「鎖国」が教科書からなくなるようです。「幕府の対外政策」とするとか。なんでしょう「幕府の対外政策」ってのは。具体性を欠く分かりにくい言葉です。
そりゃ、家光の時代に鎖国という言葉はない。でも歴史を当時の言葉だけで叙述することなぞできません。そんなこと言うなら、天武天皇(7世紀後半)より下の時代の天皇には「天皇」が使えません。それ以前には、天皇号を「使った証拠」がありません。
話戻って、「鎖国」って言葉は「幕末にはありました」。19世紀のごく初めにはあったようです、当時の武士ってのはそんなに歴史に詳しくないから、幕府が始めたってことを知らない武士も多くいました。
神代の昔から続いていたと思っていた。天皇がはじめたと。そこで「尊王攘夷」となるわけです。やがて開明的な武士の間で「どうやら幕府が始めたらしいぞ」という口コミが広がっていきます。
攘夷は幕府の始めた制度。明治になってかつての志士たち(明治高官)はさっさと「攘夷」は捨てます。実際は幕末時点で捨ててます。幕府が作った仕組みなら捨てても問題ないと考えた、という面も「少しだけ」あるかも知れません。まあ攘夷は途中から討幕の手段(方便)となってましたから、ごく自然と捨てたというのが、ほんとのところでしょうが。
鎖国、実態としては「していた」でしょ、やはり。長崎での貿易は幕府が管理。相手は主に中国それとオランダ、あとは対馬で朝鮮と、薩摩で琉球と、松前藩で今の北海道と。
外国人の上陸はこの4地点以外認めない。貿易も認めない。
これは「鎖国」でありましょう。「幕府の対外政策」では何のことかわからない。少なくとも「幕末時点では」当時の武士たちも「鎖国」という言葉でこの状態を把握していました。
TPP、グローバル化の時代に日本が鎖国してたなんてのは恥ずかしい。そんな国にしたら子供たちの愛国心が育たない、とかなるのでしょうか。
なるわけない。大昔の話です。
昨今の研究成果をふまえて、なんでしょうか。でも出島で貿易してたってことは昔の教科書にも載っています。
なんで鎖国という言葉をそんなに消したいのか。
とにかく、日本史の教科書から鎖国の記述が消えて嬉しい、という方々がいるはずで、まずは「なにが嬉しいのか」から調べてみたいと思います。
そりゃ、家光の時代に鎖国という言葉はない。でも歴史を当時の言葉だけで叙述することなぞできません。そんなこと言うなら、天武天皇(7世紀後半)より下の時代の天皇には「天皇」が使えません。それ以前には、天皇号を「使った証拠」がありません。
話戻って、「鎖国」って言葉は「幕末にはありました」。19世紀のごく初めにはあったようです、当時の武士ってのはそんなに歴史に詳しくないから、幕府が始めたってことを知らない武士も多くいました。
神代の昔から続いていたと思っていた。天皇がはじめたと。そこで「尊王攘夷」となるわけです。やがて開明的な武士の間で「どうやら幕府が始めたらしいぞ」という口コミが広がっていきます。
攘夷は幕府の始めた制度。明治になってかつての志士たち(明治高官)はさっさと「攘夷」は捨てます。実際は幕末時点で捨ててます。幕府が作った仕組みなら捨てても問題ないと考えた、という面も「少しだけ」あるかも知れません。まあ攘夷は途中から討幕の手段(方便)となってましたから、ごく自然と捨てたというのが、ほんとのところでしょうが。
鎖国、実態としては「していた」でしょ、やはり。長崎での貿易は幕府が管理。相手は主に中国それとオランダ、あとは対馬で朝鮮と、薩摩で琉球と、松前藩で今の北海道と。
外国人の上陸はこの4地点以外認めない。貿易も認めない。
これは「鎖国」でありましょう。「幕府の対外政策」では何のことかわからない。少なくとも「幕末時点では」当時の武士たちも「鎖国」という言葉でこの状態を把握していました。
TPP、グローバル化の時代に日本が鎖国してたなんてのは恥ずかしい。そんな国にしたら子供たちの愛国心が育たない、とかなるのでしょうか。
なるわけない。大昔の話です。
昨今の研究成果をふまえて、なんでしょうか。でも出島で貿易してたってことは昔の教科書にも載っています。
なんで鎖国という言葉をそんなに消したいのか。
とにかく、日本史の教科書から鎖国の記述が消えて嬉しい、という方々がいるはずで、まずは「なにが嬉しいのか」から調べてみたいと思います。
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