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良寛と有願和尚

2014年05月11日 17時26分16秒 | 介護福祉
今日は、私の家から近くの分水良寛史料館の春の特別展記念講演会に行ってきました。
演題は「良寛と有願和尚」、講師には全国良寛会副会長で新潟大学加藤信一名誉教授が来られました。
私はこの講演会を市の広報で知っただけで行ってみたのですが、案外多くの人が参加していました。

実は、分水良寛会というのがあって昨年春から私は初めて入会させてもらっていました。
良寛に関わり深い地域に住んでいて何も知らなければおかしいと思っていましたし、近くに良寛史料館があるのだから、私の住んでいる地域で日頃話題などあっても良さそうなのに不思議となかった、それが今更にも不思議だったのでした。

ところで、私の住む分水のまちは良寛さんでも有名ですが、他にさまざまな歴史が混合しているのです。
良寛さんの歴史以前にもさまざまな仏教に関する歴史があります。
それらが地元ではほとんどひも解けていないということをあらためて疑問になるまでに50歳くらい軽く過ぎてしまうといった地域なのでしょう。

歴史があるのにその歴史が全然話題に登らない不思議な地域なのです。
実際に歴史に関わるかどうかで大違いな地域でありまして、昨年から良寛会へ入ることで急転身し出したようなことです。

今日の講演会では有願和尚についてだったのですが、良寛さんにとってはとても信仰があったはずの有願和尚らしいですが、実は有願和尚の残した記録の中には良寛について記したようなものがなかったのが現実だったようです。
良寛さんは有願和尚が亡くなった時、知らずに訪問してわかったらしく、何も知らないままに居なくなっているなんてという和歌を書き残しているそうです。
今日の講師の加藤名誉教授も有願を研究したくなったきっかけはそういう疑問点にあったと話されておりました。

加藤教授は講演の後、史料館内の展示物の説明にも参加者を案内してくださいました。その際、史料館からいただいた資料によると、有願とは、三条市代官島の庄屋、田澤家に生れたと記されていました。
私はこの田澤家という名に何となくピンときました。
これは、明治の大河津分水工事の時の工事の中心となった田沢実入という実業家の家と関係筋ではないかということでした。

この地域では何でも金持が天下であり、庄屋といえばありとあらゆることをしていたわけでしょうから、当然金持のつながりでしかないと思えるのです。
良寛さんの家も問屋をしていて、その後に庄屋をさせられたのでしょうから、有願和尚が庄屋の生まれということは当然の金持同士のつながりはどこまでもこの地域を決定しているのです。

まあ・・よくありそうな変な話ですが、有願とは信濃川右岸、左岸は良寛の出雲崎側で、よきライバルだったといえるのでしょう。金持同士だから案外単純明快な謎な戦いをしているものと視点を変えてみると解かることが多いような地域だからです。






良寛と有願和尚はお金持ち

2014年05月11日 17時26分16秒 | 介護福祉
今日は、私の家から近くの分水良寛史料館の春の特別展記念講演会に行ってきました。
演題は「良寛と有願和尚」、講師には全国良寛会副会長で新潟大学加藤信一名誉教授が来られました。
私はこの講演会を市の広報で知っただけで行ってみたのですが、案外多くの人が参加していました。

実は、分水良寛会というのがあって昨年春から私は初めて入会させてもらっていました。
良寛に関わり深い地域に住んでいて何も知らなければおかしいと思っていましたし、近くに良寛史料館があるのだから、私の住んでいる地域で日頃話題などあっても良さそうなのに不思議となかった、それが今更にも不思議だったのでした。

ところで、私の住む分水のまちは良寛さんでも有名ですが、他にさまざまな歴史が混合しているのです。
良寛さんの歴史以前にもさまざまな仏教に関する歴史があります。
それらが地元ではほとんどひも解けていないということをあらためて疑問になるまでに50歳くらい軽く過ぎてしまうといった地域なのでしょう。

歴史があるのにその歴史が全然話題に登らない不思議な地域なのです。
実際に歴史に関わるかどうかで大違いな地域でありまして、昨年から良寛会へ入ることで急転身し出したようなことです。

今日の講演会では有願和尚についてだったのですが、良寛さんにとってはとても信仰があったはずの有願和尚らしいですが、実は有願和尚の残した記録の中には良寛について記したようなものがなかったのが現実だったようです。
良寛さんは有願和尚が亡くなった時、知らずに訪問してわかったらしく、何も知らないままに居なくなっているなんてという和歌を書き残しているそうです。
今日の講師の加藤名誉教授も有願を研究したくなったきっかけはそういう疑問点にあったと話されておりました。

加藤教授は講演の後、史料館内の展示物の説明にも参加者を案内してくださいました。その際、史料館からいただいた資料によると、有願とは、三条市代官島の庄屋、田澤家に生れたと記されていました。
私はこの田澤家という名に何となくピンときました。
これは、明治の大河津分水工事の時の工事の中心となった田沢実入という実業家の家と関係筋ではないかということでした。

この地域では何でも金持が天下であり、庄屋といえばありとあらゆることをしていたわけでしょうから、当然金持のつながりでしかないと思えるのです。
良寛さんの家も問屋をしていて、その後に庄屋をさせられたのでしょうから、有願和尚が庄屋の生まれということは当然の金持同士のつながりはどこまでもこの地域を決定しているのです。

まあ・・よくありそうな変な話ですが、有願とは信濃川右岸、左岸は良寛の出雲崎側で、よきライバルだったといえるのでしょう。金持同士だから案外単純明快な謎な戦いをしているものと視点を変えてみると解かることが多いような地域です。



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不平不満を捨て去れば成功する

2012年05月29日 17時13分11秒 | 介護福祉
「波紋」

静かな池に小石を投げよ
まるい波紋が
大きく大きくひろがって
どこまでも延びてゆく
人間の考えも行いも
善悪ともに
ひとたび動いた心の波は
永遠にのびていく
時間をこえ空間をこえて
無限にひろがってゆく
正しい波悦びの波の源をつくれ

後藤静香先生著 『権威』より

老後って素晴らしい!

2012年05月22日 20時57分22秒 | 介護福祉
介護の仕事に就いて3ヶ月が経とうとしています。
本当にこの仕事をして良かったと思っているこの頃で、日に日にその感情はアップし続けています。
訪問入浴介護をしていますが、最初は、なんか変な奴が新人でやってきた・・という感じで見られていたんですが、自分でも最初なんだから当たり前だろうって感じで、気にせず(実は相当参りました)それでも一生懸命に働きました。
働き始めてすぐにこの仕事はいい!と思えました。
通常の会社に比べたら、なんて心が通い合う素敵な職業なんだろうと思えたのです。
それはなんと言っても利用者の老人の素晴らしさです。
人生経験というか、頑張ろうという意気込みがたとえ力弱くても確かに伝わってくるのです。
自分が介入して力付いてもらったという満足感も正直に感じます。
自分はどちらかと言うと人付き合いは暗い性格と思われがちなんですが、そのままストレートに接してくれる老人の方々に、自分にとってはフィーリングバッチリなのです。人間はこうあらねばならないと思うのです。
そして自分自身でも不思議と早く老後を迎えたいなんて気持ちにもなってくるのです。
これは決して騙されているわけではありません。
これからどうなる?それが解らないほうが幸せじゃないですか。
今までこの先どうなるかの心配ばかりしていた自分が吹っ切れてとても幸せな気持ちです。
本当に私たちの老後はどうなるのだろうか?今から考えてもワクワクするのです。
自分の好きなように変えていかなければ損ですよね。その判断を与えてくれるのが老人の方々なのです。
私の家にも一人老人がいます。どうしても長生きして欲しいです。しかし、他人の老人に接することがとてもインパクトありますね。
世の中にはいろんな家がある。それぞれが違う、それが老後の生きがい(ファクター)ですね。

お客様を大切にする

2012年05月14日 17時41分23秒 | 介護福祉
『お客様を大切にする』なんて事を今更わかってきた私です。
人間同士は嫌われてしまえば逆に楽だってこともあり、今まで住宅設計に関わってきた私にとって恥ずかしながら、そんな考えが一番無難で良いではなんて考えていたのです。それは建築社会の常識だったのかもしれません。他人のプライベートな私生活にわざわざ大きなお世話だと思われればそうだったのかもしれません。
そして今更感付いたのです。建築と言えばもっとも私生活の器を作るわけだし、他人の私生活とは切っても切れない職業だとばかり思っていたのです。しかし、建築業こそ他人の私生活からはもっとも縁遠い職業であるということを初めて思い知らされているのです。
建築業が一般人の私生活までに浸透してきたなんて錯覚を喜ぶ事態、全く勘違いだったと思うのです。お客を思わない建築屋だったので、近頃のバリアフリーの介護住宅などで手すりやスロープ、段差解消などの設計はほとんど手につかない状態でした。
今、介護職の世界を選んで1年近く経ちますが、やっと解ってきたのは本当にどこまでもお客様の気持ちにならなければ本当に良いものは作れないし、仕事の喜びも得れないままに、自分だけはそうではないと思っていても結局、自分の収入利益をどう作り出すかしか考えていなかったのです。他人の生活を創る職業が自分の生活を作る事を優先に仕事に励んでいた所でしょうがないですよね・・

聞きなれた言葉だけど、『お客様を大切にする』・・・これを知った私は断然自身の私生活が変わってきました。お客様の幸せの向上を図る、これが自身の未知なる将来への希望につながるということです。