続いて
今年1月14日放送の、NHKスペシャル 「"冒険の共有" 栗城史多の見果てぬ夢」。
自撮りしながらの登山をネットで配信し続けて大きな話題と批判を呼びながら、35歳でエベレストで亡くなった「登山家」、栗城さんの記録だ。
栗城さんが活動を始めた頃について、「栗城さんの映像は、山を知らない多くの人の心をとらえていきます」というナレーション。
ネット中継される映像を通してしか「山」を知ることのない多くの人々が、彼の挑戦から「勇気」「元気」をもらったに違いない。
逆に、山を知る、いわゆる専門家という方々からは彼はいわば異端と捉えられていた。
そのやり方を「単独無酸素」と称することに厳しい批判も寄せられ、また一般からのアンチも多く、ネットが炎上状態となることもあった。
何度もエベレストに挑戦するも登頂ならず、4度目のエベレスト挑戦では重度の凍傷から9本の手指を失う。
その過程で、それまで応援し続けていたネットユーザーから次第に落胆や批判の声も上がり、「関心」が失われていった。
そして8回目のエベレスト挑戦。
彼本人が、「エベレストはこれで最後」と決めていたという。
彼の死の直前の映像が紹介され、この後に待ち受ける運命を思うと心が痛む。
しかし、指を失った身で、無謀と言われながらも最難関ルートでの挑戦に挑んだのは彼の選択だ。
最後、体調を崩して登頂を諦め下山する途中、栗城さんは滑落して命を落とした。
番組中、「私たちNHK」「私たちマスメディア」というフレーズが何度もでてくる。
求められているように、彼を駆り立てていたのではないかとも言われるマスメディアが自己検証を行う番組なのか、と、最初は思った。
しかし、数々の登山での登頂や失敗のつど、ネットから寄せられた数多くの応援や期待の言葉を見れば、
彼を追いやったのはマスメディアだけではなく、善意で彼を励ました無数の「我々」なのかと思える。
彼が生き、挑んでいたのは山そのものというよりも、「冒険の共有」、すなわちネットでの共感という、実体のない壁であったのだろう。
結局、番組中で、NHKやマスメディアについての自己批判にはほとんど触れられなかったように思う。
彼は、「登山家という重圧」から解放されるために、山に登っていたのだろうか。
ご冥福をお祈りいたします。
NHKスペシャル 「"冒険の共有" 栗城史多の見果てぬ夢」
今年1月14日放送の、NHKスペシャル 「"冒険の共有" 栗城史多の見果てぬ夢」。
自撮りしながらの登山をネットで配信し続けて大きな話題と批判を呼びながら、35歳でエベレストで亡くなった「登山家」、栗城さんの記録だ。
栗城さんが活動を始めた頃について、「栗城さんの映像は、山を知らない多くの人の心をとらえていきます」というナレーション。
ネット中継される映像を通してしか「山」を知ることのない多くの人々が、彼の挑戦から「勇気」「元気」をもらったに違いない。
逆に、山を知る、いわゆる専門家という方々からは彼はいわば異端と捉えられていた。
そのやり方を「単独無酸素」と称することに厳しい批判も寄せられ、また一般からのアンチも多く、ネットが炎上状態となることもあった。
何度もエベレストに挑戦するも登頂ならず、4度目のエベレスト挑戦では重度の凍傷から9本の手指を失う。
その過程で、それまで応援し続けていたネットユーザーから次第に落胆や批判の声も上がり、「関心」が失われていった。
そして8回目のエベレスト挑戦。
彼本人が、「エベレストはこれで最後」と決めていたという。
彼の死の直前の映像が紹介され、この後に待ち受ける運命を思うと心が痛む。
しかし、指を失った身で、無謀と言われながらも最難関ルートでの挑戦に挑んだのは彼の選択だ。
最後、体調を崩して登頂を諦め下山する途中、栗城さんは滑落して命を落とした。
番組中、「私たちNHK」「私たちマスメディア」というフレーズが何度もでてくる。
求められているように、彼を駆り立てていたのではないかとも言われるマスメディアが自己検証を行う番組なのか、と、最初は思った。
しかし、数々の登山での登頂や失敗のつど、ネットから寄せられた数多くの応援や期待の言葉を見れば、
彼を追いやったのはマスメディアだけではなく、善意で彼を励ました無数の「我々」なのかと思える。
彼が生き、挑んでいたのは山そのものというよりも、「冒険の共有」、すなわちネットでの共感という、実体のない壁であったのだろう。
結局、番組中で、NHKやマスメディアについての自己批判にはほとんど触れられなかったように思う。
彼は、「登山家という重圧」から解放されるために、山に登っていたのだろうか。
ご冥福をお祈りいたします。
NHKスペシャル 「"冒険の共有" 栗城史多の見果てぬ夢」