スイスアルプスの源流からボーデン湖に入りドイツとフランスの国境を越え、そしてオランダから北海までの全長1320㎞に及ぶライン川。
国によって川の呼び名も違います。ドイツを流れる距離は698㎞、「父なる川」として昔から主要な交易路でした。
中世の800年間、沿岸には都市が発達し諸国間で同盟が結ばれ、川の通行税という利権をねらって、
近隣諸侯はこぞってライン川の流域に進出して税関の数がなんと60余りもあったそうです。税関がすなわちお城です。
現在はライン川流域のマインツからコブレンツ間は「ロマンティック・ライン」と呼ばれ多くの古城が点在し残っています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・。。
ライン川沿いは電車が川沿い、車道が隣で頻繁に通過します。
川に出るには線路の下をくぐります。狭いトンネルにはどこにでも見かけれ落書きが(右)
朝9時過ぎ頃だったと思うのですがだんだん曇空になりクルージング中はあいにくの雨模様になりました。
KDライン観光船船着桟橋の前にチケット売り場があり、ライン川の日本語版ガイドブックを購入して観光船の入港を待っていました。
日本人のKDラインの女性乗務員も大きな荷物を持って待っていたので、ついつい良い座席を教えてもらった。
進行方向、前方の左側との事でございます。 (若い日本女性が海外のどこの国でも活躍していますね)
じょじょ&みさみさも同船です。
画像右の<527>はキロメートルを表わしている。丘はブドウ畑、川沿いは貨物列車が通過中。
出港してすぐ目についたのは「ネズミ塔」 13世紀重税で農民や通行人を苦しめた大司教がネズミに食い殺されたと言う。
よく似たような城ばかりで分からないが、順番からでは「ラインシュタイン城」 旧関所。
フリードリヒ・フォン・プロイセン王子が1823年に購入、現在の姿に改築。見学可。
(左)は貨物船とすれ違った (右)は電車が通過中
せっかく乗務員の方から良い席を教えてもらっていたのだが、レストランにランチ予約していたようで席替えをした。
ドイツでは食事にパンは出ないのだが、食事にパンが一切れ出た(笑)もちろんオーダーすればでるのよね!
みんなビールでお腹いっぱいだから、気がつかないだけよね。 右画像は洗面所。
↑ ローレライの岩山は世界文化遺産
「ローレライ」もっとも日本人に馴染み深い名。それは高さ132mの伝説にまつわる大岩です。
ライン川の幅がわずか90mに挟まる難所の上にそびえ立つ。
ローレライは船頭を不幸に誘ったといわれ、有名なハインリヒ・ハイネの歌もそのことを歌っている。
低水位の日には、危険な「七人の乙女」と呼ばれる岩が見える。
伝説によると石のような心を持ち主であった七人の乙女が岩に姿を変えた
。ローレライの岩の麓で七重のエコーが聞こえる・・そうな。=ライン川ガイドブック参照=
なじかは知らねど 心わびて
昔の伝えはそぞろ身にしむ
わびしく暮れゆくラインの流れ
入り日に山々 あかくはゆる
うるわし乙女の 岩に立ちて
黄金の櫛とり 髪の乱れを
ときつつ口ずさむ 歌の声の
くすしきちからにたまもまよう こぎゆく舟人
歌にあこがれ 岩根も見やらず
仰げばやがて 波間に沈むる
人も舟も くすしきまが歌 歌うローレライ
外は雨が降り注ぎ、窓辺で撮った写真は乗船中のオレンジ色ライトが反射しています。
きれいに撮れているのは船上デッキに出て撮った。
子供達は遠足だったのかしら、デッキでロラースケートのように滑りキャアキャア喜んでいたが外は本降りの雨で寒かった。
アナウンスはお得意様への日本語バージョンもあり丁寧でした。
ここでも中国人の団体と一緒になった。
右画像は沢山の方達が下船した「ザンクト・ゴアースハウゼン」。 ローレライの岩山に登る出発点。
画像の中で、お城は山肌に「おへそ」のようにポツンとしてしか見えないが、
お天気が良いと山々の緑と朽ち果てた色したお城とのバランスがもっと上手に撮れたかもしれない。
ライン川からのゆっくりした眺めは麓の可愛い街も充分楽しめた。
私達はカンプ・ボルンホーフェンで下船した。
全く勘違いしていたぁ
絵文字最高!
♪なじかは知らねど~
歌詞の意味も分からず歌っていたわね