散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

長州出身有名人のイメージというか、単なる好き嫌い。

2018年08月12日 | ドラマ
単なる自分の好悪のお話です。

長州というのは今のまあ山口県です。毛利氏でした。毛利元就の時にインフレーション的拡大をした藩ですが、関ケ原で「色々あって、40万石以下の大名」になりました。

幕末は産業振興その他で、その実力は100万石に迫ったとどっかに書いてあったと思います。

「薩長」の長州ですから「有名人、有名政治家」が沢山います。

たとえば佐藤栄作。高度成長期に6年ぐらい総理をしてました。私は幼年だったので「日本の総理は佐藤栄作がずっとやる」もんだと思っていました。それぐらい長くやっていたのです。

安倍総理は「なんちゃって長州」です。本籍と選挙区は山口ですが、「東京生まれの東京育ち」、ずっと成蹊大学系の学校に行ってました。東京人ですが、何かというと「長州出身」というウソをつきます。吉田松陰の名をやたらと出しますが、多くの日本人は吉田松陰にさほどの興味はないと思います。僕もあまりありません。爺さんの岸は元A級戦犯で、佐藤栄作の兄貴です。

吉田松陰とか高杉晋作を「尊敬する」のは無理な話だと思います。なぜなら彼らが活躍した時、彼らは20代の「若造」だったのです。そして若造のまま早死にしています。20代の青年を尊敬するってのは、少なくとも僕にとっては無理な話です。

明治になって、一番出世したのは「伊藤博文」と「山縣有朋」でしょう。長く生きました。並んで有名なのは桂小五郎ですが、結核を患っており、明治になってからは精力的に活動はしていません。

桂は過激な若者ばかりの長州にあっては「大人」の風貌を備えた人で、僕なぞも嫌いではありません。特に好きでもないですが。

山縣有朋は嫌われ者で、まああまり話題になることはありません。

伊藤博文は松下村塾出身者では一番出世しましたし、ものの見方もバランスがよく、優れた政治家でしたが、なぜか「小者感」が強く、ドラマの主役とかにはならない人です。

韓国では日本より有名です。ただし「侵略者。極悪人」として有名です。ただ極悪人なら、他にもっといるような気がします。

それから上野戦争を終結した村田蔵六がいます。僕は大好きですが、知名度はほとんどありません。大村益次郎としても多少有名ですが、僕は大村益次郎は好きになれません。(同じ人物ですから論理的にはおかしいですが、日本史好きの方なら多少理解してくれると思います)

「英雄たちの選択、上野戦争」で、西郷が何かを決断したように言ってましたが、なんじゃそりゃ、という感じがします。上野戦争では西郷は指揮官の一人に過ぎません。村田蔵六が仕切ったのです。その後の戊辰戦争でも作戦をしきったのは村田で、西郷はほぼ何もやっていません。

乃木将軍も長州ですが、それが日露戦争での不幸を呼びました。彼の場合、参謀も無能だったので、兵隊の被害はとめどもなく拡大しました。収拾したのは児玉大将ですが、知名度はほとんどありません。

長州人は「地元山口への利権誘導」をあまりしませんでした。安倍総理は色々やっている気がしますが、昔の長州人は山口を特別視したりしません。

山陽新幹線にも佐藤栄作は大反対でした。あれは田中角栄がやりました。「佐藤総理の地元の山口にも新幹線ができるのですよ」という田中角栄に佐藤栄作はこう答えました。

「誰が乗るんだ。タヌキでも乗せるのか」

佐藤栄作の評価は様々でしょうが、こういう逸話など聞くと、昔の政治家はそれなりの見識を持っていたのだなと思います。角栄さんあたりから、どうも変なことになっていった気がします。


道徳教育とツルの恩返し

2018年08月12日 | ドラマ
最初に書いておきますが「くだらない話」です。オチ話みたいなもんです。

学生時代に道徳教育のシンポジウムというのか「道徳教育を考える会」みたいのに一回だけ参加したことがあります。

模擬授業の教材が「鶴の恩返し」でした。

「おじいさん、おばあさんは、見るなというツルとの約束を破ったから不幸になった」というのです。

約束は守ろう、とかいうことになっていました。

僕は「マジか」と思い、笑いをこらえるのが大変で、周りをみたのですが、意外にも真剣な顔をしている学生も少なくありませんでした。むろん一部は僕と同じように笑いをこらえて奇妙な顔をしていました。

意見交換では戦闘的に否定をしました。昔ばなしというのは禁止事項があり、その禁止を破ることで展開する。ほぼ全てがそういう構造になっている。道徳の教材としてまったくふさわしくない。そもそもこの話の原型では、娘であるツルが衰弱していくから「覗いた」のである。おじいさん、おばあさんに何の非があるのか。心配して覗いたらツルが去ってしまった。むしろ被害者ではないか。

この話を教材にしようと発想すること自体、道徳教育を深く考えていない証拠である、まあよくは覚えていませんが、僕はまだ若かったので、とにかく全否定をしました。

それ以来、道徳教育というものを真剣に「人と議論した」ことはありません。「真面目で頭の固い先生たち」が何を考えているのか理解できず「だめだこりゃ」と思っていたのです。

考えてみれば、僕のそのような「不遜な態度」もまた「だめだこりゃ」でした。

でも考えてみると、小学校時代の「道徳の時間」とか、意外と影響力があったなと思うこともあるのです。

小学校の時、「日本人は音をたてて食べ物を食べるから、西洋人から馬鹿にされる」というビデオを見たのです。

これ、意外すぎるほどの影響力がありました。

それ以来、僕は「そばをすする」ことができないのです。音がたつからです。今もできません。これがこの話のくだらないオチです。

競技スポーツについて  金メダルはいらないのだが

2018年08月12日 | ドラマ
TVで水泳をやっています。競技水泳です。涼し気でいい感じです。

それに比べると高校野球は暑そうで、汗臭い感じで、まあ見る気になりません。

学芸大という教育学部しか「なかった」大学の出身です。今は多様になっているようです。

「体育科教育学」という授業がありました。

僕は怠惰な学生だったので、授業とか真面目に受けていませんでしたが、この体育科教育学はよく覚えています。

教授の第一声が「競技スポーツは健康に悪い」ということだったからです。

そこから「部活批判」「現場の体育教師批判」がはじまりました。「なるほど」と納得できる内容でした。

難しいところです。

30年前に既に「教育学レベル」では「競技スポーツは否定」されていたのに、現場は今もそのようにはなっていません。

会社などは競争主義が基本ですから、「体育系出身者」は重宝されるなんて話もあります。

教師は「競争の功罪」を真剣に考えなくてはいけないし、実際真剣に考えている教師は多いと思います。

それでも競技スポーツは否定されませんし、オリンピックなどでメダルが少ないと、協会は散々に否定されます。

つまりは「スポーツは別に健康のためだけにやってるわけではない」ということでしょうか。

僕などは頭では競争的なスポーツのあり方を根底から「否定」しています。

それでも池江さんが金メダルをとったりすると「凄いな」と思います。

頭で考えていることと、気分が「合っていない」のです。

競技スポーツは一部の才能ある者だけがやればよく、基本的には「健康スポーツ」が主流であるべきだとは思いますが、それではたぶん「生徒たち」が納得しないでしょう。

難しい問題だと思います。