2008年を振り返って、今思うことは、ただ一言「感謝」である。特に、全主日の<講釈>と説教をブログにアップできたこと、依頼された主日礼拝の奉仕を欠かすことなくできたことは本当にうれしい。 . . . 本文を読む
今年の1月1日のブログでも紹介しましたが、ここ宗像地方では「鐘崎の数の子」と誇らしげに語り継がれる「ノオサバ」という珍味があります。今年の正月を迎えるに当たって、昨年と大きく違った点は、わたしたちが住んでいる近くの百姓さん福島家と親しくなったことで、今年のお雑煮用の餅は彼のところから分けてもらいました。
. . . 本文を読む
昨日は福島君の家で餅つきがあるということで、出かけました。初めて、福島君の両親や兄弟たちとお会いし、なるほど彼はこういう家庭で育ったのかと、彼の豊かな個性の理由がわかったような気がしました。祖父は祖父らしく、祖母は祖母らしく、父は父らしく、母は母らしい。この「らしさ」というのは、現代では流行らないようで、「らしくあれ」という言い方は、個性を尊重しない忠告であるとされる。
. . . 本文を読む
降誕後第1主日について、森紀旦主教は次のように述べている。「降誕後第1主日もA、B,C年共通です。福音書はヨハネ福音書のプロローグ全体が選ばれています。すでに14節までは降誕日に配分されており、重複の感がなくもありません。ローマ・カトリック教会にとってはこの日は聖家族の主日であり、福音書は聖家族のエジプト脱出とナザレへの帰還(マタイ2:13~15、19~23)が選ばれていますが、これは日本聖公会の場合降誕後第2主日です。旧約聖書はシオンの救いの個所で、「新しい名」をもって呼ばれる新しい時代の開始が示されます。使徒書は、「時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(4節)とのべ、私たちが『神の子』とされることを強調するパウロの言葉が選択されています」(『主日の御言葉』92頁)。 . . . 本文を読む
今回の平戸および生月地方のカトリックの諸教会を旅して、非常に強く感じたことはシスターたちの働きの大きさであった。どこの教会に行っても、そこにシスターたちの「手と足」とを感じた。
. . . 本文を読む
平戸ザビエル記念教会での礼拝を終えて、昨日訪れた宝亀教会と紐差教会とをもう一度訪れた。宝亀教会には誰も居らず、今朝はミサが行われた形跡もなかった。おそらく午後からでも行われるのであろう。紐差教会ではちょうどミサが終わったところで、礼拝堂は閉じられていた。シスターが二人近くの修道院に帰るところであった。わたしが聖職の服装をしているのを見て親しげに挨拶をしてくれたうえ、自己紹介すると、神父さんに取り次いでくれた。 . . . 本文を読む
礼拝は予定通り、午後8時から始まった。まず、キャンドルサービスの部分と降誕日前夜の深夜ミサの部分とにはっきりと区分されていた。キャンドルサービスの部分は、聖公会の諸教会で通常行われているように単にロウソクの灯火で行われる晩祷ではなく、一つの独立したセレモニーである。 . . . 本文を読む
24日と25日のブログを休んでしまいました。せっかく開いていただいた方々には大変ご迷惑をおかけしました。<このブログは26日に書いています>
24日の朝から、家内と孫息子(受験生)と一緒に、クリスマス・イブの礼拝を守るために、平戸島にドライブしました。運転は孫に任せて、わたしはもっぱら写真撮影に専心の旅でした。 . . . 本文を読む
今日は「読んでここ」(スキャナー関係)や「秀丸」(テキスト)や、「縮小専用」(写真関係)や、「Namery」(ファイル名一括変換ソフト)その他普段から便利に使っているソフトを再導入したり、それに関連してデータの引っ越しで一日かかってしまいました。
. . . 本文を読む
今までのパソコンがハードディスクの容量やら、メモリーがそろそろ限界に来て、かなりスピードダウンした上で、時々トラブるようになりましたので、この際思い切ってウインドウ・ビスタ搭載のパソコンに乗り換えをしました。そのためのデーター引っ越しで、忙しく、昨日はブログの入力ができませんでした。
ビスタはXPと比べて、やはりかなり重たくで、「サクサク」というわけにはいきませんが、それでも画面は美しく、おまけに今度のパソコンは画面が大きいので、楽しく仕事ができそうです。 . . . 本文を読む
「希望」ということを思うと、わたしは一つの絵画のことを思い出す。そのきっかけになった出来事が何であったのか、忘れてしまったが、確か親爺の説教か、あるいは親爺が何かの時に話していたのか、一枚の絵を差し出して、これが「希望」だ、という。その時、「親爺ってすごい」と思ったことは覚えている。
. . . 本文を読む
12月12日付のブログで、ベケットの戯曲『「ゴドーを待ちながら』が提起している問題の結びとして、「目的格のない『待つ』は成り立つのか」ということを考えた。その際、「何かを」待つのではない、ただ「待つ」という在り方、目的格のない待ち方が成り立つのかどうかという瀬戸際に、キリスト教信仰は立っている。言い替えると目的格が限りなく虚無に近づいてもなお「待つ」という姿勢を続けているところに現代のキリスト教信仰は立っている。具体的に言うと、再臨信仰の内容が限りなく無意味化している状況において、なおキリスト教信仰は有意義であるのか、という問題である。 . . . 本文を読む
波多野精一先生は京大を退職後、東京の荻窪で住んで居られたが、戦争が激しくなり、昭和20年(1945年)3月、岩手県の千厩に疎開された。千厩は息子勇二郎の妻の母親が住んでいるところであった。波多野先生は転居の際に、『ルター訳聖書』、プラトンの『ノモス』、ダンテの『神曲』(小型ドイツ語版)の三冊だけを携行されたという。千厩では、これら3冊だけを熟読し、後は散歩だけという質素な生活であったという。当時の生活について、波多野先生自身が安倍能成氏宛の手紙で以下のように書いている。 . . . 本文を読む
昨日紹介した『物語「京都学派」』(竹田篤司、中公叢書)の中に、こんな文章を見つけた(245頁)。
田辺元先生の晩年の頃の手紙である。
<パウロやヨハネの神学に近ごろ没頭して居りますが、紀元前後の世の中の有様は今日に酷似して居り、新宗教が世の中を新たにしたのもさこそと存じます。ただ、今日は、イエスを始め使徒達の、業に比すべき魂の糧が、新たに与えらるることなく、ただ祖述解釈の外に我々の為し得ることが無い末流の時代である事が、真に悲しむべき次第なのありませうか>(12月8日)。 . . . 本文を読む