同属嫌悪という言葉がある。
自分と同じタイプの人間を嫌悪することである。
とてつもなく飛躍するが、つまりは人の批判をしたり嫌ったりすることは
その相手と自分が同じレベルであることを意味する。
バイト先の30過ぎの副店長などが、10台の女性を嫌いだなどとのたまう。
仕事が出来ないからか性格かはしらないが、
「あいつは嫌いだ」
などとのたまう。
男として情けなくはないかね?
自分よりいったいいくつ下の人間を、それも女性を、よくも「嫌いだ」などと公言できたものだ。
あなたはその時点で嫌っているその人と同レベルなんですよ。
実に情けない、と思って聞いておりました。結構前の話ですが。
万一嫌ったとしてもわざわざ公言するなといいたい。勝手にきらってろと。
上司に対して「あいつは嫌いだ」といって逆らうならまだ骨太な感じがしていいが、嫌う相手が小娘ですよ。なぜ「ああしょうがないな」と思ってやれない。
などと、その人を批判している私も、同レベルなわけです。
最近私も愚痴っぽくていけない。以前はバイト先では人の批判をしたことはほとんどなかったと自負しているが、最近は妙に辛口批評だ。
しかし、自己弁護すれば、仕事の批判こそすれ、それによってその人の人格そのものを批判もしくは嫌うことは一切無いと、思うわけです。
生まれる環境や育つ環境は選べない。
ゆえに自分の性格というものも選べない。
見た目を選べないのと同じように、性格も選べないと私は考える。
性格は自分の意思で変えることが出来る、と思うからこそ性格に対して人は厳しいのかもしれないが、変えるのは並々ならぬことだと思う。美容整形に近い。
このような考え方が私の中にあるがゆえに、そうそう簡単に人を嫌うことはない。
私の性格論を書き出すと長くなるので、それについてはまた余力のあるときにでも書きたいと思います。
今は仕事後のビールをのみながら書いているので、支離滅裂でまともなことなどかけやしない。もう一本買ってくりゃよかったと思っているわけであります。
まあ要約すると、大の大人が10台の小娘を嫌っていることが実に腹立たしいと思ったのがこの記事の発端です。
最近無理やり毎日更新しようとして文章の精度が落ちていると実感しているわけであります。。
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