東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

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妙政寺の歴代住職紹介

2016-11-12 20:34:05 | 妙政寺の歴代住職
こんばんは。

実はこの記事も含めて妙政寺の紹介記事はすべて一昨年に発行した「妙政寺150年史」に収めたものです。
JCOMのホームページサービスが終了するので18年前から続いたホームページを閉鎖することになります。それでこのブログの中でカテゴリー分けをしてホームページ的に存続を図っている分けです。
来年からプロバイダーを変更して新たにホームページを作成するかもしれませんが、今のところはこちらで対応する予定です。

さて妙政寺の歴代住職の紹介をいたします。
お写真のある方は掲載させていただきます。

妙政寺は「妙見堂」として慶應元(1865)年中の開創。谷町・本政寺第22世 順妙院日實上人により「河内一心講」を母体として開創されました。但し、「河内一心講」の実体は不明です。ただ、当時の加納村(川田地区を含む)には少なくとも浄土系寺院が5か寺存立する念仏信仰の土壌であり、そうした宗教的土壌に妙見信仰を介した法華信仰集団である「河内一心講」が江戸後期から末期に存在し、この地に妙見堂を建立したということは紛れもない事実です。

開山順妙院日實上人は※鶏冠井檀林(かいでだんりん)の349世であり、当代一流の学匠であったこと、また中世・近世を通じて河内には法華基盤が脆弱であったことから、日實上人が妙見信仰として出来上がった「河内一心講」を法華信仰集団に導いたのではないかと推測します。当地にも微少ながらも法華信仰者がいたことが當山過去帳から窺い知れます。日實上人の河内布教にはそうした信仰者からの要請があったのかもしれません。
 このコーナーでは「妙見堂」から妙政寺までの10人・11代のお上人を紹介いたします。お写真の残る方は、お写真も掲載いたします。
【妙政寺歴代上人】
・ 開 基 順妙院日實上人
    鶏冠井檀林349世化主。
玄能四66世。
    伏見法性寺より谷町本政寺22世。世名英式
明治16年10月10日遷化。63歳

・  2世 春妙院日慈法師
    明治41年4月15日遷化。

・  3世 龍信院日行法師
    大正14年3月10日遷化。世名浅井熊次郎。76歳

・  4世 春静院日応法師
    大正11年4月25日遷化。 
  
・  5世 勝根院日養法師
    昭和13年7月10日遷化。世名桑田 英賢

・  6世 香雲院日鳳上人 


    中興。宗教法人格を取得。
    宗教法人日蓮宗妙政寺を公称
    谷町本政寺27世。
    平成5年2月22日遷化。世名馬場 英龍 僧正

・  7世 妙信院日善法尼
    昭和36年3月4日遷化。世名徳田 智順。

・  8世 慈妙院日中上人


    深草・元政上人の研究で知られる。歌人でもあり歌集も刊行されている。
當山高祖七百遠忌を奉行。世名田中 慈妙 大僧都

・  9世 中道院日行上人


    當山高祖御降誕七五〇年を奉行。
退寺後、高松妙法寺六世を継承。世名田中 慈孝 大講師

・  10世 慈妙院日中上人(再)
    8世再住。高松妙法寺5世。平成16年1月1日遷化
      
・ 11世 玉慈院日情(現住職)


    平成6年7月住職認証。
   平成23年5月より日蓮宗大阪市宗務所長就任。
   枚方市慈光教会担任を兼務。 世名松井 英光 大僧都

 妙政寺には歴代廟がありません。開基順妙院日實上人から六世香雲院日鳳上人の間の二世~五世は法師号で上人号ではありません。おそらく堂守として居住されておられたのでしょう。現在、加納川田墓地に勝根院日養法師のお墓と、その横に妙政寺歴代と記されたお墓があります。

鶏冠井檀林(かいでだんりん)
檀林は仏教寺院における僧侶の養成機関をいいます。日蓮宗では室町時代末期から江戸時代前期にかけて、関東・関西に多くの檀林が誕生します。
鶏冠井檀林は京都府向日市にある北真経寺に置かれました。妙政寺は奠師法縁に属しますが、法縁という組織は簡単に申しますと、この檀林をベースにした学閥のようなものですかね。
日蓮宗の檀林は江戸時代には関東八檀林・関西六檀林がありましたが、明治の学制発布により廃檀となりました。現在の立正大学は関東三大檀林のひとつ「飯高檀林」が前身となっています。


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