戦国武将総選挙で「上杉謙信が2位」でした。武田信玄は7位です。
謙信を主人公にして圧倒的に人気のあるマンガでもあるのかなと思ったのですが、そうでもないようです。ただし「雪花の虎」という作品はあるようです。謙信女性説に基づくみたいです。
順位をみると「大河ドラマの影響が強い」ことが分かります。あまり描かれない島津とか長曾我部は20位以内に登場しません。一方、上杉景勝が20位です。真田丸の影響でしょう。
上杉謙信は60年代に「天と地と」で、「一回だけ主人公に」なりました。これは映像がほぼ残っていないので、この作品の影響は大きくはないでしょう。ただし「天と地と」は小説としては読まれていますし、映画にもなりました。海音寺さんです。
その後80年代の終わりに「武田信玄」で準主役となります。柴田恭兵さんでした。
しかし「2位になった理由」としては、何と言っても「風林火山」のガクトさん。そして「天地人」の阿部寛さんの影響が大きいでしょう。とにかくカッコいいのです。
大河「風林火山」をどう評価すべきなのか。「昔の大河ドラマ」を意識して作られています。コメディ要素やホームドラマ要素はかなり減っています。主人公は山本勘助でカッコよくない。最後のほうは隻眼の上に丸禿で、まるで丹下段平のようです。
「シリアスな作り」は評価すべきなのかなと思います。ちなみに武田信玄もカッコよくない。そういう中にあってガクト上杉謙信だけが圧倒的にカッコいいのです。僧形にもなりません。ずっと長い髪です。
阿部寛謙信はラオウのごとき勇者です。ガクトさんとはだいぶ違いますが、軍神そのもので、やはりカッコいい。
その大河の影響に加えて、「公平や義を重んじる」というコンプライアンス遵守の姿勢が、現代に受け入れられているのかも知れません。さらに「あの織田信長に手取川で勝った」ことになっている影響もあるかも知れません。これはたぶん「勝ってはいない」のですが。
ここ以下は蛇足、今までも蛇足みたいなもんですが。
小説の方の「天地人」の冒頭で、直江兼続が「川中島は無駄だった」と思うシーンが出てきます。越後の龍と甲斐の虎が争っている間に、天下は織田のものになってしまったではないか、と考えるわけです。徳川幕府のもとで、家康の終生のライバルだった武田信玄は、その実力がデフォルメされ、信玄のライバルだった謙信もデフォルメされます。織田は、浅井とか朝倉、六角といった「弱い大名と戦った」から勝ったが、神君家康は「武田信玄や謙信を相手にしてたんだぞ」というわけです。そういうカラクリを知ってしまうと、どうもごく普通の感覚で「信玄や謙信をあがめる」気持ちにならなくなります。
謙信は領土拡大の野心を持たなかったと言いますが、これも実に怪しい。「持たなかった」のではなく、それほどの権力がないために「持てなかった」のではと思います。つまり国人の領土安堵が精一杯で、自らの領土するほどの権力は持っていなかったのでは。
このあたり、各学者さんはどういっているのか。少し勉強したいと思います。
上杉謙信というのは「おもしろそうだな」とは思うのです。軍神で越後を強大な権力でまとめていた、なんてことはないようです。「家臣が争いばかりなので逃げ出した」なんてのは有名なエピソードです。「小田原城を囲んだ」わけですが、これも不思議です。越後にいるのです。それが甲斐を迂回して相模に行く。でも小田原城をおとせません。で引き上げてしまう。味方した関東衆は「ふざけんなよ長尾」と思ったようです。気まぐれなのです。ということで色々「人間的弱点が多い人」で、そこは「おもしろそうだな」と思います。
謙信を主人公にして圧倒的に人気のあるマンガでもあるのかなと思ったのですが、そうでもないようです。ただし「雪花の虎」という作品はあるようです。謙信女性説に基づくみたいです。
順位をみると「大河ドラマの影響が強い」ことが分かります。あまり描かれない島津とか長曾我部は20位以内に登場しません。一方、上杉景勝が20位です。真田丸の影響でしょう。
上杉謙信は60年代に「天と地と」で、「一回だけ主人公に」なりました。これは映像がほぼ残っていないので、この作品の影響は大きくはないでしょう。ただし「天と地と」は小説としては読まれていますし、映画にもなりました。海音寺さんです。
その後80年代の終わりに「武田信玄」で準主役となります。柴田恭兵さんでした。
しかし「2位になった理由」としては、何と言っても「風林火山」のガクトさん。そして「天地人」の阿部寛さんの影響が大きいでしょう。とにかくカッコいいのです。
大河「風林火山」をどう評価すべきなのか。「昔の大河ドラマ」を意識して作られています。コメディ要素やホームドラマ要素はかなり減っています。主人公は山本勘助でカッコよくない。最後のほうは隻眼の上に丸禿で、まるで丹下段平のようです。
「シリアスな作り」は評価すべきなのかなと思います。ちなみに武田信玄もカッコよくない。そういう中にあってガクト上杉謙信だけが圧倒的にカッコいいのです。僧形にもなりません。ずっと長い髪です。
阿部寛謙信はラオウのごとき勇者です。ガクトさんとはだいぶ違いますが、軍神そのもので、やはりカッコいい。
その大河の影響に加えて、「公平や義を重んじる」というコンプライアンス遵守の姿勢が、現代に受け入れられているのかも知れません。さらに「あの織田信長に手取川で勝った」ことになっている影響もあるかも知れません。これはたぶん「勝ってはいない」のですが。
ここ以下は蛇足、今までも蛇足みたいなもんですが。
小説の方の「天地人」の冒頭で、直江兼続が「川中島は無駄だった」と思うシーンが出てきます。越後の龍と甲斐の虎が争っている間に、天下は織田のものになってしまったではないか、と考えるわけです。徳川幕府のもとで、家康の終生のライバルだった武田信玄は、その実力がデフォルメされ、信玄のライバルだった謙信もデフォルメされます。織田は、浅井とか朝倉、六角といった「弱い大名と戦った」から勝ったが、神君家康は「武田信玄や謙信を相手にしてたんだぞ」というわけです。そういうカラクリを知ってしまうと、どうもごく普通の感覚で「信玄や謙信をあがめる」気持ちにならなくなります。
謙信は領土拡大の野心を持たなかったと言いますが、これも実に怪しい。「持たなかった」のではなく、それほどの権力がないために「持てなかった」のではと思います。つまり国人の領土安堵が精一杯で、自らの領土するほどの権力は持っていなかったのでは。
このあたり、各学者さんはどういっているのか。少し勉強したいと思います。
上杉謙信というのは「おもしろそうだな」とは思うのです。軍神で越後を強大な権力でまとめていた、なんてことはないようです。「家臣が争いばかりなので逃げ出した」なんてのは有名なエピソードです。「小田原城を囲んだ」わけですが、これも不思議です。越後にいるのです。それが甲斐を迂回して相模に行く。でも小田原城をおとせません。で引き上げてしまう。味方した関東衆は「ふざけんなよ長尾」と思ったようです。気まぐれなのです。ということで色々「人間的弱点が多い人」で、そこは「おもしろそうだな」と思います。