イエスの復活について考える際の基礎の基礎(四福音書の比較) . . . 本文を読む
丸谷才一『定本 日本語のために』(新潮文庫)
未来の日本語のために(発出;1974年)
口語訳聖書の日本語批判の部分を書き出し
世界の文明国のなかで、プロテスタントが、これほど馬鹿ばかしい文体で書かれた聖書を読ませられてゐる国が、さういくつもあるとはぼくには思へない。 . . . 本文を読む
山口拓夢『短歌で読む哲学史』、いまさら哲学史を読む気はない。いろいろ短歌に触れていると、私が思っていた短歌とはかなり違うのではないか。この本で「短歌」を勉強したいと思う。短歌は単純に575・77の世界ではないようだ。というわけで、これは読むというより、一日一句づつ味わっていきたいと思う。著者の山口さんは大学で哲学を教えておられるが、若い頃から寺山修司さんの影響を受けて短歌を量産されているとのこと。 . . . 本文を読む
何カ所か「目から鱗」という経験をする。私はキリスト教徒の2代目半で、生まれたときから教会に出入りし、自宅が教会になった者である。つまりキリスト教の環境にどっぷりという私でさえ、この本を読んであまりにも知らなすぎることが多いことに驚く。 . . . 本文を読む
著名な国文学者に生まれ、自らもかなり戦闘的な国文学者でもあった高吉が、グリーン宣教師の感化を受けて、洗礼を受けキリスト者になったのは明治7年(1874)4月19日、高吉28歳の時である。一緒に洗礼を受けた者は11名で、この日に「摂津第一基督公会」(現今の神戸教会)が設立された。 . . . 本文を読む
2004年の春に、京都の関西セミナーハウスで春の協議会がもたれた。その時のテーマが「京都におけるキリスト教」で、私も発題させていただいた。同志社大学の神学部の教授が、新島先生と同志社との関係について報告され、私は京都という土地柄と関連して、松山高吉先生のことと京都大学における京都学派とキリスト教との関係について報告した。 . . . 本文を読む
第1回座談会 昭和16年(1941年)11月26日、「世界私的立場と日本」
同年12月8日、大東亜戦争の大紹渙發
第2回座談会 昭和17年3月4日、「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」
第3回座談会 昭和17年11月24日、「総力戦の哲学」 . . . 本文を読む
日本聖公会の教会では牧師の転勤があると新しく任命された教会において、日本聖公会祈祷書に基づいて教区主教により牧師任命式が必ず行われます。(日本聖公会祈祷書p.483)
ここに日本聖公会のける「牧師」の任務が明記されている。 . . . 本文を読む
この問題は、復活について論じる場合の基本的な問題で、学者の間ではこういうことが論じられているのかということを知って頂くためにも、以前にも一度掲載したことがありますが、その点だけを抜粋して再掲載しておきます。復活について真剣に考える場合の資料の一つです。 . . . 本文を読む