今日の天気はめまぐるしく変わる。澄んだ空気が一転、真っ黒な雲が空を覆い尽くし、大粒の雨を降らせたかと思うと、雨は上がり急に蒸し暑くなってきた。今日から一日盆、エマのお墓に大好きだった「おご飯とお水」をお供えした。今年は彼女の新盆だからね。
ジェリーもラウラも太陽が陰ってから、睡眠に入り、晴れてきたが充電されていないのかまだ幸せそうに寝ている。源太郎は仕方なく、コーヒーを入れて、プッチーニ作曲の「TURANDOT」のDVDを楽しんでいる。
ズービン・メータ指揮で1998年9月に紫禁城でのオペラ全幕のDVD。上映時間は154分だから、退屈な午後に丁度いい。
<あらすじ>
伝説時代の中国の北京。世継ぎの王女トゥーランドット姫は祖先の皇女口−リンが異邦人の男に辱しめを受けて殺された復讐の念で、自分と結婚する男の条件を王子であることと3つの謎を解くこととし、謎が解けぬ場合は首切りの刑に処すると布告する。元ダッタン国王で父の盲いたティムールと女奴隷リュウを伴ったカラフ王子は、ペルシャの王子が謎が解けずに処刑される場に来合わせ、姿を現したトゥーランドット姫の美しさに心を惹かれて、リュウがとめるのもきかず、謎に挑戦するための銅羅を叩く。
謎解きの場にのぞんだカラフは、トゥーランドット姫の出した謎に、「希望」、「血潮」、「トゥーランドット」と答え、すべて解いてしまう。驚愕した姫は身を守りたいと皇帝に願い出るが、皇帝は誓約は神聖だとして受け付けない。その時カラフは明朝までに自分の名を当てれば私の生命を捧げようと申し出る。ピン、ポン、パンの3大臣は美女と財宝で誘惑したり威したりして、カラフから名を聞こうとするが、成功しない。ついでティムールとリュウを捕えリュウを拷問にかけて白状させようとする。
どのようにしても口を割らぬリュウに姫がその力の理由を尋ねると、リュウは「愛です」と答え、きっと姫の冷たい心も溶けるでしょうと涙ながらに言い、短剣で胸を刺し自殺してしまう。ティムールは死体にすがりついて泣き、人々は悲しみながらリュウの屍を運び去る。2人になった時、動揺している姫にカラフは激しく接吻して姫の心を奪い、その耳元に自分の名を明かす。すると姫は勝ち誇ったように「名が判った」と叫ぶ。姫は皇帝の前に進み、皆に名前が判ったことを告げ「その名は愛」と叫ぶ。そして群衆の歓呼のうちに幕が下りる。
カフラが歌う「誰も寝てはならぬ」ばかりが有名だが、リュウが歌う「心に秘めて 告白もしていない大きな愛」の方が素敵だ。王女トゥーランドット姫は本当に憎き姫。源太郎が選ぶなら絶対に「リュウ」だ。「ピン・ポン・パン」というとNHK(間違えたフジテレビが正解)の子供番組を思い出すが、そうではない。カフラを誘惑する3大臣の事。まあ、生意気で傲慢な王女トゥーランドット姫のファンがいない事を望む。
この舞台でのリュウは、ソプラノのバルバラ・フリットーリさんだが、圧倒的に可愛い。源太郎の心を虜にする。
一応、解説を載せておこう。このDVDには次のような解説がついている。
プッチーニが「トゥーランドット」のオペラ化を決意した理由についてはいろいろな説があってはっきりしないが、1920年の夏には台本化にかかっている。台本作者のシモーニは、このトゥーランドットの基になっている寓話劇を書いたカルロ・ゴッツィを主人公にした戯曲も書いていて、日本や中国にも来ており東洋通だった。プッチーニは晩年の4年間、このオペラの完成に没頭したが、その様子を書いた彼の手紙は台本作者の一人アダミが編集し、出版されている。
それによると、プッチーニ自身、このオペラが最後の作品になると予感して懸命になっていたことがわかる。病気は癌で、ベルギーで手術を受けたが、心臓ショックで全曲の完成を見ずに亡くなった。死の12年後、音楽出版社と遺児の意向で補作して完成することにし、未完のまま残された草稿を基に弟子アルファーノが完成した。
しかし、プッチーニの信頼が厚かった指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニが、アルファーノ色が強いと難色を示したために、やっと3度目の改訂でOKが出たが、それでさえフィナーレが大幅にカットされて今のようになったといわれている。
そして、1926年4月5日のミラノ・スカラ座における初演でも、指揮していたトスカニーニはリュウの死の場でタクトを置き、「ここでマエストロはペンを絶ち亡くなりました」と客席に向かって述べて演奏をやめ、2回目の公演から全曲が演奏されたという逸話が残っている。このスカラ座の公演は大成功を収め、その年のうちに世界各地で上演されて、すっかり有名になった。
「トゥーランドット」の原作は18世紀にヴェネツィアで、非現実的な寓話を書いて活躍したカルロ・ゴッツィの戯曲だが、ゴッツィはペルシャの物語や「千一夜物語」なども参考にして書いたといわれている。ゴッツィの劇はプッチーニの作品より場も登場人物も多く、オペラの中国の3大臣、ピン、ポン、パンの代わりに、イタリアの伝統的即興喜劇コメディア・デラルテの代表的コメディアンが出て来て、全体的にお伽話的な素朴で明るい喜劇となっているという。
オぺラとの1番大きな違いは3つの謎の内容と、リュウの代わりにタタールの王女アデルマがいることだろう。彼女の口から王子の名がばれるのだが、リュウが純愛から自殺するのと違って、カラフに一緒に逃げようとすすめるのにきかないので、結婚をだめにしようと思ってばらすということになっており、リュウという娘の創造にプッチーニの好きな女性像がはっきりと出ている。
プッチーニは「蝶々夫人」以後にもオペラを書いているが、以前のようなヒットが生めなかった。これは当時の音楽界全体が転換期にさしかかり、音楽が大衆の楽しみから純芸術的方向に進み、オペラもイタリア・オペラの歌謡調からドラマティックな朗詠調へと変って来たために、歌謡調作曲家だったプッチーニに迷いが出たからだろう。そしてプッチーニが時流の音楽に溺れず最後の力をふりしぼって真価を発揮したのが「トゥーランドット」だった。このオペラは彼の作品中、最大の規模を持つスペクタクル・オペラで、他の作品とは違って王侯貴族や伝説的人物を扱い、幻想と現実を巧妙にブレンドし、中国の旋律を使用しても以前の作品よりずっと異和感がなくなっている。
また、カラフに弦、リュウに木管や弦のソロ、3人の大臣に木管、ピッコロ、チェレスタなど道化の感じを出す音色を与えて性格の色分けをしている。そして合唱が他の作に見られないような主導的な役割りを演じていることも注目されるべきである。