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スキルを保持してコツを売る

2019年05月25日 09時13分39秒 | コミュニティライフ

日頃どうやったら自分の収益を維持できるのだろうと真剣に考えるのがやはり日常の人間でしょうね。

私はある社長から今私自身が日頃行っている仕事を他人に任せてしまい、そのノウハウを売って別な仕事をもっと増やせばよいのではないかとアドバイスされました。

最初私は自分の仕事を売るなんて面倒だし、買う人間も簡単にはいないだろうと笑っていました。

なぜなら、私も以前から自分自身の事業ノウハウを他人に売って、指導者としてのリベートで暮らしを立てる経営をしたいと真剣に願い、売るためのノウハウを数年かけて実際に組み立てようとしてもなかなかうまくいかないことを十分経験していたからです。

しかし、私は何気ないようなその社長のアドバイスには意味があることに気づきました。

その社長はいかに合理的に楽をして稼げる方法を考案するかが仕事の知恵なのだといつも主張しています。仕事とは楽をする知恵を使って儲けなければ意味がないわけなのです。

私はあらためて「難しく思えて簡単」、そして「簡単に思えて難しい」というものを再認識しました。

私が今まで長年かけて売るためのノウハウを組み立てることに時間を費やしてきました。

つまり、私の考えていた他人に売るためのノウハウとは私自身がそれを作成するのにかなりの長期間かかってもなおこれぞというノウハウまでには完成してないのです。

なぜ私がそれまで凝ったノウハウを他人に提供したいのか?それはそれを知る他人からとても簡単に仕事ができると思ってもらい、ノウハウさえ買えば簡単に仕事ができるという完ぺきなノウハウ商品を作り上げたかったからです。

しかし、それはとんでもない私の勘違いだったようです。そもそもそんな面倒なノウハウなど誰も買いたがらないからです。

他人が一番欲しいのは簡単に理解できるコツを知りたいのです。コツ=ノウハウで良いでしょう。

だから、完ぺきな説明によるノウハウにより仕事のスキルを身につけるだけなら、そのノウハウは無料同然の価値しかないのです。

仕事のスキルは経験のキャリアさえ地道に積めば自然に身についていきます。だから、スキル自体は難しく思えるわけではなく、ただ時間をかければよいだけです。

それに対し、仕事のコツの得方はキャリアにはあまり関係ありません。つまり、他人が買えるのはスキルではなくコツのほうなのです。

コツは簡単に思えて実際は難しいのです。だから、売り物になるのです。

そして、スキルは難しく思えて現実は簡単です。しかし、それは自分自身の経験による年輪なので、そもそも他人へ売り渡せるものではありませんね。

 

世の中を眺めてみましょう!

いかに簡単なノウハウを活かしたものこそがより多くの流通を握っていることがわかると思います。

そんな意外にも簡単なノウハウこそが最も高く流通するのです。

それは、スキルなしでコツだけを買い求めたいという人がたくさんいるのです。

コツを売る人は、売るためのスキルをどんどん身につけることです。

 

第5-25日 Vol.137  衆生あつて婬欲多からんに 【観世音菩薩普門品第二十五】

 

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ドラマとアニメ化について

2019年05月24日 10時00分11秒 | コミュニティライフ

アニメのブームはドラマや映画に比較してどのように違うのだろう?

きっと、アニメにはドラマや映画のような実際の人間としての配役を登場させていないのが根本的違いだ。

アニメに登場するのは姿なき声優であるから、声だけでは実際のアニメキャラクターへの関心度を超えることはない。

目に見えるもの、その効果は瞬間的スピードで視聴者の脳に刻み込まれる。

その点で、アニメとはキャラクターの個性観は製作者と視聴者の同等な空想を狙ったイメージ効果であるから、キャラクターの個性像を連想するとともにアニメ全体のシナリオ設定が勝負を極める。

つまり、アニメはドラマや映画に比較して、いかにシナリオの簡潔さを印象付ける明快さが極めて重要であるといえるだろう。

ところで、ドラマや映画のアニメ化はたくさんあるが、逆にアニメのドラマや映画化はあまりなさそうだ。

それぞれの業界がそのジンクスを物語っているように思う。

そのように考えると、ドラマや映画とは何であるのか?

役者とはキャラクターではない、芸能を仕事として選んだ実際の個性ある人間なのだ。

個性を出し切れる役者が人間として仕事を超えているといえそうだ。

 

アラン・ドロンさんが今月19日、第72回カンヌ国際映画祭で名誉賞を獲得した。

ドロンさんは、1963年に最高賞に輝いた映画「山猫」などに出演したが、同映画祭での個人の受賞は、これまでなかったそうだ。

https://www.sankei.com/world/news/190520/wor1905200001-n1.html

 


速読とお経について

2019年05月23日 16時31分02秒 | コミュニティライフ

 

現代の情報主流の社会では日常の何から何まで活字に振り回されているといってもよいほどですね。

ところで、一言で情報社会といってもその情報の取得や活用の種類は様々です。

例えば、学校で学ぶ勉強も重要で有力な情報といえますね。

また、家庭内の子供への教育や家の近所の噂や評価などもみな有力な情報ですね。

それらは一方的に外部から受ける情報ですが、自分の好みでも選べる本やテレビ、インターネットなどから得る大衆的な情報というものはどのように選択したらよいのでしょうか?

それらのように自分で選択できる情報に対してはただ漠然と受け止めるような姿勢では自分で情報を選んでいるという価値観を無駄にしてしまうかもしれません。

だから、時間の無駄遣いにならないように自分で選んだ責任上はその情報時間を自分でうまく有意義なものにしていかなければなりませんよね。

情報時間を一方的に提供しているテレビなどではその時間内はテレビに縛られていなければなりません。

つまり、テレビの良いところは見て、聞こえ、瞬時に理解することができることですが、その点は学校の授業に出席して直接先生と接する対話によるリアルな情報の価値観にはかなわないようです。

 

仏教においてもお経という経典書物は一番重要とされていますが、早く理解するためには説法を直接聞くことです。

そして、説法を説く者にとっては先ず経典をしっかり読んで内容を知らなければなりません。

しかし、経典とはそう簡単に理解できるようには書かれていません。

あっちを読んだりこっちを読み返したり、とても時間がかかります。

つまり、経典とは一度読んだだけでは理解できないことを誰もが知っています。

だから、お経を学ぶ入門は速読と同じなのです。

最初からお経をじっくり理解しようと努力するよりも、ただ先へ先へと思い切り速読をしていけば良いのです。

その中で自分自身にとって重要なことだけが頭に残ってきます。

お経とはとにかく早く他者へ説法してあげるための教本なのです。

つまり、説法してあげることが一番重要なのであって、そのために学習する大事なお経本は手っ取り早く重要なことだけを知るためにあるのです。

教わるプロよりも教えるプロになることです。

それを教えているのが仏教なのです。

 

第5-23日 Vol.135  香の六銖は價直娑婆世界なり