昔はよく授業をサボって映画を良く見に行った。当時はフランス映画が全盛で、大好きなナタリー・ドロンの映画はすべて見たもので、部屋には大きなパネルにした彼女のポスターが飾ってあった。
Une Femme Fideleは1977年
La Lecon Particulereは1977年。実際には1968年の映画だが、田舎だったので、だいぶ後に上映された。ランボルギーニのミウラだったか、彼女の車がエンストする場面が、出会いだった。スキー場のダンスパーティーに流れる、Nicole Croisilleの曲、Where did our summers goが印象的だった。そして、最後の場面。
パリ。小雨が降るホテルの表通り。バイクにまたがったオリビエが二階の窓を見上げる。これが別れと知らない彼女はガラスの向こうで何か合図を送っていた。
オリビエは、頭からコートを被り、その場から走り去る。
ほんと、青春映画そのものだった。ナタリー・ドロンが美しかったなあ。
Last Concertは、1976年。イタリアと日本の合作映画。まあ、日本は資金だけ出したのでイタリア映画といっていい。
主演のパメラ・ビロレージは、不治の病に侵された少女ステラ役。相手は焦燥にかられた往年のピアニスト。
出会いは病院。医師が彼女の父親とピアニストを間違えるところから始まる。
バス停で再び再会し、モンサンミッシェルの美しい海岸を背景にして。
この頃は、モンサンミッシェルなんて誰も知らなかったはず。
ピアニストは、ステラを支えに、ステラに捧げるコンチェルトを完成させる。
その初演の日。純白のドレスに弱りきった身体を包んだステラは、ピアニストの晴れ姿を見つめていた。
さよならリチャード、私はあなたの中に永遠に生きているわ。
そして、ステラは生きることに絶望していたピアニスト、リチャードに愛と生きる喜びを与えて逝った。
ステラの最後のセリフが印象的だった。
My love for you will never die!
青春時代に、授業をサボって映画館に通ったが、いい勉強だったと思う。こうして、いまサントラ盤を聞いても場面が思い出されてくる。これほどに勉学に打ち込んでいたら、ノーベル賞も夢ではなかったかもしれない。
しかし、映画は映画館で見るものだなぁ。
Une Femme Fideleは1977年
La Lecon Particulereは1977年。実際には1968年の映画だが、田舎だったので、だいぶ後に上映された。ランボルギーニのミウラだったか、彼女の車がエンストする場面が、出会いだった。スキー場のダンスパーティーに流れる、Nicole Croisilleの曲、Where did our summers goが印象的だった。そして、最後の場面。
パリ。小雨が降るホテルの表通り。バイクにまたがったオリビエが二階の窓を見上げる。これが別れと知らない彼女はガラスの向こうで何か合図を送っていた。
オリビエは、頭からコートを被り、その場から走り去る。
ほんと、青春映画そのものだった。ナタリー・ドロンが美しかったなあ。
Last Concertは、1976年。イタリアと日本の合作映画。まあ、日本は資金だけ出したのでイタリア映画といっていい。
主演のパメラ・ビロレージは、不治の病に侵された少女ステラ役。相手は焦燥にかられた往年のピアニスト。
出会いは病院。医師が彼女の父親とピアニストを間違えるところから始まる。
バス停で再び再会し、モンサンミッシェルの美しい海岸を背景にして。
この頃は、モンサンミッシェルなんて誰も知らなかったはず。
ピアニストは、ステラを支えに、ステラに捧げるコンチェルトを完成させる。
その初演の日。純白のドレスに弱りきった身体を包んだステラは、ピアニストの晴れ姿を見つめていた。
さよならリチャード、私はあなたの中に永遠に生きているわ。
そして、ステラは生きることに絶望していたピアニスト、リチャードに愛と生きる喜びを与えて逝った。
ステラの最後のセリフが印象的だった。
My love for you will never die!
青春時代に、授業をサボって映画館に通ったが、いい勉強だったと思う。こうして、いまサントラ盤を聞いても場面が思い出されてくる。これほどに勉学に打ち込んでいたら、ノーベル賞も夢ではなかったかもしれない。
しかし、映画は映画館で見るものだなぁ。
