Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

教えること、教わること

2013-10-26 00:37:04 | 日記
今年に入ってから細々とだが自宅にてヨガのクラスを設けている。
これも何かのご縁なのだろう、一人の生徒さんから広がって数名の日本人の方が集まってくださるようになった。これまでの経験ではイスラエル人の他、欧米人を対象にヘブライ語や英語で舌を噛みつつという有り様だったので、再び母語である日本語で教えられるというのは何とも嬉しい限りである。

ところが、せっかく集まっていただいたものの、ヨガ初心者の方ばかりなのに私が教えられるヨガはよりによってとりわけスタミナの必要なアシュタンガヨガである。
もっとゆるいタイプのものを期待しておられたのかもしれないと思うと、自分の引き出しの少なさを申し訳なく思う。世間には、ハタヨガ全般、リラックス系からパワー系までひととおり教えられる先生がたくさんいる。が、私は不器用な上にこだわる、いや、不器用だからこそこだわざるを得ない。その結果、自分にとって最も魅力的なメソッドがアシュタンガヨガであった。

体験レッスンに来られる時、まず初めにお伝えしていることがある。「かなりスタミナの要るヨガです」と。そうすると皆さん一様にちょっと不安げなお顔になる。ヨガどころか普段から運動をされてない方は尚更である。「私、ここにいていいのかしら?」という心の声が伝わってくるようだ。だから、まずはこの不安を取り除くことが私の使命であると考えている。

そのため、解剖学などの解説も入れつつ簡単なバージョンを紹介しながら動くので、シークエンスは何度も途切れるのだが、それでも徐々に息が上がってきてしまう。ついていくのに必死な様子がかつての自分と重なって見える。初めて参加したアシュタンガのクラス、私は太陽礼拝Bですでに半泣きだった。ハーフプライマリーのレッドクラスだったので、アシュタンガ未経験者にはある意味とても不親切なのだと今ならわかる。ただその時は何も知識がないまま飛び込んだために「なんでこんなクラスに出ちゃったんだろう?早く終わってくれ・・・」とわが身の場違いぶりを嘆くことになってしまった。

そんな苦い経験が活かされているのか否か、「また次回もお願いします」と言われると私としては第一関門クリアである。それは生徒さん側にとっても同じかもしれない。
アシュタンガヨガは特徴的なメソッドなので好き嫌いがはっきりする。ハマる人はハマるし、そうでない人は「きついヨガ」と烙印を押して見向きもしないほどだ。だから、私はそれを踏まえて臨む。また、メソッドとの相性のみならず、講師との相性もあって当然だと思うので、そこは生徒さん自身に判断を委ねている。


教えるという経験を重ねながら、その行為は決して“メソッドの伝授”という一方通行ではないということに気づく。レッスン料という対価以上のものを、実は私も生徒さんたち一人一人から受け取っているし、教わっている。つまり、人に教えるということは、初心に立ち返る機会であり、自らがより一層学び続けなければならないということでもある。教えるという行為に値するだけのものを自分の内に培っていかなければならないのだから。


クラスに集ってくださる皆様に感謝しつつ。


ナマステ&シャローム
Nozomi

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