Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

ありったけの愛を

2011-02-28 18:43:57 | 日記
 初めて彼女と出会ったのは、わが家の子供たちが転入生としてイスラエルの小学校に初登校する日でした。

 その日は始業式だったのですが、新一年生ならいざ知らず、当時2年生になる娘の教室にまで付き添う親御さんが何人もいて驚いたものです。それだけではなく、自分の子供がどの席に座るのかを、担任の先生そっちのけでお母さん同士が競っている様に、私はもうただただ呆気にとられるばかり。

 実は彼女もその中の一人。おそらく、わが娘のために一番奮闘していたお母さんです。

 スキンヘッドにアイライナーをしっかり引いた大きな目、シンプルなTシャツにスリムのジーンズ、足元には流行りのサンダルがキマっています。

 否が応にも目を引く存在。
 「うわーっ、パンクなママがいる!」というのが私の彼女に対する第一印象。
 

 しかし、間もなくして先に親しくなった別のお母さんから、彼女が癌を患っているのだということを聞かされました。
 
 「なるほど、そういうことだったのか」という一応の理解、つまり、抗がん剤の副作用で頭髪が抜け落ちたのだということは分かったのだけれども、その一方で、いつ見ても溌剌としている彼女の様子と、癌という大きな病気とがどうしても結びつかない。


 そうこうするうちに娘同士が仲良くなり、私自身も彼女と会話を交わすことが増えてきましたが、文字通り、竹を割ったような性格の女性で、いつも屈託のない態度で接してくれるものだから、彼女の病気のことが頭をかすめても、私は何かの間違いなんじゃないかと思ってしまうほどです。

 
 元来じっとしていられない性格だったのか、それとも病気について考え悩む時間を作らないようにしていたのか分かりませんが、まぁとにかくエネルギッシュな女性です。

 仕事も毎日していましたし、子供たちの面倒もきっちり見ていました。
 薬の副作用などを考えると、体力的にも相当しんどかったに違いないと思うのですが、それでも子供たちを車に乗せて、あちらこちらへと精力的に出かけて行くのをよく見かけたものです。

 今思えば、それはまさに、ありったけの愛情を注ぐ母親の姿。


 


 その姿を、こんなにも早く見ることができなくなってしまうとは。

 昨日の未明に彼女がこの世を去ったことが、今こうして書いている間も私は信じられないでいます。
 
 家族同士で一緒に旅行に出かけた時のこと、彼女の声、笑顔、温もりがこうもはっきりと思い出せるというのに。

 
 これこそが何かの間違いなんじゃないか、と。


 ついこの間、車を運転しているのを見かけたのが最後になるなんて。
 


 自分の中で勝手に彼女の寿命を先延ばしにしていたために、直接伝えることができなかったけれども、 


 Flori、あなたに出会えて私は本当に嬉しかった。

 Rest in peace.


Love,
Nozomi

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6 コメント

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分かっていたのかも ()
2011-02-28 22:06:30
そんなに遠くじゃない未来にそういう時が来る事を、彼女だけには分かっていたのかもしれないと、読んでいてフッと思いました。
彼女を知らない私だけど、nozomiの文章に入ってしまい、込上げるものがあったよ。

限られた中で出来る限りの自分を、全うした彼女。

沢山の悔しい涙を一人で流しながら、子供の前ではきっと見せずに最後まで母親を貫き通したであろう彼女。

同じ女性として、もし私だったら・・と考えずには読めませんでした。

ただ長く生きていればいい人生ではない。
何が幸せか。人には決められないけど、
彼女の輝く母親の姿を支えに、きっと素敵な大人に子供たちは成長していくような気がします。
そして、短い人生で子供を残したままこの世を去る事になった素敵なnozomiのお友達も、最後は、満足した思いで安らかに眠ってくれているように、心から祈ります。
そして、みんなの中で一生、彼女は生き続けていきますように。
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Unknown (G)
2011-03-01 00:45:26
ん、俺の姉も去年 発癌して抗がん剤治療したんだよ。けっして仲良い関係じゃないけど、あの人ならではの強さを感じたよ。

そして自分はどうかと問うた。

うまいこといえないけど、いつだって思ってる
ことは「伝えれるときに伝えておこう」ということです。
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☆ 横さん ☆ (Nozomi)
2011-03-02 06:26:44
宣告された運命を押しのけるように毎日を生きていた彼女は、本当に誰よりも活き活きと輝いていました。
残された二人の子供たちが母親との思い出のすべてを記憶に留めておくのはおそらく難しいかもしれません。

だからこそ「君たちのお母さんは命ある限り君たちを愛し抜いたんだ」ってことを彼らに語って聞かせてあげなくちゃいけない。
それは私も含め、彼女の愛に触れた人間の使命だと考えています。

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☆ Gさん ☆ (Nozomi)
2011-03-02 06:58:57
お姉さんに そんなことがあったんだね。
無事に克服されたのかな。そうだといいなと心から思います。

健やかであると、明日という未来が当たり前に感じられて、今日という日につい胡坐をかいてしまう。
本当は明日というものほど不確かなものはないのにね。

だから、伝えられるうちに伝えておきます。
あなたは私にとって、とても特別で大切な人だってことを。

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感謝 (piyo)
2011-03-04 17:54:12
最近、自分の幼い頃の写真を見る機会がありました。
そのきっかけは、身内の不幸からだったのだけど
写真を見ながら、あたしって、こんなに愛されてたんだなぁって
家族の表情を見ていて、あらためて気づきました。

スキンシップだけが愛情表現じゃないっていうけど
きっとその方は、今でも愛情を注ぎ続けていると思いました。
ただ少し、距離が離れてしまっただけ
私たちの目に見えなくなってしまっただけ。

…きっとそうだと思っていても、残された者は悲しい。
(宗教上、そう思えない場合もあるかも知れないけど。)

残された人たちも、残していくしかなかった彼女も
みんな、悲しみが癒されていきますように。
こういうカタチですが、出会えたことに、ありがとう。
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☆piyoさん☆ (Nozomi)
2011-03-06 03:45:47
大人になって振り返ってみると、子供の頃には理解することのできなかったことを
広く深く理解することができるようになりますね。
自分が愛されていたこと、そして、そこに条件などなかったことがわかってくる。
「なぜ、もっと早くに気付けなかったんだろう」と思ったことが私にはあります。

けれども、かつて私に注がれた愛情は今も尚、変わらずに私を育んでいる。
彼女の愛情もきっとそうなのであろう。
piyoさんのコメントから そんなことを思いました。
どうもありがとう。



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