Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

ごめんね。そして、ありがとう。

2012-08-20 01:52:22 | 
長い夏休みをタイで過ごしてきたけれど、今日は休暇の様子ではなく、心の整理をしておきたいことを先に書き留めることにする。


彼女との出会いは中学1年の時。同じクラスになったのがきっかけ。
姓がア行の彼女が教室の窓側の前から3番目の席に座っていたことは今でもよく覚えている。
どちらから先に声をかけたのか、入学早々に気の合う友になっていた。互いの自宅も割と近かったので、よく遊びに行かせてもらった。
気さくな彼女のおかげで引っ込み思案の私の周りにも仲間が集まり、小学校の頃には味わえなかったいわゆる仲良しグループの一員にもなれた。

進級して別のクラスになってからも一緒によく遊んだ。
彼女とは思春期ならではのいろんな話をした。もちろん恋の話もした。私も彼女も片思いだった。


時はバンドブームの最中。休み時間ともなれば、学校の廊下で音楽の話をするのが私たちの常になっていた。
高校生になり、それぞれ別の友達ができてからもそれは変わらなかった。

思えば、彼女とは誰よりも何よりもたくさん音楽の話をした。
二人でとあるバンドに夢中になって、一緒にライブにも行った。
私が、どれほどとあるミュージシャンに胸をときめかせ、雲の上に手を伸ばそうとしているのかを、彼女は誰よりも知っていた。
そして、私が20年越しにその人と言葉を交わし、握手をし、名前まで覚えてもらったことを、自分のことのように心から喜んでくれたのも彼女だった。


スラリと手足が長く、そして底抜けにクリエイティブ。いつもスタイリッシュな彼女を私は密かに羨ましく思っていた。
そんな彼女が病に倒れたのは、本気の恋もこれからっていう時だった。
人生の半分をベッドの上で過ごすことになってしまったけれど、持ち前の明るさにはお見舞いに行くこちらが元気づけられたものだ。

私の結婚式にも無理を承知で招待したら、何週間も前から体調を整え車椅子で参加してくれた。
自らの闘病の記録をユーモア混じりで記した本を出版し、転んでもただで起きない強さをみせた。
最近では講演会やトークライブなどにも活躍の場を広げていた。


そんな彼女も、時折自分の将来を気にかけることがあり、初夏にもらったメールでは「残された時間があまりない」と訴えていた。

けれども、お見舞いの帰り際はいつだって「じゃ、またね」「うん、またね」が私たちの挨拶だったから、一年前に会いに行った時もきっとまたそのうち会えるって私は思い込んでいた。


最後にもらったメールの返信を私が先延ばしにしていたことを彼女はどう思っていたんだろう。
冷たいやつだと思ったままこの世を去ってしまったのだろうか。それとも「そんなの全然気にしてなかったよ~」といつもの調子でケロッとしてくれるのだろうか。
どちらにしても「ごめんね」とちゃんと伝えたかった。
そして、「ありがとう」も。



安らかに。
Nozomi

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