散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

司馬さんの「城塞」 千年生きてもこんな作品は書けない

2018年11月26日 | ドラマ
考えてみると司馬さんの小説を「読み直す」のは久しぶりです。

特に「城塞」は数回しか読んでいない本で、本当に久々に読み直しました。

なんと書けばいいのだろう。サリエリがモーツァルトに感じたのはこんな感覚なんだろうなと思います。

全ての凡庸なるもの(私とかです)は、この作品の前に「ひれ伏すしかない」と思います。

誤解して欲しくないのですが、「全てが史実だ」なんて考えていませんし、小説なんだからフィクションです。

そのフィクションのリアリティの前に、少なくとも私は「ひれ伏すしかない」と思います。

司馬さんらしく色々な古書からの引用があります。多くは知らない本です。司馬さんの面白さは、こういう資料すら「ウソ」であることもないわけではない点です。

例えば「十一番目の志士」には「天堂晋助年譜」というのが登場しますが、そんなものはありません。あるわけないのです、天堂晋助という人物そのものが架空の存在だからです。

「ひれ伏す」などと書くと、司馬オタク、司馬マニアと言われるかもしれないし、それは事実かも知れません。

ただこの本の「濃密さ」を別の表現で言うことはできません。

千年生きても、こんな作品は書けません。

山本兼一さん 「信長死すべし」

2018年11月26日 | ドラマ
最初の方を読んで、ちょっと戸惑ってしまい、最後の100ページを読んでみました。

「なんだこれ?」とむしろ不思議な気持ちがします。思いっきり悪口を書きたくなって調べてみると、山本さんは若くして亡くなられたようで、故人です。

故人なので、悪口をなるべく慎みます。

「火天の城」もこの方のようです。あの映画(映画しか見ていません)、驚くほどつまらなかった。これは映画の脚本家への悪口です。驚くほどつまらない。

さて「信長死すべし」

正親町天皇が光秀をたきつけたということになっています。

信長も何故か死ぬ時、「光秀ごときにできるわけない。正親町の野郎の差し金だ」

とか考えます。ちなみに設定では、信長は「本能寺の次の日に」正親町と公家を「焼き討ち」して皆殺しにすることになっています。しかもそれを「光秀は知らない」のです。(なんだそれ?)

ところが、まだ秀吉の「大返し」も分かっていないのに、正親町は光秀を見捨てます。

で天皇親政とか1秒ぐらい考えますが、2秒後には無理だと言われてやめます。

光秀は光秀で、正親町に騙されたと考え、あの野郎と公家たち、みな殺しにしてやろうかなどと考えています。

摩訶不思議といおうかトンデモとしかいいようのないストーリーです。正親町黒幕説としても「稚拙」過ぎます。でも作者が故人なので、この辺りにしておきます。