音楽の衝撃というものを2回経験しています。まずは井上陽水と吉田拓郎の登場。
陽水、氷の世界「窓の外ではリンゴ売り、声を枯らしてリンゴ売り、きっと誰かがふざけて、リンゴ売りの真似をしているだけなんだろ、、とても醜いあの子をぐっと魅力的な子にしてすぐ消えた」
そもそも「リンゴ売り」ってなんだ?豆腐売り、金魚売り、さお竹売りなら知っています。リンゴ売りって?そして「とても醜いあの子」という歌詞。
小学生だったと思います。もう何もかもが衝撃でした。
それから拓郎「生きていくのは、ああ、みっともないさ。あいつが死んだ時も、オイラは飲んだくれてた。そうさオイラも罪一人さ、ああ、またあの悲しみを、おきざりにしたまま」(おきざりにした悲しみは)
作詞は拓郎ちゃんではなく、岡本おさみです。襟裳岬も岡本さん。ルームライトも岡本さん。
小学校からの帰り道「みんなで歌って帰った」記憶があります。上記の歌詞を小学生が口ずさんでいたのです。
初期ユーミンも衝撃でしたが、なんというか「美しい」のですね。それに比べると、陽水や拓郎には「凄み」がありました。メロディーも聴いたことない音律でした。
次が1978年、サザンオールスターズ。勝手にシンドバッド。最初はコミックバンド扱いでした。歌を聞いたらもの凄い。衝撃でした。
いま何時?そうねだいたいね、、、の部分。当初は歌詞見てないので、聞き取れないのです。それでいていままでに聴いたこともない音楽。
そして2ndシングル「気分次第で責めないで」、、、途中でなんかセリフが入るのです。今でも分かりません。
「強い子、アミーゴ、○×△□、茅ヶ崎辺りに飛んでった」、、、茅ケ崎辺りに飛んでった、だけは聞き取れました。「いとしのエリー」で「なんか普通」になったのですが、次の「思い過ごしも恋のうち」「C調言葉にご用心」でまた元のサザンに復帰です。熱中しました。
では「その前の時代」に衝撃性のある歌はなかったのかというと、変な歌だなーと思うのはいくつもあります。当時は今のようにパッケージ化された歌、タイアップソングではないから、「はみ出し者」「すね者」が作った歌があったのです。
たとえば「なかしに礼」、、、正統派ですが「石狩挽歌」、、オンボロロ、オンボロボロドという歌詞。これは1975年のようです。「恋の奴隷」「恋のフーガ」、、、。
「知りたくないの」などは正当派そのものですが「あなたの過去」などの「過去」が耳に残るのです。実はこれを巡っては歌手の菅原洋一と「ケンカ」したようです。「カコ」という音は非常に歌いにくく、そんな歌詞などありえないと菅原は言う。でもなかにし礼は譲らない。結局この「過去」でこの歌は大成功します。
それから「老人と子供のポルカ」「フランシーヌの場合」「帰ってきたヨッパライ」「ケメ子の歌」「夜明けのスキャット」「ナオミの夢」「非情のライセンス」「クレージーキャッツの一連の歌」「シンガーソングライター、加山雄三の歌」、、、考えてみると、凄い歌が沢山ありました。
僕がもっと早く生まれていたら「クレージーの歌」や「加山雄三の歌」にも衝撃を受けたと思いますが、なにせ衝撃を感じるには子供過ぎました。ただ「引きつけられた」ことは確かです。
80年代になり、歌は「企業化」され、タイアップ性が強まっていきます。それでも今でも時々「はっとするような歌」があるような気がします。といっても2000年以降の歌はほぼ何も知らないので、具体的には書けません。ぱっと思いつくのは「今夜はブギー・バック」小沢健二、、なんと1994年。25年前です。あと三木道三とか。
最近のランキングをみるとAKB系列ばかり。これは年寄りの小言に過ぎませんが、AKB系が「日本の流行歌を劣化させた」と言いたい気もします。でも実は聴いてないので、確信はありません。
さて話もどって「フランシーヌの場合」
フランシーヌ・ルコントという女性がパリで焼身自殺したことを歌っています。
1969年3月30日、日曜日の朝。パリの路上で30歳の女性が、シンナーを被って焼身自殺した。フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争やナイジェリアの政情に心をいため、自殺した時もビアフラの飢餓の切抜きを持っていたという。また、ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙も書いたこともあるといわれる。
とのことです。ここまで詳しく知ったのは大人になってからです。小学生時代は「ただ、いい歌だ」と思って、子供ながらに聴いていたのです。
「フランシーヌの場合は、あまりにもおバカさん」から始まり「本当のことを言ったらおリコウになれない」「一人ぼっちの世界に残された言葉」と続く。そして「フランシーヌの場合は、わたしにも分かるわ」と共感を示します。「お馬鹿さん」「おリコウになれない」が「わたしにも分かるわ」となるのです。僕は小学校低学年でしたが、「異様な魅力」をこの歌詞に感じました。むろん「背景」など知りません。
岡本太郎ではないけど「なんだこれは」という歌。そういう歌が今でも実は作られているなら、個人的見解では、まだまだ日本の音楽界にも未来がある。ただし私自身は「最近の歌は全く聴かない」ので、大ヒットでもしない限り、気が付かないとは思います。
陽水、氷の世界「窓の外ではリンゴ売り、声を枯らしてリンゴ売り、きっと誰かがふざけて、リンゴ売りの真似をしているだけなんだろ、、とても醜いあの子をぐっと魅力的な子にしてすぐ消えた」
そもそも「リンゴ売り」ってなんだ?豆腐売り、金魚売り、さお竹売りなら知っています。リンゴ売りって?そして「とても醜いあの子」という歌詞。
小学生だったと思います。もう何もかもが衝撃でした。
それから拓郎「生きていくのは、ああ、みっともないさ。あいつが死んだ時も、オイラは飲んだくれてた。そうさオイラも罪一人さ、ああ、またあの悲しみを、おきざりにしたまま」(おきざりにした悲しみは)
作詞は拓郎ちゃんではなく、岡本おさみです。襟裳岬も岡本さん。ルームライトも岡本さん。
小学校からの帰り道「みんなで歌って帰った」記憶があります。上記の歌詞を小学生が口ずさんでいたのです。
初期ユーミンも衝撃でしたが、なんというか「美しい」のですね。それに比べると、陽水や拓郎には「凄み」がありました。メロディーも聴いたことない音律でした。
次が1978年、サザンオールスターズ。勝手にシンドバッド。最初はコミックバンド扱いでした。歌を聞いたらもの凄い。衝撃でした。
いま何時?そうねだいたいね、、、の部分。当初は歌詞見てないので、聞き取れないのです。それでいていままでに聴いたこともない音楽。
そして2ndシングル「気分次第で責めないで」、、、途中でなんかセリフが入るのです。今でも分かりません。
「強い子、アミーゴ、○×△□、茅ヶ崎辺りに飛んでった」、、、茅ケ崎辺りに飛んでった、だけは聞き取れました。「いとしのエリー」で「なんか普通」になったのですが、次の「思い過ごしも恋のうち」「C調言葉にご用心」でまた元のサザンに復帰です。熱中しました。
では「その前の時代」に衝撃性のある歌はなかったのかというと、変な歌だなーと思うのはいくつもあります。当時は今のようにパッケージ化された歌、タイアップソングではないから、「はみ出し者」「すね者」が作った歌があったのです。
たとえば「なかしに礼」、、、正統派ですが「石狩挽歌」、、オンボロロ、オンボロボロドという歌詞。これは1975年のようです。「恋の奴隷」「恋のフーガ」、、、。
「知りたくないの」などは正当派そのものですが「あなたの過去」などの「過去」が耳に残るのです。実はこれを巡っては歌手の菅原洋一と「ケンカ」したようです。「カコ」という音は非常に歌いにくく、そんな歌詞などありえないと菅原は言う。でもなかにし礼は譲らない。結局この「過去」でこの歌は大成功します。
それから「老人と子供のポルカ」「フランシーヌの場合」「帰ってきたヨッパライ」「ケメ子の歌」「夜明けのスキャット」「ナオミの夢」「非情のライセンス」「クレージーキャッツの一連の歌」「シンガーソングライター、加山雄三の歌」、、、考えてみると、凄い歌が沢山ありました。
僕がもっと早く生まれていたら「クレージーの歌」や「加山雄三の歌」にも衝撃を受けたと思いますが、なにせ衝撃を感じるには子供過ぎました。ただ「引きつけられた」ことは確かです。
80年代になり、歌は「企業化」され、タイアップ性が強まっていきます。それでも今でも時々「はっとするような歌」があるような気がします。といっても2000年以降の歌はほぼ何も知らないので、具体的には書けません。ぱっと思いつくのは「今夜はブギー・バック」小沢健二、、なんと1994年。25年前です。あと三木道三とか。
最近のランキングをみるとAKB系列ばかり。これは年寄りの小言に過ぎませんが、AKB系が「日本の流行歌を劣化させた」と言いたい気もします。でも実は聴いてないので、確信はありません。
さて話もどって「フランシーヌの場合」
フランシーヌ・ルコントという女性がパリで焼身自殺したことを歌っています。
1969年3月30日、日曜日の朝。パリの路上で30歳の女性が、シンナーを被って焼身自殺した。フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争やナイジェリアの政情に心をいため、自殺した時もビアフラの飢餓の切抜きを持っていたという。また、ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙も書いたこともあるといわれる。
とのことです。ここまで詳しく知ったのは大人になってからです。小学生時代は「ただ、いい歌だ」と思って、子供ながらに聴いていたのです。
「フランシーヌの場合は、あまりにもおバカさん」から始まり「本当のことを言ったらおリコウになれない」「一人ぼっちの世界に残された言葉」と続く。そして「フランシーヌの場合は、わたしにも分かるわ」と共感を示します。「お馬鹿さん」「おリコウになれない」が「わたしにも分かるわ」となるのです。僕は小学校低学年でしたが、「異様な魅力」をこの歌詞に感じました。むろん「背景」など知りません。
岡本太郎ではないけど「なんだこれは」という歌。そういう歌が今でも実は作られているなら、個人的見解では、まだまだ日本の音楽界にも未来がある。ただし私自身は「最近の歌は全く聴かない」ので、大ヒットでもしない限り、気が付かないとは思います。
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