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散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

聖書学の面白さ

2017年06月16日 | 日記
「聖書学」ってのは面白い学問です。

徹底的に聖書を「相対化」するのです。コーランに対してこれはできません。でもキリスト教聖書にはできる。

もともと

聖書がなくても、キリスト教は成立するのです。キリスト教がユダヤ教から分化して200年ぐらいは実際、なかったわけですし。まとまった本としては。

戦国時代、キリシタン大名とかが出てきますが、日本版の戦国聖書なんてものはない。聖書がなくても伝道は成立するのです。

だいたい、字が読める人間なんて近代になるまで非常に限られたエリートだったわけで(日本はやや識字率が高かったのですが)、聖書があっても中世の民衆には読めません。

聖書がないほうが、バチカンはやりやすい。指導者の言葉が真実だってことにすればいいわけです。「聖書にはそんなこと書いてないぞ」と言われなくてすむ。

これは宗教改革がバチカンへの反抗としてはじまり「聖書のみ」を重視した歴史からも明らかです。

というわけで、聖書を「相対化」してもそれほど教会主流は困らない。で、堂々と「聖書研究」ができるのです。

もっとも、それでも、護教的な聖書学者と、護教から自由な聖書学者はいます。後者の方がむろん面白い。

私は信仰なんて持てない人間ですが、聖書学は知的関心事項としてとても面白いと思います。

まあ、よくも細かく調べるもんだなと思います。しかも、古べブライ語、古アラム語、古ギリシャ語が読めないとできない。

日本人でもそれができる人間がいる、というだけで、語学嫌いの私には驚きです。

マルコが最初に書かれました。それからマタイ、ルカ、ヨハネ。パウロの手紙。

手紙はともかく福音書の筆者が誰かは分かりません。とにかく全部ギリシャ語です。イエスはアラム語ですから、生きていたとしても新約聖書が読めるのか?読めないという説もあります。

マルコを読んだルカという人とマタイという人が、「これはちょっと違うじゃないか」とそれぞれ別個に考え、自分なりの福音書を書いた。

この3つは同じようなことが書かれているように見えて、ちょっと分析すれば、まったく違うものだそうです。ヨハネはまた別の意味で全く違った福音書です。

全然違う4つの文書が一つとされて、読む方は統一的理解をしようとする。でも統一性なんか元々ないから、結局「なんだかよくわからない」ってことになるようです。

40代後半のリンダブレア(エクソシストの少女)

2017年06月16日 | ドラマ
エクソシストは「3」まであります。「2」も「3」もあまり評判はよくありませんが、個人的には「2」は好きです。バッタが沢山でてくるやつです。

リンダブレアは「2」では完全な主役です。

でもその後どうなったのだろう、と思ったら、それなりに映画に出たりTVに出たりしているようです。

スーパーナチュラルのシーズン2の7話にゲスト出演とあったので見てみました。

たまたま今は「Hulu」と契約しているで簡単にみられるのです。

年はこの2006年段階では40後半ですね。

もともと美少女ではなかったらから、美しい女優さんではありませんでした。

が、中年太りもしてないし、むしろ痩せているし、演技もしっかりしているように思いました。過去の人感はあまりなかった。良かったと思います。

実は前に見たことがあったことを思い出しました。でもその時は全然リンダブレアだとは気が付きませんでした。

分かってみてみると、最後に主人公が「あの刑事(リンダブレア)、誰かに似てないか」と言っています。

とにかく世界的に話題になった映画で、だいたいは子役なんてのはあの映画に「つぶされて」しまうし、そりゃリンダブレアだって大女優にはなれませんでしたが、

それでも「よくやっている」感じがしました。うれしい限りです。


エクソシストの主人公は誰なんだろうか?

2017年06月16日 | ドラマ
映画「エクソシスト」には主要な人物が3人登場します。

まず悪魔に憑かれる少女リーガン(リンダブレア)、それからカラス神父、最後にメリル神父です。

エクソシストビギニングという映画があって、この映画の主人公はメリル神父ですし、「エクソシスト」の方でも、本当の悪魔祓い師はメリル神父ですから、主人公はメリル神父かなと思います。

でもやはり印象深いのはリーガンであり、カラス神父です。

この映画のあとも、アメリカでは超常現象ものというか「悪魔もの」が沢山作られます。悪魔の方は人間に憑く形で、または「悪魔そのまんまの形」でよく登場するのですが、

神は登場しません。人間の形をした神も登場しません。まあ全部見てるわけじゃないですから、「ほとんど」と書くべきですが。

天使は登場します。だいたい普段は人間の形をしています。でも神は登場しません。

どうしてこんなにも悪魔ものが多いのかと考えるならば、まあ単純にホラーの題材として面白いというのがあるでしょう。

もうちょっと「うがって」みると、「悪魔の存在を強調することによって、神の存在を示す」という意図もあるかと思います。悪魔がいるのなら、神もいる、ということです。

でも「神そのもの」は登場しません。私はヤハウェの化身だなんてセリフも聞いたことがありません。

神を登場させないのは一種の不文律なんでしょうか。もうちょっと深く調べてみると面白いように思います。