JH7UBCブログ

アマチュア無線 電子工作 家庭菜園など趣味のブログです

タネツケバナ

2020-04-10 11:16:45 | 雑草図鑑
 昨年作った小さな花壇に、春の雑草がたくさん生えてきました。
 そろそろ花を植えようと思い、草むしりをしました。
 一番目立った雑草が、タネツケバナです。
 春が早く来たせいか、だいぶ大きくなっています。

 タネツケバナは、アブラナ科の植物で春、稲の種モミを水につけるころに花が咲くので、この名がついたと言われています。

 家庭菜園、花壇ともにこれからは雑草との戦いになります。雑草と一口で言ってしまいますが、ひとつひとつ名前を持ったりっぱな植物です。しかもその生命力にはいつも感心させられます。
 時々除草の手を休めて、撮影して紹介していきたいと思います。

ムスカリが咲いた

2020-04-09 17:12:35 | 家庭菜園と花
 この冬は、例年になく雪が少なかった。会津若松市では桜が咲き始めました。

 我が家の畑の隅の花壇では今、クロッカス、スイセン、クロッカスが咲いています。


 ムスカリは、一斉に花を咲かせました。

 これだけ暖かいと気持ちがあせるのですが、我が家の家庭菜園は、例年通り、今月末に苦土石灰の散布と耕起。5月中旬に春作の種まきというスケジュールです。



ノートパソコンHP 15-af100の液晶パネル交換

2020-04-08 12:36:44 | パソコン
日常使いのノートパソコンHP 15-af100のディスプレイを破損してしまいました。
 先日、HDDをSDDに換装し、RAMも4GB増設して8GBにしたばかりですので、液晶パネルを交換することにします。
 HP 15-af100シリーズの仕様書を見ると私のノートパソコンは、詳しい型番が、
15-af148AUであることが分かり、ディスプレイ(液晶パネル)は、15.6インチワイド・フルHD非光沢・ディスプレイ (1920×1080/最大1677万色) であることが分かりました。
 該当する液晶パネルをAmazon,ヤフオク,楽天などで探しました。1366×768のものは、比較的安いのですが、仕様書どおりのものは、1万円以上です。また、海外(中国)からの発送のものは、この時期到着まで時間がかかると予想されます。そこで、楽天から国内発送のものを選び発注しました。(11,968円でした。税込み、送料無料)
 発注の翌日届きました。さすが、国内発送です。あらかじめ液晶パネル交換の画像で交換の方法を調べておきました。こちらのYoutubeの動画が参考になりました。

 さっそく作業にかかりました。使う工具は、精密ドライバーとプラスチックのへらです。専用のへらもあるようですが、私は、接着剤についてきたものを使いました。

 まず、液晶パネルのカバーをはずします。液晶パネルを押さえている枠とカバーの間を手で少し広げ、へらを差し込んで少しずつ開いていきます。パチンパチンという音がしてはがれていきます。慎重にやらないとプラスチックの爪がかけてしまいますので、注意が必要です。

 黒いカバーがはずれた状態です。

 次に、液晶パネル本体をとり外します。下の写真の赤丸印のビスをはずします。



 下部にあるコネクタを外して、破損した液晶パネルを外します。


 購入した液晶パネルを取り付けて、仮止めして、動作を確認します。


 バッテリーを取り付けて、電源ON。パソコンが立ち上がり、ディスクトップが表示されました。
 液晶パネルの保護用のフィルムをはがし、パネルのカバーを元通りにはめます。手で押すとパリンパチンと音がしてはまります。
 はい。これで交換完了です。所要時間20分程度でした。

 パネルを固定しているカバーを慎重にはずしたつもりなのですが、白いプラスチックがとれてしましました。
 しかし、カバーは問題なく取り付けることができました。

 交換した後分かったことですが、前の液晶パネルより、文字が小さくなりました。どうやら破損した液晶パネルは、1366×768だったようです。

 それから、液晶パネルは、光沢、非光沢どちらも選べたのですが、今回は非光沢を選択しました。(仕様書に非光沢と書いてあったので)破損したパネルは光沢だったようです。

 非光沢の液晶パネルは、映り込みが少ないのですが、ちょっと白がまぶしい感じがしますし、写真は光沢の方がきれいに見えるような気がします。光沢か非光沢は好みだと思いますが、結論は、1366×768の光沢の方が良かったかなと思いました。これなら5,000円~8,000円程度で購入できます。ただし、コネクタのピン数に注意。

 小さい字は老眼の私には少しきついのですが、たくさん情報を表示できますので、老眼鏡をかけてがんばりましょう。
 

JAZZを聞き始めたころ

2020-04-03 19:53:05 | JAZZ
 前の東京オリンピックのころ、つまり1964年ころ私は中学生でした。
 ベンチャーズや寺内タケシとブルージーンズなどのエレキギターバンド全盛の時代でしたが、私はラジオから流れるセルジオメンデスとブラジル66などを聞いていました。

 高校時代は、1966年のビートル来日から始まったグループサウンズの時代でした。高校の同級生たちはビートルズに夢中でした。

 このころ、私は自分でラジオを作って(5球スーパーという真空管式のラジオです)、深夜放送を聞き始めました。ニッポン放送のオールナイトニッポンやTBSのパックインミュージックなどを毎晩聞いていました。アマチュア無線を始めたのもこのころです。

 自作のラジオで中波帯のあちこちにダイヤルを回すと突然英語の放送局が聞こえてきました。FEN(Far East Network 米軍極東放送網)です。なんともかっこいいDJと時折流れるジャズにに耳を傾けることが多くなりました。当時は日本のラジオ放送でもジャズの番組がけっこうたくさんあり、それを探しながらジャズを聴くのが日課になっていきました。

 ある日、工業高校に通っている友人の家で彼の自作のステレオで、デイブ・ブルーベック・カルテットのテイク・ファイブを聞かせてもらいました。5/4の変拍子、ポールデスモンドのサックスの甘い音、ドラムソロの音の迫力。生の演奏を聴いているようでした。この出来事は、オーディオにはまっていくきっかけになりました。

 福島市という地方都市に住んでいた私には、ラジオとレコードがジャズ音源の全てでした。高校まではステレオも持っていませんでしたので、ラジオでジャズ番組を聞くということが最大の楽しみだったといえます。

 この後、ジャズ、オーディオ、アマチュア無線という趣味は3本の蔦の葉のようにからみあいながら成長していくことになります。