今日も明日も元気

おやじの本音を綴ります。

痛みの表現

2020-02-21 05:19:31 | 日記
県病編
初めての入院日記
2020/02/14 痛みの表現


はじめに
本来なら大所高所で会社の進路を見極めながら舵取りを託す後継を育てておかなければいけない事はもちろんよくわかっている。しかし現場での深刻な人手不足、人材不足が原因で廃業となる事は避けたい。この二年近く現場復帰する事で業績悪化は防ぐことができた。このペースで今期は経営安定化ランディングを見据えて5年計画をスタートさせようと思っていた矢先…なぜこのタイミングなのか?自分が撒いた種なので痛い思いをするのは構わない。しかしこの事によって家族、社員に少なからず負担が増す事が辛い。「人間万事塞翁が馬」と言うが今回の入院によって何がもたらされるのか…反省と自戒からふたたび立ち上がるまでを記録していく。
2020/02/14 痛みの表現
 病院らしく規則正しい生活が始まる。朝6時に点灯、病室担当の看護師が夜勤明け交代の挨拶兼ねて問診にくる。その後日勤担当の看護師が挨拶にきて長い1日が始まる。ワンフロアに幾つのベッドがあるのかはわからないが何れにせよ彼ら彼女らは忙しそうだ。俺に対してだけでも看護師が3人、ヘルプの看護師(身体を拭いたり下の世話をしてくれる)が2人が付いている。もちろん他の患者も抱えているし俺の様な新人(中には常連もいるかもしれない)入院患者の対応もしなければならない。また寝たきり状態で他の病室がどの様な状況なのかはわからないが人口統計からして多くの患者は高齢者だと想像がつく。ただでさえ加齢と共に我が儘が増幅している暴走老人が病気や怪我でもしたら…看護師たちのストレスを思うと少なくとも手を焼かせる患者にはなりたく無いなと思う。
 午前と午後に体温、血圧、脈拍数の測定がある。その際聞かれるのが「痛みはどうですか?」という質問。俺の症状は骨盤骨折なのでそこを押さえれば痛いに決まっている。もちろんそんな事を聞いている訳では無いだろうが、漠然といま痛みはどうかと聞かれ「痛い」といえば痛み止めが効いていないとか安静にしている状態が良くないという事だろう。今回に限らず病院で必ず聞かれる「痛みはどうですか?」にどう答えるかいつも悩まされる。男性看護師は胸ポケットから「痛い」表情の顔が5つ描かれた定規を取り出し「痛い時はどれぐらいの痛さですか?」と聞いてきた。受け狙いなのかコミュニケーションツールのつもりなのかわからないが残念ながら俺の心は動かなかった。
ところで…
 いま施設内禁煙が主流となりさらに敷地内禁煙と喫煙者の締め出しが進んでいる。受動喫煙に対する嫌煙者の主張が認められたわけだがそれって公平なのか?

大部屋

2020-02-19 05:41:39 | 日記
県病編
初めての入院日記
2020/02/12 大部屋


はじめに
本来なら大所高所で会社の進路を見極めながら舵取りを託す後継を育てておかなければいけない事はもちろんよくわかっている。しかし現場での深刻な人手不足、人材不足が原因で廃業となる事は避けたい。この二年近く現場復帰する事で業績悪化は防ぐことができた。このペースで今期は経営安定化ランディングを見据えて5年計画をスタートさせようと思っていた矢先…なぜこのタイミングなのか?自分が撒いた種なので痛い思いをするのは構わない。しかしこの事によって家族、社員に少なからず負担が増す事が辛い。「人間万事塞翁が馬」と言うが今回の入院によって何がもたらされるのか…反省と自戒からふたたび立ち上がるまでを記録していく。
2020/02/12 大部屋
 おそらくいつかはそうなるであろうと思っていた入院生活が突然始まった。救急治療室からストレッチャーで手際良くというか手順通りに病室へ運ばれる。そしてそこからは余程の重症患者でもなければ他の患者と同様な入院生活がスタートする。まずは1日のほとんどを過ごす事になる…当分身動きの取れない自分は終日過ごす大部屋での共同生活が始まる。すでに何日か前に入院した先輩患者に対して新米の俺はやはり控え目にしなければならない。もちろん当然向こうも警戒している訳だし不安を増長させるのはお互いにとって好ましくない。だからといってあまり調子に乗らせて営業トークをかけられても面倒くさいのでほどほどの距離を保つ様にする。
 入退院が目まぐるしい総合病院のため患者数とくに性別に応じて部屋割りをコントロールしている様ですでに2回の引越しをした。最初の部屋の患者は糖尿病を患っている様でこれまで数度の手術と入院を繰り返しているとの事だった。今回は以前治療した膝の状況が思わしくない様で再手術のための手術(というのがある事に驚き‼︎)をして入院中だという事だ。もともと違う病院で治療したのだがその主治医がここに移動したという事で、多くの患者にとって病院選びのポイントはやはり腕のいい医師なのだ。
 さすがに先輩患者らしく看護師達もいま彼が何を求めているのか把握されているようで羨ましい。ただ身動き取れない自分にとって相手の行動がカーテン越しに聞こえてくる情報以外に何もない。悩ましかったのが時々聞こえてくる何かを嚙る音…夜の夜中でも「カリカリコリコリ」と何か硬いもの、例えば鳥の軟骨を嚙る様な音が聞こえてくる。場所が場所だけにまさしく骨を嚙っているのか?と思うと眠れなくなってしまう。幸い先輩患者は翌日退院という事で俺は病室移動となった。
 今回の病室には二人の先輩患者がいる。正面のベッドには手足痺れの原因と思われる脊椎ヘルニアの手術治療した患者がリハビリしながら退院を待っている。隣はこれも神経系からくる腕が上がらない症状の先輩患者がすでに数ヶ月入院治療中だという。これからは後輩となる患者が入院してくるので先輩としていい手本(?)になろうと思う。
ところで…
 ウィルス感染症患者受け入れ指定病院となったらしい。いましきりに騒がれているが、完全に保護もしくは隔離する手段が徹底されなければ結果的に感染者を増やす事になる。どうやら発症者の多くは抵抗力の落ちた老人と追われている。まさしく今の俺の状態?

やっちまった

2020-02-17 07:18:45 | 日記
病院編
初めての入院日記
2020/02/06「やっちまった…」


はじめに
本来なら大所高所で会社の進路を見極めながら舵取りを託す後継を育てておかなければいけない事はもちろんよくわかっている。しかし現場での深刻な人手不足、人材不足が原因で廃業となる事は避けたい。この二年近く現場復帰する事で業績悪化は防ぐことができた。このペースで今期は経営安定化ランディングを見据えて5年計画をスタートさせようと思っていた矢先…なぜこのタイミングなのか?自分が撒いた種なので痛い思いをするのは構わない。しかしこの事によって家族、社員に少なからず負担が増す事が辛い。「人間万事塞翁が馬」と言うが今回の入院によって何がもたらされるのか…反省と自戒からふたたび立ち上がるまでを記録していく。
2020/02/06 やっちまった
 長期的なスケジュールを要する修理車を捌くためには関わる者全てと日々のコンタクト、コミニケーションが不可欠だ。入庫予定から希望完成日、見積りと作業指示書、部品発注書と入荷スケジュール、中間検査と追加作業確認そして完成予定日と納期の調整など細かくチェックしていかなければならない。先月もギリギリになったが何とか無事に二台の修理車を納めることができた。誰の目からしても修理はしないだろうと思えた事故車の修理期間に4ヶ月という時間を要してしまった。余程のビンテージカーでもなければ経年とともにその価値は落ちていく。損害保険では修理価格が事故発生時点での車両査定価格を超えるようであればその逸失利益は車両時価価格までしか補填されない。先の事故車はその用途に合わせて改造されていたので通常の査定価格というわけにはいかない。そこで修理価格が高くても復旧させようという事になったのだが思った以上に手間取ってしまった。損害保険会社との協定は難行するだろうが取り敢えずは手が離れ少し安堵していた矢先のこと。
 毎週水曜日に公式予定としてロータリークラブ例会に出席するという事は社内でも認知されきた。その翌朝。いつものように作業着に着替え当日のスケジュールを確認する。今月も長期になりそうな修理車があるが、まずは急ぎの作業を優先する。脚立に登り破損した箇所を取り除き、損傷部を修正するためバールを突っ込み手前に引いた途端…これまで40年近く何度もヒヤリとした事はあったが今回は違った。たかだか2メートルほどの高さを落ちて行く感覚の中で、無意識に随分と長い叫びをあげるととも近づいてくる無骨で冷え切ったコンクリートの床との衝突に備え頭だけは守る。
 もし自分が何らかの事故に会い昏睡状態から覚醒した時、おそらく記憶はここで止まっているに違いない。よく人は死を覚悟した時それまでの人生が走馬灯の様に流れるというがもちろん人生を振り返る事もなく、横たわった自分を心配そうに覗く社員たちの顔が目に映る中、徐々に身体中の信号が脳に異常を知らせてくる。両腕で守られた頭は正常に働いている事に安堵しつつも腰から下に鈍痛が走る。少し足先を動かしてみると意思通りに動くし感覚もある。これは思うよりも大した事はないかもしれないと自分を励ます。もう少し若ければ出来栄えは別にして見事な受け身か着地をしていたかもしれないと思いつつ自分で姿勢を変えてみる。どうも左の腰あたりから地面に落ちたようで動かすと激痛が走る。右足は問題なさそうなので立ち上がろうとしたが左足に全く力が入らない。やはりどこかが骨折しているようだと思い友人の外科病院まで妻に運んで貰い診察を受ける。「腰の骨が見事に折れている。ウチじゃ手に負えないので県立病院に紹介状を書くので転院してくれ」
 転院は人生初の救急車となった。ここで初めて何とも大げさなことになってしまった事を後悔し始める。救急治療室にストレッチャーで運び込まれ上着をハサミで切り剥がれ再度レントゲンと造影剤を使ったMRI検査を行う。心配された動脈の損傷はなく骨折もズレなどないという事で自然治癒力に任せてしばらく入院することとなる。看護師によると腰には多くの動脈が集まっているため緊急手術となることが多いという。その30歳の男性看護師は私に「お父さん、運がいいよ」と励ます、いや慰めたのかな?尿管に管を通され最低でも2週間の入院生活を送ることとなる。
ところで…
 ベッドが空いていないということで仮に入った病棟の看護師とこの階の看護師とのギャップは何なんだ?

手紙

2018-12-27 18:56:36 | 日記
もうすぐ母の三回忌を迎える。

月命日ではないが毎月末に墓参りを行ってきた。
生きているうちに月に一度でも顔を出せば良かったと後悔しながら手を合わせる。
それは感謝というより親不孝であった自分を許してほしいという我が儘に違いないが…

法事を前に実家の遺品を片付けていた弟から一通の手紙を受け取った。
「これは兄貴が持っていたほうがいいと思う」
それは二十代半ばの自分が母に送った手紙だった。

大学を卒業し家業を継ぐことになった自分が家を飛び出し遠く離れた地で書いた記憶がよみがえる。
何一つもわかっていなかった自分が「自由」に憧れて知らぬ土地で暮らすことを決意したと書いている。
なぜそのような手紙を送ったのか?そこまで強い決心をして生まれ変わろうとした自分であったのか?

思い出せば恥ずかしくなるほど為体な毎日を送っていた。
「生きる」すべも知らず世間も知らず金と時間を浪費していた。
やがて恐怖と後悔の念を払うため泥酔するまで酒を煽った。

そんな自分を肯定しながら理解してほしいという甘えからこの手紙を母に送った。
それから数日後、居場所を知った弟が蔑みの眼を向けながら母からの言葉を伝えに来た。
『祖母の死期が近そうだ。お前に会いたがっている』

『会いたがっている』…それは『帰ってこい、帰ってきてほしい』という許しの言葉に聞こえた。
独りでは結局なにも出来ない未熟さを嫌というほど知らされた自分にとって救いの言葉だった。
決意を告げたつもりが、本当は救いをもとめる手紙であった。

顔を合わせるのが怖くて母が帰宅する前に自分の部屋へ駆け込んだ。
『帰ってきたの?』少し安堵の声色で呼びかけてきた母。
殴りつけたい気持ちを抑えて普段通りに接した母。

忘れてしまったがきっと我が儘な自分を許してほしいと言ったに違いない。
しかしそれから何度、その母の気持ちを裏切ってしまっただろう。
何事もなかったように幸せを振舞っていた母はこの手紙を何度読み返しただろう。

六十を過ぎこれからの生き様を思い描く時、この手紙のことを忘れてはいけないと思う今…

スバル

2018-10-25 05:30:34 | 日記
酷い夢だった。
自分の思い通りにならず不貞腐れて喚き散らす父。一旦火がついたら収まらない父の怒りに、普段ならば腫れ物に触らぬように黙り込む妻や恐怖から涙を溜める娘たちが反撃してきた。娘たちは冷やかに無視して離れて行き、妻は夫の愚行を二度と取り返しが効かない罪を犯したと鬼のような形相で断罪した…途方もなくゴツゴツとした道を歩く苦しみから逃れるように目が覚めた。
いつもと変わらぬ布団の温もりに安堵しながら何が夢を招いたのか考えた。深酒したわけでもなく極端に疲れたわけでもない。常から頭を悩ます仕事のことも大きな問題(すなくとも)を抱えているわけでもない。
強いて言うならば大親友の死かもしれない。三十年近い親交があった五歳年上の友が癌との闘病の末、先週急逝した。末期癌の痛みから解放させるために緩和治療が行われることが多いが、そこまで進行しているとは知らなかった私(多くの人がそうであった)は最近まで電話を通じて仕事の話をしていた。友はいつもと変わらず冗談を交えながらいつもと変わらぬ柔らかい声で会話した。早朝に親友の妻から一言「死んだ」と告げられ急いで友のもとへ駆けつけた。その顔は長かった治療の辛さを全く感じさせなずとても穏やかだった。
いつものことだが知人の葬儀の間、自分の死に様を考える。多くの人が死を悼み哀しむ故人の人樣を自分は持ち合わせているのだろうか?遺族となる妻や娘たちは果たして号泣することがあるのだろうか?介護に疲れ果ててその苦しみから解放される安堵で死を喜んでいるのではないか?不謹慎ではあるがいつもそのような事を考えてしまう。
弔辞を頼まれた親友の告別式当日、早朝の星空にスバルを見つけた。友が好きだった谷村の曲が葬儀の式前に流れていた。きっとこのスバルの光があの悪夢を招いたのかもしれない。