Quelque chose?

医療と向き合いながら、毎日少しずつ何かを。

たまっていた録画番組を観る・その2

2019-02-11 | 本・映画・テレビ
続いて
今年1月14日放送の、NHKスペシャル 「"冒険の共有" 栗城史多の見果てぬ夢」。

自撮りしながらの登山をネットで配信し続けて大きな話題と批判を呼びながら、35歳でエベレストで亡くなった「登山家」、栗城さんの記録だ。

栗城さんが活動を始めた頃について、「栗城さんの映像は、山を知らない多くの人の心をとらえていきます」というナレーション。
ネット中継される映像を通してしか「山」を知ることのない多くの人々が、彼の挑戦から「勇気」「元気」をもらったに違いない。

逆に、山を知る、いわゆる専門家という方々からは彼はいわば異端と捉えられていた。
そのやり方を「単独無酸素」と称することに厳しい批判も寄せられ、また一般からのアンチも多く、ネットが炎上状態となることもあった。

何度もエベレストに挑戦するも登頂ならず、4度目のエベレスト挑戦では重度の凍傷から9本の手指を失う。
その過程で、それまで応援し続けていたネットユーザーから次第に落胆や批判の声も上がり、「関心」が失われていった。

そして8回目のエベレスト挑戦。
彼本人が、「エベレストはこれで最後」と決めていたという。
彼の死の直前の映像が紹介され、この後に待ち受ける運命を思うと心が痛む。
しかし、指を失った身で、無謀と言われながらも最難関ルートでの挑戦に挑んだのは彼の選択だ。
最後、体調を崩して登頂を諦め下山する途中、栗城さんは滑落して命を落とした。

番組中、「私たちNHK」「私たちマスメディア」というフレーズが何度もでてくる。
求められているように、彼を駆り立てていたのではないかとも言われるマスメディアが自己検証を行う番組なのか、と、最初は思った。

しかし、数々の登山での登頂や失敗のつど、ネットから寄せられた数多くの応援や期待の言葉を見れば、
彼を追いやったのはマスメディアだけではなく、善意で彼を励ました無数の「我々」なのかと思える。

彼が生き、挑んでいたのは山そのものというよりも、「冒険の共有」、すなわちネットでの共感という、実体のない壁であったのだろう。

結局、番組中で、NHKやマスメディアについての自己批判にはほとんど触れられなかったように思う。


彼は、「登山家という重圧」から解放されるために、山に登っていたのだろうか。

ご冥福をお祈りいたします。

NHKスペシャル 「"冒険の共有" 栗城史多の見果てぬ夢」

たまっていた録画番組を観る・その1

2019-02-11 | 本・映画・テレビ
連休で天気がいまいち、ということで、録画したけど観ていなかった番組を観ることにした。

まずは昨年12月16日放送のNHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」

30年ほど前、ブラジル・アマゾン領域で、たった二人でいるところを「発見」された、誰にもわからない言葉を話す全裸の男たち。

その一人、仮に「アウラ」と名付けられた男は、現在推定60歳前後。
現在、政府による保護区に建てられた小屋で、与えられた衣服を着、脚が悪いため杖に頼って歩き、「保健所」の看護師から食事を受け取って食べる毎日を送っている。

アウラと、もう一人の「アウレ」とは、発見後、各地の先住民族のための「保護区」を転々としたが、他の先住民族と共には長く住むことができなかったという。
その、アウラの弟だったのかもしれないアウレは、数年前に癌で死去。アウラは、彼の部族の「最後のひとり」となった。小屋で肺炎の治療を受けている姿に、彼の負った年齢を感じる。

これまでにもイゾラドについての紹介番組は観たけれど、今回衝撃的だったのは、ブラジル中探しても、彼の言葉を理解できるものがもういない・・ということだ。
自分の言葉を語っても誰にも理解してもらえない。それどころか、同じ部族、同じ生活様式、同じ歴史を共有するものが、もう誰もいない。
そんな状況を想像すると、その胸中ははかりしれない。


アウラの隣に、言語学者のノルバウ・オリベイラ氏が住み込んでいる。他の先住民族の言葉は完璧に理解しているというノルバウでも、アウラの話す言語について、約30年かけて収集できた単語は800語程度。

会話は、単語と単語をつなぎ、その間を埋める作業にしかならざるを得ない。

そんなアウラが、昔何があったのか、なぜ誰もいなくなったのかを問われたときに発した単語は、

「死」「非先住民」「カヌー」「髭」、それに「大きな音」「火花」であったという。

そして彼が30年前に住んでいた森は、今は採掘業者のテリトリー、牧場になっている。

彼の部族に何が起こって、彼らは男二人だけになったのか。それを示す記録はない。
言語化できない記憶だけがあり、それは今や消え去ろうとしている。

「誰にもわからない言葉、誰とも分かち合えない歴史」というナレーションが重く響いた。

NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」