MailING!日月説法日誌

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まちづくりと住宅

2010年09月30日 12時06分34秒 | まちづくり
まちづくりと住宅は切っても切り離せれない
住宅があってまちができるのだ
まちって何だろう・・個々の住宅があって、それがベースになり、まちが組立って行くのだろう
人間は昔、洞穴に集団で住み、そこから共同作業や暮らしを生み出していった
しかし、その形態はまだ、まちではないだろう
まちというものはやはり、個々のプライベートな棲家の集体だ

まちができるということは、そこには数々の生活スタイルや考えの違いが集まるのだ
思想の違うものが混合するのがまちであって
すべてが同じ考えの下に集結したらまちではなくなる

住宅というものは集団規模で造られるものではない
個々の子孫が誕生するように、個々に発生していくものなのだ
個々に発生したものが、新たに共同する分野を見出していく
個々と集団をうまくマッチさせることがまちづくりなのだ
個々の住宅という共通な仕組みを通じて・・・

人生は喜び表現だ

2010年09月24日 22時43分46秒 | まちづくり
生きて行くにはしんどい思いは山ほどある
もうだめだと思うこともしばしばある
だけど、そんな自分には人一倍本当の喜びもある
嫌々を他人に見せてはいけない
喜びのパワーほど強いものはほかにない

喜びをもって強く生きることは、得てして他人に迷惑を掛けることも多いかもしれない
しかし、それでも喜びのパワーに勝るものはない
人に何を言われようと自分のために喜びを貫くのだ
喜びは他人に分けることはできても
嫌々は分けることはできない
人のつながりというものは、喜びが元になっている

どんなに不運で辛くても、喜びを表現することだけは簡単にできる
喜びは、自分に出来ないと思っていることでも不思議とうまくやりこなすパワーを持っているのだ
どうせならそのパワーを活かさなければ損である
喜びを他人に見てもらう
こんな知恵も要らない、簡単な魔法を存分に使って生きて行こうではありませんか

フィクションとまちづくり

2010年09月15日 09時20分14秒 | まちづくり
ドキュメンタリーばかりを主題とした集いは、蓄積されたデータの繰り返しになり、そのデータが勝手に改ざんされたり、失われていく危険を想定するだけで混乱してしまう
日常、データの保存ばかりに神経を奪われ、その神経の集中した保存データの大切さを考えるだけでも不安定な社会を築く危険を秘めている
観光目的だからと、生身な地域の歴史ばかりを掘り起こしてしまって一体何になる
後始末が大変だ
真実の歴史は、一部の厳格な人間により保管されることで価値が出る
一般大衆に及ぶ真実の歴史は必ず別なものへと変化して行く
だから、ドキュメントから始まらない、事の始めをフィクションからはじめてみよう
ことの始めが物語なら、そこから真実が生じて行く
そんな夢のあるフィクションがまちづくりにあふれる日がやって来る

化導の重要さ・・デザインの道

2010年09月06日 11時20分22秒 | まちづくり
世の中、現実問題に忙しすぎて、人の集いの円滑さなどをどうするかを忘れている
人間どんなに正しい判断力を持っていても、欲たる腹は不確かなものだ
子供が最初に自分の家以外の知り合いを持ち始める経験をするのは保育園入園時だ
保育園が勉強中心で保育のうちから勉強勉強と忙しい競争社会なら
保育園児は別な育ち方をするだろう
競争の世の中では正しい人間の集いなどない
ぎすぎすして他人の弱点を探すのに翻弄する
即ち、基本的に他人他人とが集って生きて行くということは化導な要素が必要なのだ
単に偉人の残した過去の記録だけに忠実になることではない
偉人がいかに化導を基本とされていたかを知らなければならない
何はさておき、偉人には化導はなくてはならないものなのだ

たとえば今、就職や進学を間近に控えた高校生であるとすると、
自分は将来、デザインの仕事をしてみたいという強い願望をいだいている
できれば将来その道で独立もしてみたい
しかし、どのように独立してその後うまく事業としてやっていけるかどうかは全く未知で社会的な保証がない
つまり他の職業よりはダントツに難しいのはわかりきっている
そもそもデザインを必要とする世の中であるかどうかも大きな不安要素である
デザインが必要な世の中とはどういう世の中か?
疑問はそこから始まらなければならない

デザインと言えば印刷物、印刷物は単に人に情報を伝達するものと考えれば
そこに付属させるデザインなど単なる付録要素な何か飾りつけがあったほうがよいだけの考えになる
すなわち、デザイナーなど誰でもなれ、印刷物に何でもいいから模様さえつければよいのだとなる
結局、デザイナーの評価など誰もしてくれない
そんな中でどうやってデザイナーとして身を立てるのか
適正な評価をしてくれるところはあってもほとんど大手企業グループの広告代理店などだけだろう
そういうところへ勤めて実績を積まなければ認められるデザイナーにはほぼなれないという悲観的な考えになる
ただし、学生時代、絵や工作を作り、学校内で評価をされてちやほやされることもある
ある意味ではそのような小さな社会であってもデザイナー評価は自然に成り立っている
だが、一般の社会にはそれがない
なぜないのか?
つまり、集いがないのである
集いがあるところにデザイン、いわば化導がかならず必要になってくるのである

その点、現代の学校は集いになっているといえるだろうか?
おそらく文化というものに力を入れてないのではないか
近年の学校の考えは保育を卒業したらすぐ受験戦争なのだ
そのため塾も流行る
競争社会を植えつけすぎが今更ながらの特徴だ
化導を断ち切る・・すなわち役割分担が進んでいるのだ
役割分担と言えど、各々の役割り者が独自の責任に走りやすい独走状態を引き起こしているのだ
結局の所、複合された役割分担の中に中心部の責任となる基軸が存在しないのである
学校で言えば学校長が存在しないと同じだ

責任者とは化導を施す役割者のことだと思う
アニメーターなど自分では思いがけないほど不思議で素晴らしい画像を作り上げることができる
そういう要素が化導である
化導とは人間社会では不可思議な要素に責任を持つことである
この大切な責任を誰も彼もが放棄してしまっては人間社会の集いは確立されないのである

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  安田和正一級建築士事務所
     代表 安田和正(ヤスー)
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