
★★ きょうの謎!
その謎1:出家して沙門になるとはどういう意味でしょうか?
その謎2:沙門と比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷などはどういう関係でしょうか?
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■■第6-27日号
願わくは我が出家を聽したまえ
【妙荘厳王本事品第二十七】
(三十二行~四十行)
■■今日の一偈一句
ココ シ クウチュウ オ ソ ハハ トコロ イタ ガッショウ ハハ モウ チチ オウ イマ
是に二子、空中より下りて其の母の所に到つて、合掌して母に白さく、父の王、今
スデ シンゲ アノクタ ラ ミャクボダイ ココロ オコ カンニン ワレラチチ タメ スデブツジ
已に信解して、阿耨多羅三藐三菩提の心を發すに堪任せり。我等父の爲に已に佛事
ナ ネガ ハハ カ ホトケ ミモト オイ シュッケ シュドウ ユル ソ
を作しつ。願わくは母、彼の佛の所に於て、出家し修道せんことを聽されよ。爾の
トキ シ カサ ソ ココロ ノ ホッ ゲ モッ ハハ モウ
時に二子、重ねて其の意を宣べんと欲して、偈を以て母に白さく
ネガ ハハワレラ シュッケ シャモン ユル ショブツ ハナハ ア
願わくは母我等、出家して沙門とならんことを放したまえ 諸佛には甚だ値いた
カタ ワレラホトケ シタガ ガク ウドンバラ ゴト ホトケ ア
てまつること難し 我等佛に随いたてまつりて學せん 優曇波羅の如く 佛に値
マタコ カタ ショナン マヌガ マタカタ ネガ ワ シュッ
いたてまつること復是れよりも難し 諸難を脱るること亦難し 願わくは我が出
ケ ユル
家を聽したまえ
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1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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ここで二子は、空中より下りてその母の所に到着し、合掌して母にもうしあげた、父
の王は、今すでに信解して、阿耨多羅三藐三菩提の心を起こすことを定めました。そ
して我等は父のためにすでに佛事を行い終えました。願わくは母、彼の佛の所に於い
て、出家し佛道を修行することをお聞き入れください。その時に二子は、重ねてその
真意を示そうと願い、偈頌を用いて母に捧げたのであった
願わくは母よ我等が、出家して沙門となることを許したまえ 諸佛には甚だ巡り
会えることは稀で難しい 我等は一佛に随いたてまつりて学びたい 優曇波羅の
華のように その一佛に会いたてまつることまたそれ以上に難しい されど諸難
を脱出することこれもまた難しい 願わくは我れの出家の望みを聞き入れたまえ
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2. 今 日 の 説 法 ! (集)
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前回まで、二子は母に雲雷音宿王華智佛の所へ詣でてもらいたいと頼むと、母は外道
の婆羅門の法に夢中な父を先ず説得しなさいと二子に言い、その際に二子は母から、
今までに修行で得た神変の成果を父にお見せしてみなさい、そうすれば気が変わるか
もしれませんと言われ、その通りに父の目の前で空中に舞い上がり実演して見せたの
でした。
すると、父は一目見て、二子のあまりの素晴らしさに大歓喜を起こし、誰に教わった
のか、その師匠は一体誰かを聞き出すと、父はさっそくにその雲雷音宿王華智佛に会
いに行きたいと言い出したのでした。
今回は、父への説得が終わった二子は空中から舞い降りると母の所へ行き、合掌して
お願いをしました。
「 父の王は、今すでに信解して、阿耨多羅三藐三菩提の心を起こすことを決意しま
した。そして我等は父のためにすでに佛事を施しました。願わくは母、彼の佛の所に
於いて、出家し佛道を修行することをお聞き入れください 」
と言い、さらに二子は偈頌をもってその真意を母に捧げました。
「 願わくは母よ我等が、出家して沙門となることを許したまえ 諸佛には甚だ奇遇
な巡り会わせを得ることは難しい 我等は一佛に随いたてまつりて学びたい た
だし優曇波羅の華のように その一佛に奇遇にも巡り会うことまたそれ以上に難
しい されど諸難を脱出することこれもまた難しい 願わくは我れの出家の望み
を聞き入れたまえ 」
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3. 今 日 の 謎 ! (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
その謎1:出家して沙門になるとはどういう意味でしょうか?
その謎2:沙門と比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷などはどういう関係でしょうか?
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4. 今 日 の 知 識 ! (道)
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出家して沙門となることを見放してほしいと、二子は母に言っていますが、そもそも
佛道にとって出家の必要性とは何なのでしょうか?
それは恐らく、誰もが公平・平等に過せるようになるためが佛教であり、そのために
修学したり、他者への普及に務める者としては、ある特定の家柄や地域性の常識に縛
られていたり拘っていたりしてはならないという理由が先ず考えられるでしょうね。
ところで、出家とはそもそもさまざまな宗教の中でも佛教特有の厳粛な形式らしいの
ですが、あれこれと調べてみますとその佛教上意義するところはもう少し特殊な意味
になっているようです。
出家そのものの考えはインドや中国などの外国と日本とでは少し違い、日本は特に独
特な意味があるようです。
ところで、インド等の風習による出家とは本来はサンガというものを意味するそうで
す。
そこで、サンガとは何であるかと調べますと、集団・群れ・組合・衆を意味していて、
つまり佛教上は修行者の集団やそのまま佛教教団のことを意味するようです。
よって、厳粛に佛教普及の意味からしますと、一般に言われているサンガとは、いっ
さいの世俗的労働や生産活動から解放され、戒律を厳守して,修行に専心する僧侶に
よって形成される出家者教団ということらしいです。
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なんだか話がややこしくなってきそうですが、とりあえずインドや中国での出家とは
経済的には働かないで、とにかく世俗を離れ、家庭生活を捨てて佛門に入ることであ
ったようです。
ここで大事なのは、経済的な労働や生産活動はしないということと、出家するために
は必ずそれを認める師となる僧から正しい戒律を授かることが前提条件となるわけで
す。
ですから、勝手に自分の意思だけで出家と決め込むことは出家にはならないようです
ね。
ですから、出家すると必ずサンガといった厳粛な形式の教団に加盟する義務も確実な
条件ということです。
そして、サンガとはそもそも在家での信仰は認めず、必ず出家者だけの集団であると
いうことなのです。
よって、このサンガ形式による出家が日本でも定着したかといえば、実はそうではな
かったようなのです。
もともと日本に於ても佛教徒とは、在家と出家との二系統に大別されるそうです。
在家とは出家せずに普通の生活を営みながら佛道に帰依する人を言い、その在家の男
性は優婆塞(うばそく)、女性は優婆夷(うばい)というのです。
そして、在家者は出家者に対し寄付を行うことで両者が成り立っている仕組みが本来
の出家者で形成される厳粛なサンガの組織らしいですが、それが日本においては佛教
は外国から渡って来たとても高度な外来文化ということで、寺院と僧侶は国家の武士
や貴族社会が先に支配し、さまざまな規制を加えられたために,寺院は第二の世俗と
までいわれ、寺院へ出家することは世俗を離れるとまでならず、つまり出家という言
葉はあっても正式なサンガという出家の組織形態までには定着しなかったようです。
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ですから、結局のところ日本では在家型が出家型を圧倒しており、日本では元々生ま
れ持った身分制度と武士や貴族階級による封建制度が手堅かったために、どちらかと
いうとごく僅か数の官職出家寺の支配によるインドなどの婆羅門の教えに近い形で佛
教を引き継がされたのかもしれません。
ところで、沙門とは何かといいますと、苦しい或いは厳しい修行をする者をいい、釈
迦とほぼ同時代に出現したインドの新たな思想家たちでもあり、本来は佛教に限らず
用いられていて、佛教では出家して修行を実践する人々を沙門と総称していたそうで
す。また特に古代インド社会に於いて、バラモン階級以外の出身の男性修行者を指し
たそうです。
なお、この沙門は、佛教上は後に比丘(びく:僧侶)と同義に用いられたそうです。
比丘といえば、出家の男子のことで戒を実践する者で、比丘尼(びくに)はその女子
のことです。
また、沙彌(しゃみ)という沙門に言葉の似たものがありますが、沙彌は見習い僧や
小僧といわれる者で、同じく出家して戒を実践する未成年の男子であり、この女子は
沙彌尼(しゃみに)といい、どちらも二十歳に至ると比丘・比丘尼になることができ
るのです。
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5. 今 日 の 解 脱 ! (悟)
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出家という言葉に似た出世という表現がありますね。実はこれも元は佛教が由来の言
葉なのです。
実はこの出世も出家と同じく俗世間を離れて佛道に入ること、つまりそのまま出家を
意味するのです。
また、出世間ともいい「世間を超越し、俗世間を離れた佛道世界」という意味らしい
です。ここから世俗を捨てて、佛道に入る事や佛道に入る人(僧侶)を「出世者」と
呼ぶようになったそうです。
日本では、公卿・殿上人などの貴族の子息が出家した場合に出世者(出家者)と呼ばれ
たらしいですが、普通の人より昇進が早かったわけで、やがて僧侶が高い位になって
大寺の住職になることを指すようになり、さらに今に言う一般に栄達をとげることを
出世というようになったらしいのです。
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ところで、この出世にはまたもう一つ大事な別な意味があります。
それは、この法華経の如来壽量品第十六の中に「 是の故に如来、方便を以て説く、
比丘當に知るべし、諸佛の出世(しゅっせ)には値遇(ちぐう)すべきこと難し。」
という部分があります。
この、諸佛の出世には値遇すべきこと難し、というのは今回の二子が母に説いた偈頌
と同じような表現になっているのです。
実は、この場合の出世とは、如来がこの世へ出現することを意味しているのです。
つまり、諸佛がこの世へ出現することに偶然遭遇できることは難しい、という意味の
ようですね。
よって、如来が逆にこの世の方へ出てくることを出世としているわけです。
このことから、もしかしたら出家の意味にも逆なもう一つの意味が考えられるかもし
れません。
それは、家を出るということは逆に家へ帰るという意味にも取れるのではないかとい
うことです。
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皆さんは、良寛さんというお坊さんを恐らくご存知だと思います。
良寛さんは江戸幕末の越後出雲崎の問屋商を営んでいた家から出家して沙門となられ
た苦行の貧乏僧と言われたお坊さんでした。
良寛さんは若くして出家して坊さんになろうと決意したそもそもの最初の理由は、問
屋を営んでいた家が競争相手の別の問屋勢力の攻撃に遭って、町あげての派閥争いの
騒動騒ぎの最中、代官から庄屋を引き受けますがやって行けず、家業は傾く一方で、
やむにやまれず長男だった良寛さんは次男に家業を預け、出家して佛道の道を選んだ
のでした。
出家した良寛さんは越後を離れ遠く出家の旅をし、高度な寺にも仕えていましたが、
いずれ一人で越後へ戻ってきて、国上山という所でひっそり孤独な修行を続けました。
国上山から故郷の町の出雲崎へは今なら車で30分くらいな所でしたが、出家した以
上は滅多に帰れなかったのでしょう。
ところで、実家の次男は何とか問屋を引き継いで頑張っていましたが、相変わらずの
勢力争いで裁判に次ぐ裁判に次男は終始していたようです。しかし、実家にはそこそ
この収益と資産もあり一緒に暮らすことができれば特に不自由はしなかったことでし
ょう。
しかし、人一倍律儀な良寛さんはしっかり佛道修行に余念無く、食い物もないままに
も山の庵に篭って出家の本来の道をただ一人守っていたのでした。
そして、良寛さんは実家を常に心配しながらもただ一人数々の試練を乗り越えて、い
よいよ老いも深まり壽命も近い頃となりました。
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その時、良寛さんは一大決心をしました。
遂に万貫の思いで、地元のお殿様の城へ乗り込んで、長引く実家の終わらない裁判の
決着をつけることに成功したのです。
沙門としての坊さんの道を貫いた良寛さんの空しい修行の一生かのようでしたが、ど
うやら最後の最後、良寛さんはやはり実家に残した次男のことが忘れられなかったの
でしょう。
これは本来、家業を継ぐべきだった良寛さんの意地と諦めの勝利の人生だったと私は
思います。
最後は本当に実家の為に全力を尽くした良寛さんこそ、日本にしっかりした出家のサ
ンガがなかったことと、それでも良寛さん自身は率直にいわれどおり厳しい出家の道
を自分なりに貫いたことにより、徳に恵まれた稀な正直な人生だったと思います。
これが、日本独特の思いがけない佛法の出家道から逆に実家を立て直し家へ帰れたと
いう、もう一つの大事な出家だったのではないでしょうか。
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6. 今 日 の 振 り 返 り !(離)
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お話が幕末の良寛さんのことまで飛んで行ってしまいましたが、実は私が住んでいる
ところはその良寛さんが修行していた国上山の近くなのです。皆さん時間があったら
是非、遊びに来てください。
良寛さんの教えそのものが確かな佛法だったのかどうかはよくわかりませんが、良寛
さんの人生そのものが佛法にとてもかなったものだったのでしょう。
だから、良寛さんの佛法と言ってもちょっとわかる人はあまり居ないのではないでし
ょうか?
ただ自分自身で臨機応変に率直に生きる、それだけで佛法にかなっていればそれが一
番いいですよね。
良寛さんはそれで孤高な苦労もしたけれど、良寛さんの達成した佛法とは自分の家を
思いやることだったのでしょう。本当はそれが釈迦も同じことをいっているように思
えるのです。
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
(ぶっけん)
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