散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

齋藤道三は油売りではなかったの根拠は「六角承禎書写」だけなのか?

2018年11月09日 | ドラマ
歴史ドラマファンの私にとっては「斎藤道三は油売りから一代で美濃の国主となった」と信じているほうが「おもしろい」わけです。

でも最近は親子二代国盗り説が流行で、

あっという間に

「斎藤道三は油売りなどではなく、一代で国をとったわけでもない」という風になってしまいました。

根拠は何なのだろ?と「ネットで調べてみると」、今の段階では「六角承禎書写」という文章一つみたいです。

最後に「写」とあります。

偽書じゃないか、後世の写しじゃないか、と思ってもそれを実証する力はわたしにはありません。

学者さんたちが色々調べて、当時の資料としたのだろう、と思うしかありません。

でもじゃあ父親の長井さんは何をしていつ生まれたのか。となると「わからない」ということになるようです。

ただ「一つの手紙だけで、いとも簡単に史実が覆っていいのかな」とは思います。もう少し二代国盗り説を「補強する資料」が必要だと思います。

ブログ村の住人なんだが・歴史ブログの住人なんだが。

2018年11月09日 | ドラマ

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で、思うのが自分の平凡さ。「大河ドラマ関係」しか書けないので、結局戦国有名人、幕末有名人ばかりになります。

戦国でも畿内中心です。島津・毛利・伊達とかまして最上なんては「書けない」のです。まあ「毛利元就」だけは「大河になったことがある」、橋之助さん主演、で、なんとか書けます。あ、伊達もありますね。でも書けない。

「戦国島津」は主役にはならないので、書けるとすればせいぜい「関ケ原の退き」ぐらいのものです。

でも、色々疑問があります。

・最初の兵数は1700とか1500とか。まあそのぐらいなんでしょうが、西軍に入ったのは「なりゆき上しかたなく」なのかな?

・正面突破後の兵数はだいたい300となっているようです。

・戦がほぼ終わってから正面突破するぐらいなら、途中で徳川に内応して、「しずしずと帰っても」「いつの間にかいない」って感じでも良いのでは。

・そもそも本陣を突いたのか、本陣の前を通り過ぎたのか。ドラマでも作品によって描き方が違います。

一番疑問なのは「なりゆき上西軍」という点で、関ケ原後の「薩摩の外交力」と比べて、おかしな感じがします。

私の場合、日本史の学者ではなく「歴史ドラマファン」なので、そういう「素人的疑問」を、なんとか調べて、このブログを書いています。

でも歴史ブログをやっているかたは「こだわり」が違います。実に細かい点にこだわって書かれている。「へぇー」と思います。

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