インターネットがなかなか繋がらなかったので、イスラエルに戻ってからの久々の更新です。
少しばかり長い道のりになるので、今回はエアコン付きの車にした。交通量が少ないので渋滞知らずのうちに目的地に到着できるというのはありがたい。
キューバのタクシードライバーはナビを使わずに目的地付近まで行ってから、地元の人に道を尋ねるという昔ながらのスタイル。旅気分が出て良い。
さて、トリニダードは小高い丘の上にある街で旧市街部分は完全なる石畳になっている。といっても、それ以外も石畳にセメントをざっと流し込んだだけのような粗い舗装なので、教えてもらわないと違いに気付けないほどだった。
首都という“よそ行き感”を纏ったハバナとは違い、ここは今回訪れた中で一番キューバらしさがむき出しになっているような土地だった。
色とりどりの古びた家々、錆び付いた窓の鉄格子、半世紀モノの車から吐き出される排気ガス、行き交う馬車、軒先に座り込んでいる人々、道端で遊びまわる子供達、すっからかんの商品棚、そしてあちこちから聴こえてくる音楽。
全くもって勝手がわからないので、ここでは現地の人に半日案内をしてもらい、街の歴史やキューバの内情なども色々教わった。
古くは港町だったが、幾度も海賊に襲われたため、海から少し離れた現在の場所に街の中心を移したそう。また、港町とし栄えていた頃には砂糖などの作物の他に奴隷貿易も盛んに行われていて、ガイドの彼は繰り返し「残念ながら悲しい過去は変えられないんです」と口にしていた。
又、現在の人々の暮らしは闇市に支えられていることも知る。
確かにキューバに来て一番衝撃だったのは、非常に物が手に入りにくい国であるということ。たとえば、娘がヘアブラシを忘れてきたのでどこかで買えたらと思っていたのだが、結局ヘアブラシを売っているのを見かけることなくキューバを後にしたのだった。
現地の人のスーパーでの食料や日用品の買い物は国が発行したカードでしかできず、おまけに政府が指定した数量以上は購入できないシステムになっているそう。そのためにどうしても闇市が半公認の形で現地の暮らしを循環させることになっているのだとか。ハバナでの初日「スーパーで観光客が買い物をしようなんて考えないほうがいい」と宿の主人に言われたことも思い出しながら、スーパーの袋ひとつにまとまりそうなくらいの僅かな日用品が一般家庭の玄関先や窓辺にポツポツと並べられているのを眺めていた。
われわれ外国人観光客相手のレストランや土産物店は現地通貨ペソも使えたが、宿やタクシーへの支払いは米ドルかクレジットカードを求められることがほとんどだった。キューバ人の経済活動と外国人の経済活動を通貨で分けることで国民の経済活動を制限&管理しているのだろうか。それでも貧富の差は外国人の目にも明らかで、この点については、たかが3週間の滞在では理解を深めることは難しかった。
経済面では不自由な部分もある一方、医療と教育は国民の権利としてしっかり保障されていて、中南米では両方ともレベルが高いという話だった。ついでに聞いた興味深い話は、サルサの踊れない男の子は女の子に相手にされないので、年頃になると必死に練習するとか。オシャレよりダンスというところに、キューバ人の音楽との繋がりの深さを新たに知る。
ヴァラデロは人口が少ない上に、コロナ禍に東洋人が珍しいからなのか、声を掛けられることが多かった。
中でも、ひとりでギターの弾き語りをしているお爺さんが「チャイナか?コリアか?」と聞いているようだったので、「ハポン(日本)」と答えると、「アー、ハポンか!サケ!サケ!サケ!」と満面の笑顔で連呼していたのは楽しい一場面。
旧市街の石畳
ここそこでキューバ音楽の生演奏
町のほとんどはヴィンテージカー
街で一番高い建物、チャペルの塔から
街を一望
泊まったホステルの中庭
ホステルの朝食
肉屋
売るものがない、現地の人向けのカフェバー
引退した汽車
6年前までは活躍していたそう
キューバを代表する陶芸家ご本人による実演
カンチャンチャラという蜂蜜入りのラム酒カクテルはこの器で飲むのが流儀
他にも美しい陶器の数々
ヴァラデロの夕陽
Nozomi
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