散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

麒麟がくる・すべての武将が英雄であってはいけない

2019年12月24日 | 麒麟がくる
「葵徳川三代」、、、初放映時には「なんかコントみたいな大河」だと思っていました。「コントみたい」なのは再放送でみてもそうですが、評価できるのは、

徳川家康を偉人として描いていない、秀忠も家光も偉人じゃない、という点です。

その反面、石田三成や前田利家などは「そこそこの人物」として描いています。

また徳川家康による朝廷の圧迫、その原因となった「朝廷や皇室の腐敗ぶり」もきちんと描いています。

韓国に「大王世宗」という作品があります。ハングルを作ったイドを描きました。「出てくる人物がみんな英雄」で、間違った方向に流れた作品だと思います。つまらない。人間が描けていない。

「麒麟がくる」も私の予想では「出てくる武将、全員英雄」となると思います。織田信長だけが「少し変人」で、あとは信秀も道三も義元も、松永も「みんな英雄」とされる可能性があります。

そうなると「つまらない作品」になってしまいます。愚人がいてこそ「リアルを感じる歴史になる」からです。

13代将軍「足利義輝」なぞ、とにかく素晴らしい人間として描かれると思います。実態は「流浪将軍、剣術好き」です。そして彼を殺した「松永久秀」も梟雄とされる。どう「つじつま」を合わせるのでしょう。(直接殺したわけではありません)

まあ松永久秀は「ワルが売り」なので、だからこそ「梟雄」なので、「そのまんまワル」であるというか、よりグレードアップした「ワル」として描かれるのかも知れません。


戦国もので今まで愚人とされることが多かったのは「今川義元」(最近は愚人として描かれない)、「朝倉義景」「今川氏真」「六角承禎(小説において)」あたりでしょうか。

すでに書きましたが、今川義元は最近は、というか「武田信玄」以降、愚人とはされません。「おしろいを塗ってお歯黒で、馬にも乗れない」、と描かれることはないのです。「風林火山」の谷原さんなんぞは「そこそこまともな人物」として演じていました。「おんな城主」の春風亭さんは言葉を発しないので、よく分かりません。

今川氏真は「おんな城主」では「弱虫なりに大活躍」だったと思います。実際この人、今川の血を江戸時代まで残します。

六角承禎は「そもそもドラマに登場しない」ので、愚人とも愚人じゃないとも描かれません。麒麟がくるでも「ほとんど」登場しないと思います。

昔から愚人で「今でも愚人」なのは「朝倉義景」です。「麒麟がくる」では今のところキャスティングされていません。これはおかしな話で、美濃脱出後、光秀は朝倉を頼った、というのが今までの描かれ方だったからです。「光秀もの」なので、登場するでしょう。さてどう描かれるのか。

足利義昭は、実はそんなに愚人として描かれはしません。ただし功名が辻では愚人でした。今回は「すごいやつ」として描かれると思います。

日本史には英雄がいません。織田信長の評価なぞ最近はそりゃ低いものですし、秀吉もそうです。家康もしかり。

あえて言えば、よく英雄とされるのは「武田信玄」「上杉謙信」ですが、それは彼らが「敗者」だからで、実際はたいした武将でもありません。石高が大したことないのです。あれだけやって、たいしたことない。それで謙信は商業で儲けたとか、信玄は金を掘ったとか、つまり「石高以上に有能」とされるのです。商業や金は嘘じゃありませんが、石高はとにかくたいしたことはありません。


英雄がいない日本史に「無理やり英雄を作る」必要はありません。明智光秀は優れた人物であった、とは思いますが、かといって英雄ではありません。

麒麟がくる・帰蝶は大河ドラマにおいてどう描かれてきたか

2019年12月24日 | 麒麟がくる
帰蝶は濃姫の名で有名です。織田信長に嫁いだ後のことは、ほぼ分かりません。生きていたのか、死んだのか。

ただし時代劇においては超有名で、1973年の「国盗り物語」で大河ドラマに「本格的に登場」(太閤記でも登場)して以降、織田信長が登場する大河ドラマのほぼすべてに登場してきました。

例外は大河「秀吉」で、帰蝶が登場せず、吉乃がメインだったと記憶しています。あるいは少しは登場したのかも知れません。

大河「秀吉」は1996年の作品で、このころになると「帰蝶の人生はほぼ分からない」ということが定着していましたし、「信長が本当に愛したのは吉乃だ」ともされていました。このうち「愛したのは吉乃だ」は、今では「怪しい」ともされています。「麒麟がくる」では今のところ吉乃はキャスティングされていません。今後どうなるかは分かりません。

さて帰蝶(本当の名は分からず)と信長の関係、大河ドラマにおいてどう「描かれて」きたか。むろん史実とは関係ありません。

1973年の「国盗り物語」
総集編が残るのみです。帰蝶は若き松坂慶子さんが演じました。司馬遼太郎さんの作品ですから、夫婦仲はよい。司馬作品は「夫婦は仲良し」が基本です。
高橋英樹さん演じる織田信長は史実通り。延暦寺を焼き討ちしたり、一向一揆をせん滅したりしますが、夫婦仲は別に揺らぎません。

帰蝶が嫁ぐとき、父である斎藤道三は小刀を託して「信長が本当にうつけならば、これで刺せ」と言います。
「この刀はあるいは、父上様を刺す刃となるかもしれせぬ」と帰蝶は応じる。道三は「それでこそ道三の娘」と笑います。

これは帰蝶の最も「有名なシーン」ですが、「麒麟がくる」ではどうなるのか。まあ「ある」と思います。特にカットする理由もないからです。「麒麟がくる」ではたぶん「夫婦仲良し」とはならないでしょうが、それでもこのシーンを排除する理由が見当たりません。排除する理由があるとすれば「古い帰蝶像だから」ということでしょうか。

明智光秀とは「いとこ」とされ、淡い恋もあったとされます。本能寺では信長とともに死にます。これがこれ以降の時代劇のベースとなります。

1983年の大河「徳川家康」における帰蝶

藤真利子さんが演じました。「夫婦基本的には仲良し」です。信長の傍若無人ぶりにも理解を示す「賢妻」として描かれていました。それでも松平信康を謀略をもって殺そうとする信長には「多少いやなものを感じる」という風に描かれました。

2006年の「功名が辻」

和久井映見さんが演じました。織田信長の「悪行」に対しては「はっきりと批判的」です。夫婦仲もよくはない。それでも本能寺ではともに死にます。「殿は地獄、私は極楽、これでは死に別れでございます」という名セリフがありました。

なお「信長」では菊池桃子さんが演じました。あまり記憶にないのです。途中で堺に行ってしまったと記憶しています。


大河ドラマが「戦争」を描く場合、「男は戦乱を望み、女は平和を願った」とされることが多い。多いというかほとんどがそうです。日野富子でさえ平和を願っていた。北条政子は多少戦闘的ですが、基本的には平和主義者です。なにかと勝負を口にするのは「淀殿」ですが、真田丸においてはその淀殿も「戦争の外」に置かれていました。

さて今回も帰蝶は「平和をひたすら願っていた」とされるのか。沢尻さんを起用したことから考えると、もうちょっと「ひねる」可能性もあるでしょう。

帰蝶の「地位」も、信長の付属品みたいな立場から「対等もしくは同等」ぐらいに引き上げられると予想しますが、さてどうなるでしょう。