今日も明日も元気

おやじの本音を綴ります。

人それぞれのものさし

2013-10-30 20:04:26 | ブログ

Dcim0543
先日の講演会参加者にアンケートを書いてもらった。

講師は著名な僧侶で、内容も仏教というよりもブッダの教えを解かりやすく説いたもので多くの参加者から感謝や賛同のメッセージを戴いた。

主催者側としては本当にうれしい限り・・・
本当にありがとうございました。感謝いたします。

『印象に残った言葉は?』

「よっぽどのご縁」
「身心安楽」
「人それぞれのものさし(価値観)」

などなどの言葉が返ってきた。

以前の記事にも書いたことがあるが、立場立場でモノの見方や解釈が変わるのは当然であるし、それを否定して同一色に染めてしまうことはどれだけ恐ろしく悲しいことか・・・人間として生きることの存在、価値観を否定してしまうということは半ば死んでいる、いや殺されるということに等しいと思う。

隣国は相も変わらず戦争責任を云々という政治的スローガンで自国民のフラストレーションを日本に向けさせようとしているが、その日本も敗戦国として多くの自国民を犠牲にしたということを彼らも認めなければ話は前には進まないだろう。

クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で話題となった栗林忠道陸軍大将についての本やドキュメンタリーはたくさんあるが、2006年大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した梯久美子著の「散るぞ悲しき」について少し語る。

米軍は圧倒的な兵力をもって硫黄島上陸作戦は5日間で終わるだろう予測していたが、水も食料も弾薬すら枯渇した日本兵の決死な応戦にあい制圧に36日間も要した激戦となった。

なぜ?

地獄のような戦場で大将自ら陣頭指揮を振って米軍の進撃を食い止めようとした・・・いや引き延ばしていた。もし、硫黄島が落ちればやがて日本本土に大型の爆撃機が襲い掛かり、多くの国民、民間人、家族が命を落とすことになる。

彼は憔悴しきった部下たちに決して自決は認めず、最後の最後までゲリラ抗戦することを命じた。そうしてその悲惨な戦況を本土の安全なところで指揮する大本営に知らせ、一刻も早く休戦・・・いや、始めから勝ち目のないと判り切った暴挙を止めることを望んでいた。

彼は世界を知っていた。とくにアメリカ政府とは親しくしていた。多くの友人もいた。アメリカ人の気質もパワーも知っていた。

「絶対に日本はアメリカには勝てない」

戦争末期に硫黄島の配属となった時に彼は死を覚悟する。しかし決して無駄死にはしないと誓う。民間人は全て島から脱出させ、自らの死に場所となる舞台作りに2万人の兵隊を指揮する。

彼等は戦争を止めさせるために死闘を繰り広げた。早く愚かな行為に終止符を打たせるためにアメリカ兵を恐怖に陥れた。

しかし残念ながら硫黄島玉砕ののち東京大空襲で多くの命を失い、沖縄では民間人を巻き込んだ戦いが繰り広げられ、そして広島と長崎の原爆投下でやっと狂気の時代が終わる。

私達は硫黄島で亡くなった兵隊たちに感謝しなければいけないと思う。彼らが安らかに眠ることを祈らなければならないと思う。二度と悲惨な戦争を起こさないために・・・

ところで写真は熊本で創業から470年続く森からし蓮根17代目女将から頂いた『感謝』の手紙。悲しい時代を逞しく生き延びて伝統を引き継いだ彼等にも畏敬の念を懐く。


大分の文化施設事情

2013-10-29 19:17:31 | ブログ


満を持して完成した市民ホールでイベントを行った。

オシャレな館内を歩くと気持ち的にはアカデミックになれるが機能としてはどうなのだろう?

初めて来たばかりでイロイロ言えた柄ではないが、驚愕の声を上げるほどの感動は覚えなかったのも事実だ。城址公園内の文化会館が老朽化のため取り壊されるのと引き換えに建てられたこのホールのシートは決してイベントには向いていない。

もし前席に背の高い男性が座り、その後ろに女性や子供が座ったら・・・残念ながらステージで繰り広げられるパフォーマンスを観ることは諦めるしかない。おそらく高齢者向けに勾配を少なく段差のないフロアを設計したのだろう。講演会ならばそれでもいいが、それでもやはりステージは観たくなるでしょ?

『それでは上の階にでも上がるか』と階段を登り始めたら、これまた不親切なほど長い。確かにエレベーターが2基備えられているが、初めて来た者は自然と階段を登り始める。しかし、まさか踊り場が4つもあるとは予測できるはずもなく、半ばほどで後悔と諦めを交錯させながら階段を登らなければならない。

横に2列配列されたシート内を移動するには手刀切りながら横歩きしなければならない。エコバッグとパラソルにセカンドバッグをもったオバサマが横切りだしたら、思わず露骨に嫌な顔をして見せて膝を抱えなければならない。1200名収容のこの大ホールがおそらく満員になった時には、脱出するにも身動きが取れない閉塞感とフラストレーションが渦巻くだろうと思う。

ところで大分市内にはこのような文化施設が少ない様に思うがどうなのだろう?

高い会場費を払ってホテルでも借りるだけの予算が取れればいいが、1000人を超える人を呼べるだけの施設となると限定されてくる。

何かの記事で大分は文教環境が整っているようなことが書かれていたが本当かい?


オリンピックファンファーレ

2013-10-23 18:40:37 | ブログ

Dcim0379

このところ我が家の早起き鳥は長女だ。

親子トモドモ訳も分からず振り回された高校一年生から随分と成長したと思う。

反抗期か、幼さからかムスメのココロ無い言葉や態度にカチンカチンきていたワタシも少し余裕ができたのかもしれないが、高校生活をエンジョイしているようすに安堵している。

その彼女にとってその大半を占めているのは部活動だが、それも文句言わず一生懸命励んでいる。残念ながら全国きっぷは逃したが厳しい指導と猛烈な練習に耐えて少しずつ上達していく姿には感動させられた。

そしていまでは子供たちに負けじとママトモたちも連携取りながら練習会場手配や演奏衣装作りに励んでいる。

それにしても、もともと黙っていられない性質で年齢的にも何かと仕切るタイプの妻だが高校の部活ともなると強者揃いで、それはそれで楽しんでいるようだ。

吹奏楽というと文科系におもえるが、マーチングはどう見ても体育会系でその点でおそらく水が合うのだろう・・・ノリが違う。

まあ進学や将来の就職に少しでも役立つものをということで薦めた吹奏楽部だが、今のところその過程にあってその先のことなんて考えてる暇などなさそうだ。

いや待てよ?どうもその延長線上にある学校に進学するつもりなのではないだろうな?

もうすぐ11月、あっという間の2013年。7年後の国立競技場でオリンピックファンファーレを演奏するにはちょっと年齢が合わないかもな・・・


ホワイトアルバム

2013-10-22 19:25:12 | ブログ

好きな音楽を聴きながらやがて日付が変わろうとしている。

〝もうすぐ時計の針は12時を回ろうとしています。今日と明日が出会う時、クロスオーバーイレブン・・・〝

学生時代、ラジオから流れるエンディングロールは心地よいというよりも虚しさをおぼえた。

「次の式が収束することを証明せよ」
数学ゼミの偏屈教授から出された問題に苦しんだ日々を思い出す。

「二つの条件を満たす曲線は二次式以上となることから・・・」

根本的な理屈が理解できていないことを見抜かれ解答を突っ返されること半年。数か月は図書館で答えを求めたり、同級生や他の教授に助けを求めたりと努力をしていたが、やがてその気力も失せ教室から足が遠のいてしまった。

とても苦い思い出。あの失われた6か月でワタシの人生は大きく分岐した。

「もしもあの時・・・それは幸なのか不幸なのか?」

どちらかといえば団塊の世代の手下としてバブルを築き上げてきたワタシタチ。オイルショックやインフレに苦しみながら「夢(バブル)」に向かって我武者羅に走り続けた。

生き延びるためには闘わなければならない。
勝ち取るためには相手以上に努力しなければ失う。
名誉や名声なんて言うものは後から付いて来るもの、そのために少しでも有利なポジションに付かなければ・・・

そしていま半沢直樹からコテンパンにやっつけられているのはワタシタチの世代なのか?しかし残念ながら副頭取や専務などの大物ではない。出世と窓際の岐路に立たされた悲しい戦士だ。

「世のため、人のため」なんていうお人好しでは出世できないという刹那的思想の元、私利私欲を肥やした上司を扱き下ろす半沢次長にロスジェネ達は胸を撫で下ろす。

そういう意味ではあの時右(いや左?)に曲がったワタシは幸せ者だ・・・と夜中にほくそ笑みながらビートルズに酔う。


沈む夕陽

2013-10-08 08:17:26 | ブログ

眼の前に広がるのは東シナ海・・・静かに夕陽が落ちていく。

ワタシの暮らす田舎は太平洋側なので夕陽は山にしか沈まないのですごく新鮮に思えた。

当たり前のことが当たり前でなくなるのはすごく刺激的だ。
刺激のパルスによってココロがリフレッシュされる。

旅はマンネリ化したストレスの連続で疲弊した戦士たちを癒してくれる。

ところで昨日、戦友の一人が急逝した。

あまりにも若すぎる死に唯々驚くばかりだ。

業界では論客として知られロジックな経営理念は、不況業種と呼ばれるなかで将来のあるべき姿をしっかりと捉えていた。

夢・ロマン〝をお互いに熱く語ったことがあった…

永久の世界への旅立ちに心からご冥福をお祈りします。