日本史には「正史」がありません。今に至るまでないような気がします。「昭和史」だって、学者さんによって、とらえ方がだいぶ違います。
今の時点で既に「昭和幻想」が始まっていますが、公害は酷いし差別も酷い、今に比べれば生活水準も低い。「人の心が温かかった」なんてのも「感じ方次第」でしょう。私の感じでは、さほど温かくない。今のほうがよほど温かいと思います。生活苦が多いから、犯罪も多く、特に少年犯罪は今とは比較にならないほど多かった。みんなギリギリで「人に温かく」なんてしてられない時代だったのです。昭和幻想がない私にとって、昭和なんてろくな時代ではない、と思われてなりません。
とにかく日本史には「正史」がありません。記録が非常にあいまい。記録があまりないから、伝頼朝の絵画が実は足利直義の絵だったなんて事態も平気で起こります。源頼朝と足利直義では、時代が150年も違います。こういうことが平気で起こるのです。
ドラマ化という観点からみると、これは「幸い」でありましょう。「正史」「きちんとした記録」がないのだから、どんな「空想」だって小説にできます。正史があってもできますが(韓国のように)、やはりないほうが「自由度」は増すでしょう。
信長は秀吉が殺した。しかも本能寺から外に続く「トンネルをふさいで」殺したってのが「信長の棺」の大前提ですが、こんな「トンデモ説」だって「完全否定はできない」のです。だって資料がないのだから。あ、私は感情としては「完全否定」をしています。「信長の棺」という小説がとんでもなく「つまらない」からです。
「信長は謀略で殺されたのか」という本は、上記のトンデモ説を完全否定していますが、「根拠は主に信長公記」です。「信長公記」なんて「個人のメモ」みたいなもんで、正史でもなんでもありません。繰り返しになりますが、「信長の棺」がいかに「トンデモ」であっても、完全否定は無理なんです。正史も完全に信頼できる資料もほとんどないからです。
「正史」だって嘘はあるだろう。まあ、そういう反論もあるでしょう。でも普通の歴史書や個人の日記、メモ、手紙類に比べれば、信頼度は格段に上であることは間違いありません。嘘がないようにチェックする体制のもとで書かれているわけですから。たとえ「王」でも原則的には「正史」に手出しはできません。もちろん「正史にも嘘」はあります。でも「少ない」ことは確かでしょう。
正史がなくて幸いだった。ドラマ好きにとってはそうなると思います。
日本の「正史らしきもの」は日本書紀から始まります。8世紀の初めですね。天武天皇の時代です。日本書紀には「天皇」が沢山でてきます。しかし日本で最初に天皇号が使われたのは天武天皇からで、これはほぼ間違いないようです。少なくとも天武以前には天皇号を持った存在はいません。でも日本書紀には天皇が沢山でてきます。
日本書紀の場合「嘘と誠が混在」してますから、ややこしいみたいですが、「正史」とはとても言えません。
そのあとも「正史らしきもの」は多く作られましたが、みな「嘘と誠が混在」したものです。
鎌倉時代には「吾妻鏡」があります。鎌倉幕府に「都合がいい歴史」が色々書かれています。誠も多いが嘘も多い、のがこの本です。
江戸時代には「徳川実記」とか水戸の「大日本史」。「嘘ばっかり」ではないですが、「本当ばっかり」でもない著作です。
室町時代には「神皇正統記」とか「鏡がつく本」とか「太平記」とか。あと江戸時代に書かれた「後鑑」などがあるようです。「後鑑」ってのは知りませんでした。何が書かれているのだろう。
まあみんな正史とは言えない本ばかりで、だから「日記」「手紙」「公文書」などが日本史では重視されます。
でも「日記」や「手紙」なんてのは資料と言えるかどうか。私なんて日記(正確にはブログ)にうそを書くことがあります。頭から信じていいとは思えません。「公文書」も怪しいもんです。「たてまえ」が書かれていますから。
日本史には正史もないし、完全に信用できる文書も少ない。だからドラマや小説の「自由度」は非常に高い。
だからこそ逆に大河ドラマ等では「リアリティ」が問われます。嘘は書いてもいい。でも「本当っぱく嘘をついて」欲しい、と思います。あまりに「トンデモ」だと、見る気が失せてしまいます。
本能寺の下の「トンネル」なんてのは論外ですが、「平清盛と源義朝は友情で結ばれていた」とか「13代将軍家定は愚人のふりをしていた」とか「秀吉と淀の関係は実は素晴らしい純愛だった」とか、本当、いい加減にしろ、という感じがしてなりません。
「信玄と謙信の一騎打ちだって嘘だろう」って反論もあるでしょう。まあその通りです。でもこれには「嘘として歴史の古さ」「嘘としての年輪」があります。だから嘘と分かっていても「リアリティ」を感じることができるのです。
嘘はかまいません。でももっと「本当らしい嘘」をついて欲しいものです。
今の時点で既に「昭和幻想」が始まっていますが、公害は酷いし差別も酷い、今に比べれば生活水準も低い。「人の心が温かかった」なんてのも「感じ方次第」でしょう。私の感じでは、さほど温かくない。今のほうがよほど温かいと思います。生活苦が多いから、犯罪も多く、特に少年犯罪は今とは比較にならないほど多かった。みんなギリギリで「人に温かく」なんてしてられない時代だったのです。昭和幻想がない私にとって、昭和なんてろくな時代ではない、と思われてなりません。
とにかく日本史には「正史」がありません。記録が非常にあいまい。記録があまりないから、伝頼朝の絵画が実は足利直義の絵だったなんて事態も平気で起こります。源頼朝と足利直義では、時代が150年も違います。こういうことが平気で起こるのです。
ドラマ化という観点からみると、これは「幸い」でありましょう。「正史」「きちんとした記録」がないのだから、どんな「空想」だって小説にできます。正史があってもできますが(韓国のように)、やはりないほうが「自由度」は増すでしょう。
信長は秀吉が殺した。しかも本能寺から外に続く「トンネルをふさいで」殺したってのが「信長の棺」の大前提ですが、こんな「トンデモ説」だって「完全否定はできない」のです。だって資料がないのだから。あ、私は感情としては「完全否定」をしています。「信長の棺」という小説がとんでもなく「つまらない」からです。
「信長は謀略で殺されたのか」という本は、上記のトンデモ説を完全否定していますが、「根拠は主に信長公記」です。「信長公記」なんて「個人のメモ」みたいなもんで、正史でもなんでもありません。繰り返しになりますが、「信長の棺」がいかに「トンデモ」であっても、完全否定は無理なんです。正史も完全に信頼できる資料もほとんどないからです。
「正史」だって嘘はあるだろう。まあ、そういう反論もあるでしょう。でも普通の歴史書や個人の日記、メモ、手紙類に比べれば、信頼度は格段に上であることは間違いありません。嘘がないようにチェックする体制のもとで書かれているわけですから。たとえ「王」でも原則的には「正史」に手出しはできません。もちろん「正史にも嘘」はあります。でも「少ない」ことは確かでしょう。
正史がなくて幸いだった。ドラマ好きにとってはそうなると思います。
日本の「正史らしきもの」は日本書紀から始まります。8世紀の初めですね。天武天皇の時代です。日本書紀には「天皇」が沢山でてきます。しかし日本で最初に天皇号が使われたのは天武天皇からで、これはほぼ間違いないようです。少なくとも天武以前には天皇号を持った存在はいません。でも日本書紀には天皇が沢山でてきます。
日本書紀の場合「嘘と誠が混在」してますから、ややこしいみたいですが、「正史」とはとても言えません。
そのあとも「正史らしきもの」は多く作られましたが、みな「嘘と誠が混在」したものです。
鎌倉時代には「吾妻鏡」があります。鎌倉幕府に「都合がいい歴史」が色々書かれています。誠も多いが嘘も多い、のがこの本です。
江戸時代には「徳川実記」とか水戸の「大日本史」。「嘘ばっかり」ではないですが、「本当ばっかり」でもない著作です。
室町時代には「神皇正統記」とか「鏡がつく本」とか「太平記」とか。あと江戸時代に書かれた「後鑑」などがあるようです。「後鑑」ってのは知りませんでした。何が書かれているのだろう。
まあみんな正史とは言えない本ばかりで、だから「日記」「手紙」「公文書」などが日本史では重視されます。
でも「日記」や「手紙」なんてのは資料と言えるかどうか。私なんて日記(正確にはブログ)にうそを書くことがあります。頭から信じていいとは思えません。「公文書」も怪しいもんです。「たてまえ」が書かれていますから。
日本史には正史もないし、完全に信用できる文書も少ない。だからドラマや小説の「自由度」は非常に高い。
だからこそ逆に大河ドラマ等では「リアリティ」が問われます。嘘は書いてもいい。でも「本当っぱく嘘をついて」欲しい、と思います。あまりに「トンデモ」だと、見る気が失せてしまいます。
本能寺の下の「トンネル」なんてのは論外ですが、「平清盛と源義朝は友情で結ばれていた」とか「13代将軍家定は愚人のふりをしていた」とか「秀吉と淀の関係は実は素晴らしい純愛だった」とか、本当、いい加減にしろ、という感じがしてなりません。
「信玄と謙信の一騎打ちだって嘘だろう」って反論もあるでしょう。まあその通りです。でもこれには「嘘として歴史の古さ」「嘘としての年輪」があります。だから嘘と分かっていても「リアリティ」を感じることができるのです。
嘘はかまいません。でももっと「本当らしい嘘」をついて欲しいものです。
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