💓Cocomademoiselleココ・マドモアゼル💓富野有紀子のブログ💓

ビスクドールの制作日記 人形制作する私の紆余曲折しつつも飾り付けない素顔の毎日をご覧下さい

母が・・・・

2022年02月05日 | ♥ 私の思う事
母が1月20日に「脳出血」を発症し、
ずっと入院していたのですが
昨日、無事退院しました。
幸い手術には至らず
目に見える後遺症はありませんでした。

「後遺症が大した事無かった」
それが、1日参りの氏神様に心から感謝だったのです。

母が救急車で運ばれるまで。
変化の様子を参考までに聞いていただけたらと思います。
19日レッスン中に、弟からメールが。
母が電気ストーブでスリッパを焦がした!っと連絡が。
母は、玄関から一番奥にあるダイニングにいて、
弟は二階のダイニングの直ぐ上の部屋にいたのです。
広めの実家で、弟の部屋まで焦げ臭い匂いがして
ダイニングに下りて見たら
母はスリッパが半分焦げているのに
知らん顔してテレビを観ていたとか。
スリッパをきちんと履いておらず、足は何も無かったのですが
2階の奥の部屋まで煙が匂ったのに
気が付かなかった事が変でした。
頭が痛いと言い出したのですが、
普段から片頭痛がある母だったので
いつものように弟が肩を揉んで
しばらく寝るように言ったとラインが来たのです。
その時に、私は脳梗塞を疑って
「ちゃんと喋れてる?
両手を上げてみて?ってやってみて上がってる?」と
母の様子を尋ねたら
「大丈夫、出来てる」と弟。
ひとまず、寝かせて様子を見ていました。
その日の夜、また弟から連絡が・・・。
「今、来てみたらトイレに行く途中で失禁したみたいだよ!
その後、「私の部屋どこだった?」って聞いてきた!」と。
明らかにおかしいと思い、
次の日にいつものように整体に連れて行く予定にしていたのですが
病院に連れて行った方がいいと思ったのでした。
次の朝、早くにお迎えに行き
病院に連れて行こうとしたのですが
着替えが出来ておらず、それを手伝い
出掛けようと靴を履こうとしても
自分で履けなかったので、私が履かせて車に乗せ
近くのMRIのある脳神経内科に行ったのです。
MRIの結果「脳出血」を起しているという事で
救急車で半田病院に転送されたのでした。
これ以上出血しないように血圧を下げたり点滴等の処置をし
数日、集中治療室で経過観察になりましたが
出血は止まっているようで無事、退院となったのです。
コロナなので面会も出来ず、
リモートで少し様子を知る事は出来ても
どれぐらい後遺症が出ているのか正直とても不安でした。
大きな後遺症はなかったものの
昨日からの本人の様子を見ていると
少し記憶する事が出来ないようで
話した事を覚える事が出来ていないようです。
普段は電話番にチケットの発送業務もしていましたが
仕事は勿論、家事もまだまだ出来そうにはありませんが
大きな後遺症が出なくて本当に何よりでした。
今夜も両親と私の3人で夕飯を食べながら
父が母に
「お前はいい息子と娘がいて、幸せだな~!」と言ったので
「ママはパパと違って何よりも子供が一番という気持ちで
育ててくれたからね!
病院に行く日の朝、
靴が上手く履けないママの靴を履かせながら、
自分が子供の頃は、こうやってママが何度も私の靴を履かせてくれたんだな~っと思ったら
私がこれからは、何度もママの靴を履かせてあげようと思ったよ!」と
と言ったら、思わず涙が溢れてしまい
私を見た母も泣いてしまい、
私と母を見た父も思いがけず涙していました。
生きていると本当に色んな事がありますが、
こうして元気で母が戻ってきてくれて
本当によかったです♪

半身麻痺等の後遺症が出ていたら、
夜中のトイレに間に合わず失禁して「私の部屋は?」と言った時に
緊急の病院に連れて行くべきだったと後悔していたかもしれません。
そして、次の日に近くの病院に行ったのは
半田病院に行っても紹介状も無いし
診察まで待たされると思ってしまったのです。
実は、診察時間内でも「緊急の窓口」は別でやっているという事を
私は知らなかったのです。
最初から半田病院の「緊急の窓口」に連れて行けばよかったのです。
もっと言うなら、自分で歩く事が出来ても
おかしい!っと思ったら、明日の朝・・・じゃなくて
「救急車」を直ぐに呼ぶべきでした。
今回の反省点です。

ご参考になればと・・・。

一部の生徒さんには、本当にご心配をおかけしました。

これから、老いた両親のサポートが始まります。
お嫁にも行かず、親元にいた事を本当に幸せに感じます。
限られた時間をこれからは有効に使わないとね!
しばしノンビリ過ごしていましたが(^-^;
これからはピりっと自分を奮い立たせて
また頑張ります♪
ので、これからもどうぞ宜しくお願い致します(*^_^*)