上皮内ガンが見つかり放射線治療を行うため、九十になる母が入院した。
大正生まれの満州育ち
敗戦後に運よく引き揚げてきた母は当時のことをあまり多く語らない。
結婚して二人の男の子を出産
子育ての傍ら夫が起ち上げた小さな自動車修理工場の事務として働く。
やがて事情があって夫は家出、残された母は職人気質の猛者たちを従えなければならなかった。
たびたびトラブルでヒステリックな声を荒げていた。
しかし言葉には出さないが私たち兄弟はほんとうに母から愛されていたと思う。
環境が環境で、どうしても素直に成長することができなかった私は何かと問題を起こす。
もちろん母に心配をかけてやろう…などということではない。
ただ妙に背伸びして周囲と馴染まない生意気な性格だったが(いや今でも多分変わらないが)
大学まで行かせてもらうことができた。
また強く生き続けなければならない母の言動はよく波紋を起こした。
親族からも見限られてしまった。
だが絶対に誤らなかった。
誤ったところを見た記憶が無い…強い女性だった。
いまもベッドに横たわり
ままならぬ体に不平を言いながら親不孝な私に不満をぶつける。
そして文句を言いながら旺盛に昼食を食べる。
そして同じ話しを何度も何度も繰り返す。
「忙しいんやったら無理して来んでもいいんで…」
どこまでも素直でない母はそう言いながら手を振る。
七階の病室から見える景色は残念ながらベッドからは見えない。
じっと天井を見るしかない母にまた会いに来なければと思う。