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西郷どん・維新の三傑の死没年齢・高杉晋作・吉田松陰・伊藤博文

2018年11月08日 | ドラマ
維新の三傑とは、書く必要もないでしょうが、西郷・大久保・桂です。

死没は明治10年・11年で「ほとんど同じ時に亡くなって」います。

西郷は戦死で49歳  墓は薩摩にある。
大久保は暗殺で47歳 墓は青山霊園。
桂は結核による病死で43歳 墓は京都。京都霊山護国神社。幕末の志士たちを多くまつっている。

亡くなった時の年齢が50歳に達していないわけです。幕末の最終段階では彼らはみんな30代です。桂に至っては幕末段階では、まだ30歳ぐらいです。

西郷は南洲翁と言われます。「翁」ですから60は超えていたかというと、亡くなった明治10年で49歳です。島津斉彬に見いだされた時はまだ26歳ぐらいです。その後彼は斉彬の下で各藩の名士と交流しますが、それは20代後半の話です。斉彬が死んだ段階でも30歳ぐらいです。

ちなみに吉田松陰というと何か「老成」した印象がありますが、安政の大獄で切腹した時、まだ29歳です。高杉晋作は結核で病死27歳、坂本龍馬は暗殺時31歳ぐらいです。

伊藤博文は高杉と同じく松下村塾出身で、弟分ですが、2歳年下です。明治元年の段階ではまだ27歳ぐらいです。総理になった時点でも44歳ぐらいです。伊藤は67歳で亡くなりますが、明治も後期になると高杉のことは、回想で「高杉は」などと呼び捨てにしていました。そりゃそうです。だって彼の知っている高杉は27歳の「若僧」で、伊藤は「総理大臣経験者」です。むろん幕末にあっては「高杉さん」(もしかすると高杉君)だったでしょう。「君」はないかな。なにしろ高杉は「名家の子」で、伊藤は「士分ともいえない身分」です。ただ「君」は平等意識に基づいたもので「志士の間での流行語」でした。さすがに松陰は「先生」、木戸のことは「木戸公」もしくは「木戸先生」と呼んでいたようです。
ちなみに山縣有朋が死んだ時は既に大正時代で、83歳ぐらいのようです。圧倒的に長生きしました。生まれたのは1838年で、1839年の高杉晋作より「一つ上」です。高杉も病気にならなければ、大正時代まで生きていた「可能性」はあったのです。