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聖徳太子の思ひ出

2017年03月11日 | ドラマ
日本の古代、古代って長くて平安も含みますが、もっと古代らしい古代、つまり飛鳥時代への興味が、いつの間にか自分の中で薄くなっているのを感じます。

数年前、奈良に行き、電動アシスト自転車を借り、石舞台とか法隆寺とか、東大寺に行きました。京都より少し面白かったけれど、高校時代のように古代ロマンに酔うなんて心境にはなりませんでした。

かなり前から、聖徳太子はいなかった、厩戸王はいたが、聖徳太子は後世の人々が作り上げた、一種の理想像ということがよく言われていました。

で、教科書でもその方向にいくというか、いかないというか。厩戸王という名前の方に傾いているようです。

「聖徳太子否定にはいかない」と書いたのは、憲法十七条とかはやっぱり聖徳太子(厩戸王)の功績とされているようだからです。

実は小学生の時代、それから中学、高校と、僕は「ちょっとうさんくさいな」と個人的に思っていたのです。

立派すぎる、が理由です。

その上何人もの声を同時に聞き分けたとか、嘘くさい伝説が多い。「空想上の人物だ」と誰に教えられなくとも、そう感じていた「思い出」があります。

日本史の中では最も聖人であるにもかかわらず、天皇(当時は天皇号はない)になる権利は持っているのに、天皇にはならないし、子どもはあっけなく殺されて、太子一族は滅んでしまう。

彼の死後の事実と、聖徳太子の偉さとの間の「つりあい」が実に悪いのです。なんで一族は滅びるのか。小学生の時、本当に疑問でなりませんでした。

教科書にはそこまでの記述はありません。でも学研の「学習」には「山背大兄王が殺され、太子一族は滅んだ」と「さらっと」書いてありました。「え、なんで」と強く思ったのを記憶しています。

さすがに憲法十七条も創作だ、とは子どもだから考えません。でも今なら、後世の創作説を支持するでしょう。証拠は出せないにせよ。

古代大和政権を作り上げたのは立派な人だったんだ、と「そうしたい」方々の心情はよくわかります。

でも「あんまり立派にしてしまうと」、子どもって案外鋭いのでうそに気が付いてしまう。少なくとも僕は子供のころ「架空の人物に違いない」と思っていた。

だからあんまり立派にしないほうが、むしろ子どもはきちんと受け止めるかも知れません。



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