💓Cocomademoiselleココ・マドモアゼル💓富野有紀子のブログ💓

ビスクドールの制作日記 人形制作する私の紆余曲折しつつも飾り付けない素顔の毎日をご覧下さい

「感謝」

2009年06月03日 | ♥ 私の思う事

数日前に「最近、あの傲慢だった父が変わりつつある・・・」と掲載しましたが、その父が変わり始めたきっかけがありました。

私は毎晩、お風呂の時間に湯船に浸かりながら30分ほど「小林正観さん」の本を読んでいます。短編で読みやすい正観さんの本、その時開いたページの項目を読むのですが、開いたページが今の私に必要なメッセージが記されているように思い日々の生活の中で本で読んだメッセージを自分の中で取り入れて毎日を過ごしています。そして調度一ヶ月ほど前のある日の朝、たまたま早起きをした私は、いつもよりも早い時間に実家に出かけました。調度、信仰心の篤い父の朝のお勉めの時間。

父は一時間ものお経をあげる時間の間、常に口から出るのは「お経」と神様への「お願いの言葉」。「〇〇病院に癌で入院している〇〇さんの病状がよくなりますように・・・・」。「〇〇さんの怪我が一日も早く回復しますように」「有紀子が一日も早くいいご縁に恵まれますように・・・(これを言い続けてもう20年?笑)。」「〇〇さんとの契約が上手くいきますように・・・・・」・・・・・とにかく人の為・自分の為に沢山のお願い事を神様に祈る父。

聞き慣れた父のお経を聞きながらハッ!!っと気が付いた事がありました。前の晩にお風呂で私が読んだ正観さんの本は「神様に好かれる話」の本。父のお経を聞きながら父に足りない物は何か・・・・・・に気が付いたのです。それは「感謝」です。

1時間ものお経を終えた父に「いつも色々な事を神様にお願いしているけど、お願い事ばかりで神様に感謝した事ある?」っと質問してみました。父はその問いに「イエス」と答えられませんでした。そして私が前の晩に読んだ「神様に好かれる話」の中から「神様にはお願い事をするのではなくて感謝の言葉だけでいいらしい」の話をしたのです。

以前も掲載しましたが傲慢な父を見て気が付いた我が家の学習すべき点は「言葉(言霊ことだま)」だったのですが、私達家族に足りなかったのは「感謝」だとその時ようやく気が付きました。それは神様に対してだけでなく、周りの人に対しても、健康・当たり前の幸せ・当たり前の毎日・・・・全てに対してです。

父は、とても世話好きな人。時には「おせっかい」と言いたくなるほど他人に対して尽力します。その姿は、娘ながらに感心する事もしばしば。でもそれは相手に対して「こんなにもしてあげた」と恩をきせて「感謝される事」を期待する「自己満足」だと思ったのです。相手に対してよかれと一生懸命な父の気持ちは理解出来るのですが、どこかで相手からの見返りを期待し自分の求める答えを期待していたのだと気が付きました。その話を父にすると父は反論できません。私の言葉が的をついていたからでしょう。だから父が相手に対して「こんなにしてやったのに・・・・」っと思っているのに裏切られるのは相手が「感謝」の気持ちとして受け取っていたわけではなかったから。それはただ単に自分が「貸し」を作ったという自己満足の為だったからでしょう。

・・・・そう、「感謝」という心を忘れていたのです。

それは父だけの問題ではなくて私も含めた私達家族の問題のように感じています。それ以来、信仰心の篤い父は神様に好かれる為、今まで忘れていた「感謝」を心からするようになりました。神様に対してだけでなく今までにした事がなかった「家族」にも・・・・。そんな事があって、今、父は少しずつですが変わりつつあります。

そして父を見て私も色々と考える事、学ぶ事が一杯です。

去年の今頃は、母に離婚を勧め父との縁を切ってしまいたいとも思った私ですが、こうして変わりつつある父の成長を感じ私達家族がわずかではあるけれど成長する機会が与えられた今、父と縁を切らずに家族でいてよかった・・・・・・と感じる私です。それが家族として生まれた意義のようにも感じています。

まだまだ父が傲慢に生きてきた「つけ」は沢山あって、解決しなければならない問題が我が家には一杯ですが、わずかではあるけれど心の成長を実感しながら色々な事に「感謝」しつつ生きている喜びを感じる今日この頃なのです。