MailING!日月説法日誌

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故はイカン

世の中 金でもない勉強でもない

2009年11月27日 11時50分22秒 | まちづくり
この世で一番「大切なもの」そして「大事なもの」は何だろう
大切なものは家族、金、地位、名誉など、ある意味では全く失うこともあるものだ
大事なものとは、切っても切れないもの、必ずしなければならないことなのだと思う

大切なものとは一応公平に一旦は誰にも可能性を与えられると共に
平均化させるため、その人間の得意と苦手を入れ替えさせられることも時としてあり得る
つまり、苦手分野を先ず克服することが要求される世の中だ
しかし、そのために持って生まれた得意分野を活かせれない職業に就くことになったり、
本来の自分自身の才能を忘れてしまい、取り戻すことすらできないことも
人生には不幸にしてよくあることだろう

それでも、天命を全うすることは大切なことであり、自分自身を取り戻すことは一番大事なことだ
しかし、一旦、自身とは違う大切なことは、ある意味では楽しく、それに夢中になっているうちに
本来の自身の道に戻ることはとても難しいことになる
一旦失った自分自身を取り戻すということは容易なことではなく、人生において一番厳しいことだ
その一番厳しいことをすることが、この世で一番大事なことなのだと思えてきた

商業と工業の連携の違い

2009年11月10日 20時08分22秒 | まちづくり
全国どこの商店街も活気がなくなって長年が過ぎます
なぜなのか、通常の理屈ではわからないことに違いありません
大型デパートも倒産が相次ぎ、消費者は誰もが通販なのか?
と言ってもそうでもないようですし、
どうやら、商業社会に工業化が始まったためではないかと私は思います

かつて、商店街は地域間の情報にあふれ、商店同士が
素晴らしい結束力を保持していた時代もありました
しかし、その結束力が逆に客足や商店自体の衰退につながった
とは、考えられないでしょうか?

建築を含め、工業社会では結束を持つことが何より大事で、
結束からはずれて孤立しだしたなら、工業社会では生き残っていけません
結局、工業社会で孤立したら、生活のためには商売を起こし自営していくしかない
という考えも生じてくるかと思います
でしたら、商業とはその基本は孤立な自営策が歴史の根底にあるのかもしれません

工業社会は、仲間作りが大事であっても、決して商業社会ほどの消費者を巻き込んでの
賑わいが表面的にあるものではありません
工業社会のつながりとは、工業同士、倒産を防止するためのマイナス面を補正し合う
つながりがメインといえます
そして、商業のつながりはお客がメイン、即ち、プラス面が大事で
マイナスのつながりは意味を持ちません
商業同士は各々孤立しながらも、お客とだけのプラスのつながりさえ保持すれば
やっていけるでしょう
逆に商業は、お客以上のプラスのつながりを商業同士が持ったら、
商業をやめて、工業へ勤めだしたほうがよいという理屈にもなるといえるでしょう

連携とは、マイナスを補正し合うものだと私は思いますが、
その点、商業は連携がうまくはいかない、元々、単独なお客商売なのだと思います
あえて言うなら、商業はプラス面だけのお客との連携なのだと思います

商業と工業は違う!
連携を考えるとき、大切に考えなければならない理屈ではないかと思います

異業種連携について

2009年11月04日 10時28分54秒 | まちづくり
異業種が別々の問題や悩みを持ち寄って集うことは貴重なメモリーである
中でも農業など、今最大のピンチと言われている一次産業との交流は特に場を盛り上げる
ところで、異業種各々が経済的ピンチにおいてこそ、集うことに意義があると私は思う
これが、各々が経済的ゆとりで集ったところで何の意味もない
単に総合的なビジネスを意味するだけである
だから、各々が切ない時だからこそ、連携も意味がある
各々の業種にはそれらを成り立たせるための歴史上の仕組がある
成り立たせるということはプラスの要件である
連携において異業種がそのプラスの面を各々に披露しても話にはならない
連携が話し合いになるには必ずマイナスな面が必要だ
マイナスにおいてはじめて異業種は共通するのである
だから、異業種連携において何かヒットしたからといって
そのヒットした材料で話し合うことに問題と終焉がある
出会いがあれば、いずれ別れもあるのだ
集団お見合いでカップル成立のようなものだ
その後は集団とプライベートな別れがある
業種各々にしてもプラス面とマイナス面がある
マイナス面があるから各々の業種はまとまっていられる
異業種連携の意義とは、各々の業種においてマイナス面に立ち戻れ!ではないのか