昨年の暮れのある日のこと。テルアビブのヨガスタジオで共にティーチャートレーニングを受講しているクラスメイトから声がかかりました。
「あなたが住んでいる街でグループレッスンをしているんだけど、よかったら私の跡を引き継いでくれない?」と。どうやら彼女は、バスを乗り換えて片道一時間以上かけて通うのが最近しんどくなってしまったらしいのです。
思わず、「えっ、誰?私が!?」と返すと、「そうよ。何か問題ある?」と彼女。
聞くところによると、クラスの構成は、フランス、アメリカ、イスラエル等の多国籍な学生さん達が中心。ヘブライ語があまり分からない人もいるので、レッスンは主に英語でガイドするのだとか。
「これが日本語でのレッスンなら飛びつくんだけど、英語は…う~ん、ちょっとねぇ…自信ないなぁ…。」
と、ためらいモード全開でなんとか諦めてもらえないかと目論むものの効果なし。私の戸惑いに対し、まるで理解を示そうとしない彼女の姿勢に根負けして、「それじゃ、ちょっと考えてみるね。」とだけ告げ、その日は解放してもらったのでした。
恐るべし、イスラエル魂。
イスラエル人との付き合いはかれこれ十数年になりますが、私の知る限り、新しいチャレンジに対し彼らは「不可能」という概念をほとんど持ち合わせていません。
何かアイデアが浮かぶ。その結果を案じるよりも、とにかくやってみる。結果が良ければハッピーだし、ダメならダメでひととおり凹んでから「はい、次!」という風に、彼らは心のシフトがとても簡潔。
私にしてみれば、「チャレンジの前に、もうちょっと慎重になったほうがいいんじゃないの?」と思うことも度々。
それほどに、日本のことわざ「案ずるより産むが易し」を体現しまくる人たちです。
そして、それが自分以外の人にも当てはまると思っているフシがなきにしもあらずな今回の提案。
「どうしようかな~」(正しくは「どうやって断ろうかな~」)と悩んでいると、件のグループレッスンを取りまとめている人物から直接メールが送られてきました。
内容はクラスメイトから聞いていたのと同じもの。
返事を書くにあたり私は、上手いこと断る理由を考えるのが面倒になってしまったので、YesでもNoでもなく、自分が今ひとつ踏み切れない根拠を正直に打ち明けることにしました。
これでも私の中では精一杯の「産むが易し」の行動です。
〔以下、『』内は私が書いた返事の概要です。〕
『実は英語でヨガを教えた経験がなく、そもそも英語自体あまり流暢ではないので、きちんとクラスをリードできるか心配です。
それでもそちらで大丈夫という判断であれば、スケジュールを調整しますので、グループの皆さんとご検討ください。』
私の中では「それでは、一度試しにやってみて、その後のことは再度話し合って決めましょう。」くらいのやんわりした返事がくることが想定されていたのですが、これまた見事に的外れな反応が…。
グループ内で検討したとは到底思えないスピードで、「そういうことなら、こちらは全然問題ないんで。んじゃ、年明けからヨロシク!」的な返事が返ってきました。
また、そのやりとりと同時進行で、グループレッスンの件を周囲の人にも打ち明けていたところ、「すごいじゃない!ぜひチャレンジしてみなよ。」とか「言葉だけがコミュニケーションじゃないしね。」などといった励ましを受け、「あれ???もしかして“不可能”にしがみついているのって私だけ?」と気付いたわけです。
自分で自分に限界を設けて何もせずに諦めるのは、「本当に出来ない」こととは違います。
「ならば、“出来るかもしれない”という可能性に賭けてみてもいいかも。」
そう心が傾いたら、いきなり気持ちがスッキリ&さっぱり。おまけにワクワク。
「な~んだ、本当はやりたかったんじゃないの。」ともう一人の自分が意地悪く囁いてきました。
こうして、思いがけず舞い込んできたチャンスに、年明け早々挑むことになったのです。
可能性を肯定するところに夢とロマンと成長がある。
この続きはまた次の機会に。
ナマステ&シャローム
Nozomi
「あなたが住んでいる街でグループレッスンをしているんだけど、よかったら私の跡を引き継いでくれない?」と。どうやら彼女は、バスを乗り換えて片道一時間以上かけて通うのが最近しんどくなってしまったらしいのです。
思わず、「えっ、誰?私が!?」と返すと、「そうよ。何か問題ある?」と彼女。
聞くところによると、クラスの構成は、フランス、アメリカ、イスラエル等の多国籍な学生さん達が中心。ヘブライ語があまり分からない人もいるので、レッスンは主に英語でガイドするのだとか。
「これが日本語でのレッスンなら飛びつくんだけど、英語は…う~ん、ちょっとねぇ…自信ないなぁ…。」
と、ためらいモード全開でなんとか諦めてもらえないかと目論むものの効果なし。私の戸惑いに対し、まるで理解を示そうとしない彼女の姿勢に根負けして、「それじゃ、ちょっと考えてみるね。」とだけ告げ、その日は解放してもらったのでした。
恐るべし、イスラエル魂。
イスラエル人との付き合いはかれこれ十数年になりますが、私の知る限り、新しいチャレンジに対し彼らは「不可能」という概念をほとんど持ち合わせていません。
何かアイデアが浮かぶ。その結果を案じるよりも、とにかくやってみる。結果が良ければハッピーだし、ダメならダメでひととおり凹んでから「はい、次!」という風に、彼らは心のシフトがとても簡潔。
私にしてみれば、「チャレンジの前に、もうちょっと慎重になったほうがいいんじゃないの?」と思うことも度々。
それほどに、日本のことわざ「案ずるより産むが易し」を体現しまくる人たちです。
そして、それが自分以外の人にも当てはまると思っているフシがなきにしもあらずな今回の提案。
「どうしようかな~」(正しくは「どうやって断ろうかな~」)と悩んでいると、件のグループレッスンを取りまとめている人物から直接メールが送られてきました。
内容はクラスメイトから聞いていたのと同じもの。
返事を書くにあたり私は、上手いこと断る理由を考えるのが面倒になってしまったので、YesでもNoでもなく、自分が今ひとつ踏み切れない根拠を正直に打ち明けることにしました。
これでも私の中では精一杯の「産むが易し」の行動です。
〔以下、『』内は私が書いた返事の概要です。〕
『実は英語でヨガを教えた経験がなく、そもそも英語自体あまり流暢ではないので、きちんとクラスをリードできるか心配です。
それでもそちらで大丈夫という判断であれば、スケジュールを調整しますので、グループの皆さんとご検討ください。』
私の中では「それでは、一度試しにやってみて、その後のことは再度話し合って決めましょう。」くらいのやんわりした返事がくることが想定されていたのですが、これまた見事に的外れな反応が…。
グループ内で検討したとは到底思えないスピードで、「そういうことなら、こちらは全然問題ないんで。んじゃ、年明けからヨロシク!」的な返事が返ってきました。
また、そのやりとりと同時進行で、グループレッスンの件を周囲の人にも打ち明けていたところ、「すごいじゃない!ぜひチャレンジしてみなよ。」とか「言葉だけがコミュニケーションじゃないしね。」などといった励ましを受け、「あれ???もしかして“不可能”にしがみついているのって私だけ?」と気付いたわけです。
自分で自分に限界を設けて何もせずに諦めるのは、「本当に出来ない」こととは違います。
「ならば、“出来るかもしれない”という可能性に賭けてみてもいいかも。」
そう心が傾いたら、いきなり気持ちがスッキリ&さっぱり。おまけにワクワク。
「な~んだ、本当はやりたかったんじゃないの。」ともう一人の自分が意地悪く囁いてきました。
こうして、思いがけず舞い込んできたチャンスに、年明け早々挑むことになったのです。
可能性を肯定するところに夢とロマンと成長がある。
この続きはまた次の機会に。
ナマステ&シャローム
Nozomi
君が経験してきたことはもっと誇っていいのですよ。きっと。
ま、俺も躊躇する気持ちはわからんでもないけどさ。もっと大胆に「俺らはすごい!」と思いこもう。と自分に言う。
母曰く「ぃや~、何語か気になっていたのよ、で、聞いてみたの、だって日本語にとっても似ているんですもの」と。 要するに中身が重要で、この国に居る人たちって(含む住人)良ければ何でもすんなり受け入れる器もあるよね?
すごい!クラスメイトの人も、普段の姿を見て「この人なら大丈夫」と思って依頼したのだと思います。自信を持って取り組んでしまっていいと思います。
わたしも、いつも特許関係のお仕事をくれる人から連絡があって、やったこともない分野で、日本語でさえ説明が難しい文書の翻訳を頼まれたんだけど、
「義理もあるし無下に断れないけど、どうやって丁寧に断ろうか・・・」と悩んで、遠まわしにそのお仕事受けたくないモードをかもしだしていたんだけど、「大丈夫、君ならなんかとできるから。じゃよろしく」とあっさり仕事をふられちゃいました。
信頼してくれて依頼してくれたのだからしっかりやらなくちゃと背筋が伸びる思いですが、ちょっと胃が痛い…(笑)
すごい機会が舞い込んできていたのですね☆
可能性を肯定する。
とても前向きで勇気ある考え方、見習わなければ!
続きのお話しが気になるところです(^.^)
そうだね。自分が経験してきたことにもっと胸を張っていいのかもしれない。
人生で出会ってきた人たちに対して心から誇らしく思っているのと同じように。
いつも、いつまでも。
「受け入れてもらえないだろう」と構えているのは、実はこちらだけだったりすること多いね。
自分が思ってるほど相手は壁を感じてないみたいだし。
メンタリティーの面では非常に押しが強い人たちだけども、意外と受け皿は相当広いみたい。
お義母さまのそんなところがチャーミングだなと感じました。
だから、内心は嬉しかったんですよね。
そんなこともあって、ストレートなNoが出てこなかったのかもしれません。
お互いに思い切ってやってみるのみ、ですね。
そうなんです。あれよあれよといううちに、ステージが用意されました。
日本人というだけで“東洋の神秘”のようなものが勝手に付加価値としてついてくるのはお得だな、と。(笑)
続きは近いうちにアップしますので、どうぞお楽しみに☆
波に乗ってしまう方がシンプル&スムーズに動く気がします。
Nozomi!!私、ニヤニヤしちゃいました!
ホントに嬉しい!
あなたに合っている!
Nozomiのまま、そのまんまでいいんだよー!!
そのまんまが、いいんだ。
楽しみです。応援してます。
1月23日から木星が牡羊サインに移動しました。
これから半年間は、
「とりあえずやってみると可能性がどんどん開いていくよ!いえーい♪」が
この地球の「流れ」を象徴する
キーワードのひとつ。
もちろんぜんぶ「星のせい」ではないことを重々承知しつつ(あたりまえだ!)・・・・
「とりあえずやってみる」こと以上の「保険」はないよね♪
おめでとう。こころから応援しています。