思う、という話なんです。

マイケルの話だけではありません。
そこにひとつの表現があれば、なにか伝えたいことがある。
なんだろう?
これはいったい何??
そのものが自分の心を捕まえてきたら、それがなんなのか、すぐには消化できなくても、
自分のなかで訴えがすっと入ってこなくても、
別のところに見えやすい答えを求めようとするのは、やっぱり違う気がする。
理解できないな、響かないな、とその表現がその人にとって、捨てられてしまうものであってもかまわないけれど、
そういうふうにいろいろな間、別の事物が入ってくることは、表現を投げる側にも、受けて感じる側にも、
どちらにとっても不幸なことではないかと、
私は思います。

分かったような言葉で片付けたい、楽に腑に落としたいのが、現代なのかもしれないけれど、
それでは悲しすぎる。。。
表現は、そのものとしては虚であるし、普通の言葉で言いあらわせない、尽くせないものをもっているゆえに分かりづらいともいえる。
だけど、だからこそ見える現実よりも真実をあらわしうるし、ダイレクトに響いたり、先を生み出したりする…

と、私の“表現”に対する意見の表現がすでに分かりづらくて、しかも拙い故に全然響かないかと思いますが
なにかもうちょっと豊かに、自由に感じられるようになれないのかな?と。
これに関しては、まわりの派生物のほうが、実の表現よりも影響力をもってしまった事実を残念に感ずる部分もあって。。。
考えた次第です。

正しい、間違っている、という話ではまったくないですが…
疑問提起、
デス。


今日のレシピです

・ピエ・ド・コションの粒マスタード焼き …①
・イタリアンサラダ アンチョビとオレンジ&ハーブのドレッシング …②
・ソラマメのグリル ペコリーノロマーノと …③

①の作り方
1 豚足は下ゆでされたパックのものを購入する
2 1を炊飯器に入れ、ひたひたまで水を注いで炊飯する
3 炊きあがりまで、もしくは1時間半ほどそのまま加熱したら、取り出す
4 スライスした玉ねぎを耐熱皿に敷き、軽く塩胡椒をしてレンジにかけておく
5 フォンドヴォーとトマトペーストを合わせたものを煮詰め、どろりと濃いソースを作る
6 5に醤油数滴を隠し味に加え、強めに塩を入れる
7 6に粒マスタード、ジンジャーパウダーも加え、混ぜておく
8 4の上に3の豚足を置く
9 7のソースを豚足に塗りつけ、オーブンで表面を焼きあげる
10 軽く焦げ目がつけば出来上がり

※市販のパックされた豚足が若干固そうなので、炊飯器でさらにやわらかくゆでてみました。
 骨のハズレもよくなり、とろける美味しさ♪
 ひたひたに入れた水は、白濁した豚骨スープになります☆

②の作り方
1 レタスと胡瓜は細切りにする
2 刻んだアンチョビ、オレンジピール、オレンジジャム少々、潰したケイパー、乾燥バジル、塩、胡椒、ワインビネガー、オリーブオイルを合わせて、よく撹拌しておく
3 1を合わせて器に盛り、2のドレッシングをかける

③の作り方
1 さやから取り出したソラマメをさっと洗っておく
2 オリーブオイルを熱したフライパンで、1を焦げ目がつくまで焼く
3 塩少々をまぶし、器に盛る
4 粗くくだいたペコリーノロマーノと和えて出来上がり


こちらクリックで応援いただけるとうれしいです

ブログランキング・にほんブログ村へ

ファイブスタイル ブログランキング


それでは。

 





最新の画像もっと見る