散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

西郷どん・新しき国へ・いきなり登場した山縣有朋とは何者か・山縣有朋と帝国主義の時代

2018年11月04日 | ドラマ
「西郷どん」の感想ではありません。いきなり登場してきた「山縣有朋」についてです。

長州出身・奇兵隊を率いる・明治になって陸軍卿・兵制改革を行う・総理大臣も経験・公爵となる・文字通りの日本のドンとなる・もらった勲章数知れず・でも国民には全く人気がなかった。

山県有朋は「日本軍閥の祖」なんて有難くない名前をちょうだいしながら、当時も、昭和時代も、そして今も、「全く人気がない」人間です。葬式は国葬だったが、参列する人民はほとんどいなかった、というのもどうやら事実のようです。

森鴎外の「舞姫」に出てくる「天方伯」のモデルとして、文学部系の学生の間ではちょっとぐらいは有名です。

むろんNHKの「八重の桜」にも「坂の上の雲」にも出ていました。「明治陸軍のドン」なのですから当然です。古くは西田敏行さんがその若い頃を演じました。あの山県はなかなかよい、です。でも全然人気がない。トホホ。

若い頃は山県狂介と名乗り、奇兵隊を足場にして活動しました。狂介と名乗ったのは、「なかなか狂うことができない」たちだからです。慎重の上にも慎重。高杉から「みそ徳利」(動かない。出ないことへのからかいです)と呼ばれていたようです。

ボロクソに言われてきた山県ですが、近頃、「彼はアジア主義者の側面を持っていた」という人がいます。アジア主義とはここでは、「清国、朝鮮国、日本」が共に近代化しかつ連携し、「欧米列強に対峙する」という意味です。

これは明治政府の要職にいたものなら、誰でも多かれ少なかれ持っていた考えで、山県有朋にも当然そういう側面はあったでしょう。勝海舟も福沢諭吉もそれを夢想していました。そして伊藤博文はやや多量に、山県はやや少なめに、この考えを持っていたと思います。(詳しくは書きませんが、脱亜論は福沢の失望感の裏返しです)

「いまさら言うべきことでもないかな」と思うのです。

しかし、ウィキペディアの山県の解説をみて、ちょっと驚くというか、不謹慎にも笑ってしまいました。

以下引用です。

また有馬は明治末期から山縣の死の前後まで「否定の対象」として語られていた山縣が、大正11年の死から昭和戦前期にかけて「否定の対象としても忘れ去られ」、第二次大戦後の軍国主義批判のなかで批判的にとらえられ、「軍国主義者」「帝国主義者」「反動」「ファシスト的」「巨魁山縣有朋」など著しくマイナスの評価を与えられ続けたと指摘する。
しかし近年、イデオロギー的文脈から切り離した山縣の実像に迫る分析がジョージ・アキタ、伊藤隆らにより試みられている。そこからは、下関戦争や三国干渉の苦い経験を経て列強への警戒感をもち続け、欧米人対アジア人の「人種戦争」を憂慮する「日中提携論者」であり、アメリカとも対立すべきでないと説く「外交的にきわめて慎重な姿勢をとり続けた政治家という、従来の軍国主義的人物像とは異なる山縣の姿が浮かび上がる。

笑ったのは「否定の対象としても忘れ去られ」の部分。つくづく嫌われ者だと思います。(もっとも坂本龍馬だって明治16年までは、完全に忘れられていましたが)

山県は風雅を好みましたが、政治的には一貫して慎重派であり、リアリスト(現実主義者)でした。だいたい「山県はファシスト的」とか聞いたことがありません。学者さんだけの世界の話ではないでしょうか。

上記の文では「軍国主義者」「帝国主義者」と言葉が並んでいます。
「軍国主義者」という言葉のイメージはたぶん受け手によって全然違うでしょうが、どうやらジョージさんたちは「盲目的国粋主義者ではなかった」と言いたいようです。「みそ徳利の山県」が、そんな人間でないのは当然です。そんな人間なら、今でも同じような傾向を持つ一部の人限定で、もっと人気がでています。

彼はリアリストです。当時の「リアル」は「帝国主義」です。だから彼は現実を分析し、「日本の必要」に応じて「帝国主義的な」行動をとったのでしょう。帝国主義者ではなかったかも知れませんが、現実が彼に帝国主義的な人間であることを要求したのです。むろん「やりすぎ」ました。そして人間に対して公平でもなかった。汚職で逮捕されかけたこともあります。

全てが時代のせい、とは言いません。帝国主義の時代と彼の資質が、ある種の化学反応を起こして合体し、「あの嫌われ者の山縣」が出来上がったのだと思います。

「西郷どん」第41話感想・「新しき国へ」・山縣有朋の登場・明治帝は天子様?・どこまでも優しい久光

2018年11月04日 | ドラマ
「西郷どん」、本日の放送、「新しき国へ」

相変わらず、歴史上の重要な出来事が「さらー」と薄っぺらく流れていきます。あれじゃあ中学生が見たら、どうつながるのか全然わからないでしょう。

ます岩倉使節団のことが取り上げられます。岩倉使節団のことなら、もっと描くことはあるだろうに、「天子様」(ナレーションでも天子様と言っていた。)のミコトノリのシーンにやたらと時間をかけて、しかも桂小五郎がお声を聞いただけで「泣いたり」してました。「終戦の御前会議の様子」みたいでした。なんなんだろ。幕末においては志士は天皇を「玉」(ぎょく)と呼んでいました。明治になっても桐野(半次郎)などは、「天皇陛下」を「てんのうかいか」と読んで笑われていました。

明治6年、西郷は下野し、多くの薩摩人がそれにつき従って下野します。中将だった半次郎も下野します。中将や少将というのは当時少なく、当然「天皇、天子様が任命した職」だったわけですが、「そんなの関係ねえ」というのが桐野(半次郎)たちの意識でした。

つまり天皇というか天子様?は見捨てられたわけです。

この「痛い体験」が陸軍トップの山縣有朋の「危機感」につながります。彼が中心となり、西南戦争直後の明治11年には軍人訓誡、さらに明治15年には「軍人勅諭」が出されます。

「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」という宣言です。これが「統帥権の独立」につながり、明治期はそれでもそこそこのバランスはとれていたのですが、昭和になって「政府は軍隊の軍事行動には干渉できない」という悲劇的な状態が生じてしまいます。昭和8年段階までには、日本には「総理」「軍令部総長」(海軍)、「参謀総長」(陸軍)という3つの権力がバラバラの状態で存在することになりました。しかも宮廷勢力という第4の勢力もありました。大きな権力が3つもしくは4つもあるのです。「国のかじとりが少なくとも3人」。それでは国がまともな方向に行くわけがありません。

「極東軍事裁判」の被告は「共同謀議」という罪状で裁かれることが多かったのですが、ある被告は「共同謀議とはお恥ずかしい限りだ。政府はこうしろと言い、陸軍はこうすると言い、海軍も同じで、てんでバラバラ。もし共同謀議なんて高度な政治行動がとれていたら、もう少しはまともに戦えたはずだ。」と言っています。

で、なんで山縣有朋の話をしているかというと、ドラマの中で何故か急に半次郎が山縣有朋に「キレている」シーンが登場するからです。「いきなり」です。「翔ぶが如く」でもこのシーンはありましたが、「キテて」はいません。半次郎だって一応は中将です。篠原らと「問い詰め」に行ったのです。怒ってはいました。話題は汚職ではなく、国民皆兵でした。様々な布石があって、半次郎たちが山縣を追い詰めるシーンが登場するのです。「いきなりキレている」なんて「下品なシーン、漫画みたいなシーン」は登場しません。なおこの昔の大河では山縣有朋は役所の部屋の奥に隠れており、対応するのは緒方直人さん演じる西郷従道でした。

たしかこんな感じ。
桐野(半次郎)「信吾どん。百姓を軍人にして、武士の誇りを奪うような真似をしたら、たとえ大西郷の弟であっても、オイは許さん。」
信吾(西郷従道)(ご意見は一応聞きましたよと流す感じで)「おやっとうさんでした」(お疲れ様でした。さっさと帰れ、兵制改革に逆らうならオイも桐野を許さんという意味)

桐野と従道がそれぞれの「つわもののの信念」をかけて、バチバチと対峙する緊張感溢れる名シーンでした。西郷どんの「キレた暴走族の若者」のような桐野とは全く違います。

話を山縣と天皇、天子様?に戻すと、山縣有朋はその後も「あの手この手で天皇を飾って」いきます。「荘厳で重々しく近寄りがたい天子様」に仕上げていくのです。

つまり山縣有朋というのは「昭和につながるその後の日本の歴史を決定づけた男」です。天皇を「現人神にした人間だ」と言ってもさほど間違いではないでしょう。なるほど、今回描かれたように、明治5年には大規模な汚職事件も起こしています。それでも「軍制改革ができるのは山縣有朋しかいない」ということで、彼は陸軍のトップに座り続けます。参議であった西郷もそれを支持しました。ちなみに「兵制改革」における彼の部下は西郷従道でした。

韓国では伊藤博文が大層な悪者ですが、韓国に方は責めるなら伊藤より山縣有朋を責めるべきだと思います。なんと大正11年まで生き、陸軍の、というより文字通りの「日本のドン」として軍隊にも政界にも強烈な影響力を持ち続けます。松下村塾出身者では伊藤博文とならんで、もっとも権力を持った人間です。しかもその権力を思うままに使った人間でもあります。森鴎外の「舞姫」の中に天方伯という人物が登場しますが、モデルは山縣です。ちなみに森鴎外は小説家ですが、本業?は軍医です。軍医としても最高の階級まで上りつめています。

山縣有朋の葬儀は「国葬」でしたが、参列する国民はほとんどいなかったと言われています。調べてみると、どうやら都市伝説ではなく事実のようです。とにかく嫌われていました。

でも山縣有朋がいなければ兵制改革(国民皆兵)はできなかったのです。なぜなら長州の大物である村田蔵六(大村益次郎、こぶ平ちゃんが演じていた)は、薩摩の海江田がはなった刺客によって既に暗殺されていました。残ったのは大村の弟子である山田顕義です。山田顕義にも兵制改革はできたでしょう。しかし彼は岩倉使節団の一員なのでこの当時日本にいません。しかも少し年上である山縣有朋とは全く「そり」があいません。山田顕義は司法省に転身し、やがて法律の学校を作ります。それが今の「日本大学」です。

なんだか「西郷どん」のことより、山縣のことが中心になっています。まだまだ書きたい内容はありますが、やめます。

ドラマ後半はなんと「久光が西郷を励まし」、「やれるところまでとことんやれ、それでだめなら薩摩に帰ってこい」とか言ってました。なんでそうなるのだろう。「演出上の問題」なんでしょうが、何を演出したいのか、それが分かりません。この段階では久光の西郷に対する怒りは頂点に達していて、三条実美に西郷弾劾状を送りつけたり、西郷の罪状を並べ立てたりしていました。西郷にとって「不忠者」と言われることが「死ぬより辛い」ことだと知りつつ、それを言いづづけたのです。今の主君に対して忠義のない西郷が、斉彬に対して忠義の心を持っていたはずはないとまで言いました。これはもう「早く死ね」と言われているのと同じことです。世の中には演出上の問題としても、ついていいウソとついてはいけないウソがあると思います。
怒りの花火打ったと思ったら、西郷に「がんばれ」。二重人格なのか。このドラマ、そのシーンに合わせて「テキトーにキャラを変える」ものだから、しかもたった1話の中でも変えるものだから、理解できないセリフの連続です。この脚本家は「頭がおかしい、か、天才」です。

朝鮮王朝入門・初期朝鮮・李氏朝鮮・六龍が飛ぶ・龍の涙・大王世宗・根が深い木

2018年11月04日 | ドラマ
初期朝鮮王朝「超入門」です。自分の頭の整理の為に書いています。

1、朝鮮王朝を建国したのは李成桂(りせいけい、イ・ソンゲ)で、それは1392年、日本で言えば室町幕府の成立から60年ほど後である。滅亡は日韓併合の1910年である。

2、朝鮮王朝の基礎を作ったのは李成桂の五男のイ・バンウォン(李芳遠)であり、彼は三代目の王である。

解説
初代のイソンゲという人は、もともとは高麗王朝の将軍で、李氏朝鮮の建国に関してはかなりの「ためらい」も持っていました。建国後は政治の権力そのものは腹心のチョンドジョンが握っていました。彼は決して「ぎらぎらした権力の権化」などではなく、そもそも真面目な学者でありました。王は権威の象徴として君臨し、政治そのものは優秀な宰相が行うべきというのが彼の考えでした。
そこで、王権の強化によって支配すべきとするイ・バンウォンらと対立が起こります。イ・バンウォンは父を軟禁し、皇太子(後継の王、世子)に決まっていた異母弟の八男を惨殺、チョンドジョンらも粛清して、王権を奪取します。王には兄である次男をつけ、その後自分自身が王になりました。

3、イ・バンウォンは次々と外戚(妻の親族)や功臣(有力家臣)を殺し、王権を固める。そして三男イドを四代目の王として即位させた。

4、この4代目の王がイド世宗であり、ハングルのもとを作った人物である。

5、朝鮮には「朝鮮王朝実録」という書物があり、朝鮮王朝のことは「そこそこ正確に」把握することができる。

この時代(朝鮮建国時)を描いた作品としては以下のものがあります。

・龍の涙・・・朝鮮王朝実録に基づいており、かなり写実的。正確に歴史を反映しようとする意図がある。180話以上あって非常に長い。
・大王世宗・・・歴史の流れはそこそこ正しく描いているが、人物のキャラ設定は「ほぼフィクション」である。全ての人物を「立派に」描き過ぎている。
・根が深い木・・・世宗のハングル創生にまつわるミステリーもの。ただし「王権か宰相か」という問題を巡っては、かなりシリアスなセリフが多く登場して、おもしろい。
・六龍が飛ぶ・・・朝鮮建国時の、宰相チョンドジョンと王の五男イ・バンウォンの「親交と決裂、そして戦い」を描く。基本フィクションである。ただし大きな歴史の流れはおさえている。


「麒麟がくる」キャスト一覧・増補版・生没年付き・キャスト予想

2018年11月03日 | ドラマ


最新版はこちらにありますので、最新版をご覧ください。


主人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。信長の親の世代を描く意図、主人公たちの青春時代を描く意図も発表している。従って全体に俳優の年齢が若くなっている。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

主人公・明智光秀関連

明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・吉岡里帆
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
明智牧子(史実では名前不詳、光秀の祖母・京都公家出身、教養が深い)・・・松坂慶子
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・佐藤二郎
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・桐谷美玲
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・新井浩史
細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・草なぎ剛
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー

齋藤道三関連

齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・阿部寛
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・遠藤憲一
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・麻生久美子
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
齋藤義龍(1548-1573 道三の子、実は土岐頼芸の子、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・城田優
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・安田顕
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・小日向文世
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・山田孝之
☆信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・西島秀俊
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
濃姫(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・新垣結衣
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
土田御前(没年1594 信長の母、信長の才能を実は見抜いていた、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・水野美紀
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・中村七之助
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・斎藤工
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明

戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・平岳大(ひらたけひろ、平幹次郎子息、真田丸で武田勝頼を好演)
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・野村萬斎
今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・大泉洋
北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・向井理
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・ムロツヨシ
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。将軍義輝暗殺には関与していない)・・・草刈正雄
足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・中村獅童
足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・松坂桃李
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・高橋一生

最後にお知らせ

言うまでもなく「予想キャスト」です。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。なお、1540年ぐらいからを描くようです。そうなると武田信玄(晴信)ですらまだ19歳です。となると大御所役者ではなく若い俳優となるはずです。つまり全体に若い俳優の起用ということになる。たとえば最初私は織田信秀を「渡辺謙さん」と予想したのですが、もっと若い俳優になると思って「西島秀俊さん」に変えました。

「西郷どん」で鶴瓶師匠(岩倉)が叫ぶ「天子さまー」・孝明天皇暗殺説について

2018年11月03日 | ドラマ
「西郷どん」

どうやったこんな「深みのない薄っぺらい」脚本が書けるのか。「脚本家は頭がおかしいか、天才なのかも知れない」と思って調べたら、中園ミホさんです。

「やまとなでしこ」を書いています。あれは良かった。「ドクターX」も書いている。あれは個人的には嫌いです。頭もおかしくないし、天才でもないようです。じゃあどうやったらこんなひどい脚本が書けるのか。小池真理子先生の原作がさらに凄いのかなー。一生読みませんが。

録画したけど見ていない回があって、さっき見てみたら鶴瓶師匠が、岩倉か、どっちでもいいけど、岩倉が天皇を慕って「天子さまー」と叫んでいました。

なんじゃそりゃ。

もちろん真実ではないでしょうが「孝明天皇暗殺説」は、孝明天皇死後直後から存在しました。「当時の時点」から岩倉は疑われていたようです。昭和になってからは堂々と岩倉が暗殺したという説が出されました。

これはトンデモ説だとしても、史実としても、岩倉は孝明天皇に対して、かなり厳しい批判を「当時から」ビシバシとやっていて、文章にも残っています。

孝明天皇は佐幕派でした。特に会津を信頼していました。岩倉や薩長にとっては面倒な「玉」だったわけです。当時からいわゆる志士たちは天皇を「玉」(ぎょく)と呼んでいました。

あまりに見事なタイミングで崩御し、継いだのはまだ幼い明治帝です。そりゃ暗殺説もでるわけです。ちなみに死因は天然痘と言われています。

「孝明天皇、岩倉暗殺説」がトンデモだとしても、「岩倉ならそれぐらいやりかねない」という見方が当時から存在しました。

そういうことを知っていると、というか幕末にちょっと詳しい人間なら「誰でも知ってます」が、鶴瓶師匠の「天子さまー」はコント以外の何物でもないわけです。

岩倉の話はここまで。

「西郷どん」という題名がよくありませんね。「西郷のみに着目して明治維新と明治政府を描く」ことになるので、どうしても「底の浅い作品」にならざるを得ないのです。
ほとんど意味があるとは思えない「家庭のお話」とかに時間を割くことにもなります。「西郷の家庭」なんて誰が興味を持つのだろう?「糸がどーしたとかこーした」とか本当にどうでもいい話です。
しかも戊辰戦争が終わってからは、西郷は「ほぼ何もやらず」(廃藩置県をしたりしましたが、西郷が主導したわけでない。)、唯一やったことと言えば「西南戦争」ぐらいのものです。
そもそも戊辰戦争だって全ては村田蔵六(大村益次郎)が江戸で指示をしていたわけです。西郷は上級指揮官の一人に過ぎません。

韓国では西郷は「悪人で有名」ですから、たぶん「西郷は何をやった」と言えば韓国の学生なら「征韓論を唱えて、韓国を侵略しようとした」と答えるでしょう。

でも日本では「坂本竜馬は何をやった」にも答えられない学生は多いのです。まして「西郷」なんて。「明治維新で活躍した人」と答えられればいいほうでしょう。

「西郷によって明治維新はなしとげられた」というは「ウソ」になります。「西郷とか桂とか大久保とか龍馬とか大村とか、とにかく多くの人間によって維新はなった」わけです。西郷は何百という人間の「その中のひとり」に過ぎません。それを無理やり「多くは西郷がやった」としようとするものだから、中身のない薄っぺらい脚本にならざるを得ません。

西郷批判ではありません。西郷はたぶんがんばったのでしょう。問題は原作、それから脚本、TV局の「製作意図」です。「意図」があるとはどうしても思えないのですが。

意図があれば、例えば「翔ぶが如く」のように、維新後の西郷を「近代的価値と武士的価値に引き裂かれた悲劇的人間として描く」という「意図」があれば、「維新後の西郷だって」、魅力的な人物として描くことができるのです。

例えば「翔ぶが如く」における西郷下野のシーン。征韓論は決まっていたのですが、最後に天皇の裁可をえる段階になり、三条はあまりの重荷で倒れてしまいます。そこで岩倉が「三条の代理」として参内することになるのですが、岩倉は「自分の意見、つまり征韓論反対意見も述べる」と言います。

それを聞いた西郷、江藤、板垣は岩倉邸に押しかけます。しかし岩倉は命の危険があると知りつつ、断固として征韓論反対の意見を変えず、それを天皇に奏上するといいます。
最後のシーンでは西郷の用心棒である桐野(半次郎)が刀をちらつかせます。しかし岩倉は「そんな刀が怖くて、一国の右大臣がつとまるものか。馬鹿ものが」と中村半次郎を一喝します。

西郷はもうその時には部屋を出ていて、追ってきた江藤新平、板垣退助にこう言います。

「右大臣、岩倉具視、よーくきばった」(根性のある見上げたヤツだという意味)、そしてニコリと笑います。そしてそのまま薩摩に下野するのです。

見どころのあるシーンです。維新後の西郷でもここまで魅力的な人間として描くことは「できる」のです。

史上最高の濃姫・濃姫を演じた女優・史実としての濃姫・そして帰蝶へ

2018年11月03日 | 麒麟がくる
濃姫を演じた女優さんを調べてみると

柴咲コウ・観月ありさ・内田有紀・斉藤由貴・有森也実・和久井映見・綾瀬はるか・菊川怜・中谷美紀・菊池桃子・麻生祐未・藤真利子・松坂慶子・川口春奈

このような女優さんの名が挙がってきます。全てを網羅はしていません。

「史上最高の濃姫」は「人それぞれの感性」ですから、客観的には決められませんが、主観的には「19歳の松坂慶子さんが演じた濃姫」です。作品は大河ドラマ「国盗り物語」。総集編は残っていてDVDで観ることができます。(同率首位がおりまして、それは柴咲コウさんと川口春奈さんです)

若き松坂慶子さんの濃姫は、単に外見的に美しいだけでなく、脚本のおかげで、「人としても美しい濃姫」なのです。むろん外見的にも圧倒的に美しい。今はやや「ぽっちゃり」ですが、当時は若いですからむろん痩せています。

菊池桃子さんの帰蝶は「なんか変」でした。和久井さんの濃姫は後述しますが、これはなかなかでした。藤真利子さんの濃姫もなかなかです。内田さんの濃姫は、ごく普通でした。

一方、「現時点における世間の評価で最高の濃姫」とは誰か。それは「信長協奏曲」の柴咲コウさんでしょう。織田信長俳優でも第一位は「信長協奏曲」の小栗旬さんです。小栗旬・柴咲コウの組み合わせが現時点における「最強」なのです。特に若い人にとっては濃姫は「濃姫ではなく帰蝶」であり、帰蝶とはつまり柴咲コウさんです。

私もこの柴咲コウさんの帰蝶は素晴らしいと思います。気が強く、一方で女性らしく、そして信長を「殿」でも「上様」でもなく「うつけ」と呼びます。お市の方を可愛がっていて「市」と実の妹のように呼びます。お市を市と妹扱いして呼び捨てにする帰蝶は初めて見ました。「信長協奏曲」は素敵な作品です。あんなのファンタジー史劇じゃないかと馬鹿にしてはいけないと思います。

ちなみに「信長協奏曲」では向井理さんが池田恒興を演じます。ドラマの中では「つねちゃん」です。たぶん比較的若い人の間では「恒ちゃん、池田恒興」は有名です。

さて帰蝶。または濃姫。

美濃の斎藤道三と正室小見の方の娘として1535年に誕生しました。やがて織田信長の正室となりますが、信長より年齢は1つ下です。まあ、ほぼ「同学年」です。

「いざとなれば信長を刺せ」と小刀を父から渡され、「あるいはこれは父上様を刺す刃になるかも知れませぬ」と応じる。これが名シーンでありましょう。

父の道三は「それでこそ、この道三の娘である」と笑い、濃姫を褒めます。

ドラマでは「だいたい本能寺で信長とともに死ぬ」と設定されます。だいたいです。ちなみに「信長協奏曲」ではかなり後年まで家康の保護を得て生き残ります。

大河「信長 KING OF ZIPANGU」ってのは「ちょっと変な作品」でした。濃姫は菊池桃子さんで、途中から「堺」へ行って別居してました。その後病気になります。「信長 KING OF ZIPANGU」は、平幹次郎さんを除いて「俳優の言葉遣いが全部同じ」で「俳優の個性を見事に殺して」いました。そのことがなければ、それなりに面白い作品なんですが。

史実としては「わからない」ようです。そもそも本名もよく分からない。「帰蝶」で定着してますが、「よくわからない」ようです。本能寺で死んだという確かな証拠もありません。その前に離縁していたとか、本能寺後も生存していたとか「諸説いろいろ」です。女性はよく分からない。ちなみに明智光秀の奥さんは妻木煕子となっていますが、これも本当は違います。よく分からないのです。

帰蝶が、もし本能寺で死んでいたなら、信長との関係がどうあれ一応正室ですから、秀吉が信長とともに派手に葬ったでしょう。でもそんな記録はありません。

小説・ドラマにするには「いい人材」です。史実がわからないから、自由自在に設定できます。家康の保護を得て、江戸時代まで生きていても、絶対ウソとは言えないのです。

さて、ドラマにもどります。

以下は加筆なんですが、今「麒麟がくる」では川口春奈さんが演じています。素晴らしい帰蝶です。系統としては柴咲コウさんの系統です。まだ数回しか登場していませんが、今後、どういう人物となっていくか。非常に楽しみです。

さらに加筆します。「非常に楽しみです」と書いたのが1月末なのでしょうか。今は6月で、麒麟がくるは一旦停止状態です。帰蝶はほとんど主役の地位にいます。帰蝶Pとか帰蝶先輩とか言われています。信長のフィクサーですね。妻の支えとかいうレベルではない。美濃の家督問題にまで手を回して、光秀と口論になったりしています。もはや帰蝶といえば川口春奈さんという状態になっています。ここまで凄い描き方をするとは予想もしませんでした。わたしはそもそも川口春奈さんが好きだったので、大満足です。帰蝶には史実はありません。自由に描くことができます。今後の描き方がますます楽しみです。

加筆終わり。

「国盗り物語」の濃姫は、信長とは非常に仲がいいわけです。「そちはここから落ちよ」と言う信長に対して「殿、わたしはここに残ります」と応じます。
それに対する信長の反応が、おもしろい。「止はせぬ、勝手に死ね」と信長は応じます。信長なりの愛情表現です。愛情表現が「勝手に死ね」、実におもしろいと思います。

これが30年以上たった「功名が辻」だと、同じ司馬さんの原作でも、まるで違います。演じたのは和久井映見さんです。

「そちはここから落ちよ」、ここまでは同じです。でも濃姫は戻ってきます。「なぜ戻ってきた」という信長に対し、濃姫はこう応じます。
「あの世でまみえようと仰せられても、殿は地獄、私は極楽。このままでは死に別れでございます」
そもそも濃姫は信長のやり方に大きな疑問をもっていたという設定です。簡単に言えば信長がもうさほど好きではないわけです。でも最期にこのセリフです。なかなか面白いと思います。

最後に映画「信長協奏曲」の帰蝶。元々ドラマの月9枠だったと思います。信長と帰蝶のラブストーリーですが、信長はほぼ教科書通りに行動するので、史実も描かれます。むろん史実じゃない部分もあります。

本能寺から逃げたサブロー信長(実は未来の高校生)、身代わりになって死ぬのは本当の信長(明智光秀として顔を隠して行動しており、役者は信長と同じ小栗旬)です。殺すのは、当時京都にいないはずの「復讐の鬼である秀吉、サル君」です。

サブロー信長は本能寺から逃げ、帰蝶柴咲コウと再会。帰蝶は「どこかに逃げて二人で暮らそう」と言いますが、サブロー信長は「明智光秀、ミッチー」として行動し、秀吉に殺され、そして未来に戻ります。

どうして「明智光秀として山崎の戦いにのぞむ必要があるのか」、ここがどうにも疑問です。映画を見ても解釈ができません。今度またちゃんと見て、考えてみたいと思います。

結論 現時点での最高の「帰蝶」は川口春奈さん、または柴咲コウさん。「濃姫」なら若き日の松坂慶子さん、、です。ご異論はありましょうが、個人的見解です。

「麒麟がくる」キャスト一覧・生没年付き・増補版・キャスト予想

2018年11月03日 | ドラマ
主人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」

これは旧版で最新版はこちらです。

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

主人公・明智光秀関連

明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・吉岡里帆
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
明智牧子(史実では名前不詳、光秀の祖母・京都公家出身、教養が深い)・・・松坂慶子
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・大泉洋
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・広瀬アリス
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・東出昌大
細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・星野源
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー

齋藤道三関連

齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・阿部寛
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐頼芸の家臣となる)・・・遠藤憲一
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の祖母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・麻生久美子
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
齋藤義龍(1548-1573 道三の子、実は土岐頼芸の子、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・城田優
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・安田顕
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・小日向文世
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・山田孝之
☆信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・松田龍平
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
濃姫(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・新垣結衣
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
土田御前(没年1594 信長の母、信長の才能を実は見抜いていた、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・水野美紀
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・中村七之助
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・斎藤工
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明

戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・草刈正雄
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・野村萬斎
今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・ムロツヨシ
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・向井理
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・佐藤隆太
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・市川猿之助
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・キングコング 西野亮廣
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。将軍義輝暗殺には関与していない)・・・草刈正雄
足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・中村獅童
足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・松坂桃李
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・高橋一生

最後にお知らせ

言うまでもなく「予想キャスト」です。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。

「麒麟がくる」の織田信長は「つまらない男」になる?「流行の学説」に従うとNHKが発表。

2018年11月03日 | ドラマ
以下はNHKのHPに載っている文章のコピーです。少し長いですが、引用します。

大河新時代= 最新の研究と新解釈を反映した人物像。
「麒麟がくる」では最新の研究で新たなアプローチがなされ始めている英傑たちの姿を、従来のイメージを覆す新しいキャラクター像として、描いていきます。
私怨により本能寺で信長を討った謀反人のイメージを覆す、勇猛果敢かつ理知的な天才・明智光秀。史料がほとんど残っていない20代の青春時代から描写していきます。
また、革新的な魔王のイメージが強い光秀の主君・織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。
さらに親子二代で美濃をのっとったという説に基づく斎藤道三、反織田勢力を自由自在に操り、室町幕府の再興をなそうとする権謀術数にたけた第15代将軍・足利義昭、ほかにも若く野心にあふれる細川藤孝、松永久秀、今川義元など、一癖もふた癖もある群雄たちが、戦国時代を舞台に、縦横無尽に活躍します。
明智光秀とはいったい何者なのか?
麒麟は一体、どの英雄の頭上に現れるのか…
物語は、本能寺へと向かいます…

以上引用終わり。

「織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。」

「保守的かつ中世的な側面」を「強調」とあるのが気がかりです。「なにも強調しなくてもいいのに」と思います。

織田信長を「どうしても凡人にしたい」「どうしても普通の武将にしたい」という「奇妙な情熱」を持つ人々がいます。学者さんに多いですね。
国民が「ドラマのイメージ」に引っぱられて、信長のカリスマ性に憧れることが「たまらなく嫌」なようで、「史実としては普通の武将だったんだ」ってことを強調します。

そういう学者が1万回ぐらい言うのが「天下とは近畿地方のことだ。天下布武とは近畿地方を掌握することだ」ってセリフです。

聞き飽きました。

「じゃあ、実際の行動として、日本全土を武力制圧しようとした武将がいますか」と聞いてみたいと思います。

答えは「ただ1人、信長だけ、あと本能寺後の秀吉」。よくよく考えてみてください。「本気で天下を狙っていた戦国武将」は他にいるでしょうか。「狙っていたことになっている武将」はいますが、具体的に行動をとった戦国武将は信長以外いません。

信玄の上洛なんてのも、それこそ「近畿の制圧目的」「信長の京からの駆逐目的」であって、日本全土制覇なんて壮大な構想は全然頭になかったでしょう。義昭に頼まれてやっと重い腰をあげた感じです。上杉謙信も最後の最後に少し動きますが、手取川で(たぶん)勝って、越後に引き上げています。いつもの「関東管領」としての謙信の行動パターンです。そもそも天下を狙っていたなら、動く年齢が高すぎます。当時としては老境である50前後で動いても、天下など取れるはずもありません。実際二人とも動くやいなや病死しています。

毛利は中国地方で拡大をやめます。謙信はあくまで関東管領としてふるまいます。信玄の上洛は義昭に強く請われての行動です。北条は「関東の覇者」であること以上の野望は持ちません。それぞれが地方の「管領的立場」以上の行動はとらないようにふるまったのです。

そして「事実として日本全土の武力制圧を考え実際に行動したのは信長しかいない」のです。
信玄も謙信も、浅井も、朝倉も、北条も、むろん毛利も、長曾我部も、そんな行動はとっていません。

「天下は近畿のこと」なんてのは「言葉遊び」で、信長の実際の行動を考えれば、彼のいう「天下」とは「日本全土」です。
こう言い換えてもいい。信長が「天下」という言葉を日本全土という意味にしたのだ、と。言葉の意味なんてあっという間に変わります。現代における「やばい」の用法のように。

さらに奇妙な情熱をもった学者は言います。

「3000丁の鉄砲の三段撃ちなんてなかった」
そりゃなかったでしょう。整然と1000丁ずつ撃つなんて無理です。だいたい3000丁も怪しく、1000丁ぐらいみたいです。

しかし1000丁ほどと考えても、その威力は強力です。

1000丁の火縄銃を各自が「勝手に撃った」とします。そうなると大体200丁分ぐらいの鉄砲玉が間断なく飛び交っていたでしょう。相手は進むことができません。
「武田騎馬軍団なんてなかった」を認めて、徒歩だとすると、余計に前に進めなくなります。
銃弾というのは一発でも相当な心理的圧迫性があるのです。200発が間断なく発射されたら、もう乱射と同じです。竹の束で身を守って、おずおず進むのがやっとでしょう。

つまり「三段撃ちを否定したぐらい」で、学者さんに「ほら、信長は天才ではないでしょ」とか言われても、困るしかありません。

というわけで、学者さんたちの奇妙な説明は、「はいはい、分かりました」という感じです。「奇妙な困った人たちだ」という感じすらします。

信長が完全なる合理主義者じゃないとしても、「義昭追放」だけでも、「延暦寺焼き討ち」だけでも、「大量の鉄砲の実用利用」だけでも、「中世の破壊者」の名を与えられるのは当然だと思います。
批判される前に書いておくと「将軍追放」だけなら三好も松永もしましたし、彼らもまた中世の破壊者的側面を持っていますが、彼らこそまさに「畿内の争奪だけ」をしていた人間です。

一部学者さんは「どうしても信長を凡人に」したくてたまらないようです。それは「つまらない」し、なにより「間違い」です。そういう「つまらない、半ば私憤をこめた学説、珍説」に飛びついて、NHKに「大河新時代」などと誇られても、ただ苦笑あるのみです。ちなみに「財政面、経営面での才覚」ともありますが、そんなの「楽市楽座」でみんな知っています。「副将軍の要請を断って、商業の重要地の支配許可を義昭に申し出た」ことも「みんな知っているし、既に描かれてきた」ことです。「桶狭間の段階で神仏に祈った」(中世的行動をとった)と描いた作品もあります。大河ドラマ「信長」では「加納隋天」という「吉祥占い師」(平幹次郎)が登場し、いつも信長の傍で天運を占っています。26年前の大河「信長」の段階で既に「中世的側面を持った信長」は描かれているのです。

加納隋天は、本能寺で信長とともに死にますが、最期は信長の「盾」となって、何発鉄砲で撃たれても、数十の矢が体に突き刺さっても、信長切腹の時間稼ぎをするまでは「決して死なない」わけです。明智側も「この世のものではない」と考えてひるみます。「妖怪」ですね。まさに「中世的存在」として登場しているわけです。

ただし中世的側面を描いたことによって、緒方直人さん演じる信長は「多少つまらない男になった」、私はそう感じています。

最後に「人の威を借りる」と、日本史学者、本郷和人さん、NHKによく出てきますが、彼なども「信長を普通の武将にしたい学者の行動には問題がある。」と指摘しています。

「麒麟がくる」 明智光秀の死をもって戦国が終わるという考え方

2018年11月02日 | ドラマ
戦国時代のはじまりについて諸説があります。応仁の乱と言ってしまえば簡単ですが、そうなりません。諸説があるのです。

では「戦国時代の終わり」はいつでしょうか。いくつか説があり「信長が足利義昭を京から追放した1573年。」「足利義昭が秀吉の保護下になり最終的に将軍職を辞した1588年」「大坂城落城の1615年」などです。

では、こんな考え方はどうでしょうか。

「光秀の死とともに、ひとつの時代が終わる。戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代、一介の油商人山崎屋庄九朗が、美濃一国の主、斉藤道三となりえた時代、
尾張のうつけと呼ばれた悪童が、天下の権を握りえた時代、人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代は、ここに終わりをつげる。」

大河ドラマ「国盗り物語」の考え方です。小説の方にはこんな叙述はありません。大河ドラマ「国盗り物語」は「光秀の死をもって戦国時代は終わる」という発想を持って作られました。
つまりは「下克上の時代の終わり」ですね。「下剋上の終わり」とする考え方は同意ができます。

むろん異論はいくつでも出せます。秀吉の天下取りだって下剋上じゃないか、とか。

ただ秀吉の場合は、下剋上の相手がいません。織田信長も信忠も死んでいます。あえて言うなら清須会議で決まった三法師でしょうが、有名な三法師君はその後、豊臣政権下で織田秀信となり、岐阜中納言として他の大名とは別格の扱いを受けます。ただし関が原で西軍だった為に没落。織田秀信自身、秀吉が自分の天下を奪ったとは考えていなかったと思います。

なるほど秀吉は織田家を追い抜きました。しかし織田信孝以外に主だった織田家の人間を殺したりしません。織田信雄も生きのこりますし、織田有楽も生き残ります。市は織田家出身ですが柴田家の人間です。それに市が降伏すれば秀吉は喜んで許したでしょう。

それと、織田家の天下を奪ったというのもおかしな話で、本能寺の時点では織田家は天下をとってはいません。だから、下剋上のイメージが薄いのです。

では徳川の天下簒奪は?徳川は確かに豊臣に臣従しましたが、家格はもともと徳川が上です。徳川も氏素性は頼りないものですが、それでも秀吉よりは上です。

油売りとされた斎藤道三(最近は親子国盗り説が流行しています)が美濃を奪う。

尾張のたわけが「天下をめざす」

つまり「人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代」、それを戦国時代とするなら、光秀の死をもって戦国が終わるという考え方も、成り立つと思います。

「麒麟がくる」はおそらく「光秀の死を持って戦国が終わる。秀吉、徳川の時代は秩序を作る時代であり、もはや近世となっている」という思考で作られるのでしょう。明らかに「国盗り物語」がこの作品の土台となっています。設定がそっくりです。ただし「最近のつまらない学説に従う」そうなので、信長も道三も「かなりつまらない人間」として描かれることでしょう。おそらく、信長が従来の光秀のような人物になり、光秀が従来の信長のような革新的人物になる。つまり「キャラが入れ替わる」と思います。

さて、

「仁政をなす王の前に現れる聖獣である麒麟」が明智光秀の前に現れるというのは、単純に考えるならおかしな話です。王でもないし、自分の領地以外では仁政もしていません。

しかし、よく考えるなら、本能寺の変がなければ、あの秀吉による素早い天下統一はなかったし、秀吉の天下統一がなければ、徳川の平和も来なかったと考えられます。

信長があのまま「敵対勢力殲滅作戦」を続けていたら、あと15年はかかったでしょう。しかも天下統一後も各地で「反乱」も続く。つまり「南北朝時代」のような「悲惨な時代」が到来したとも考えられるのです。

「結果的に」という前提なら、明智光秀は戦国を終わらせ、秩序をもたらした。彼の前に「麒麟」があらわれても、そう考えるなら「理解はできる」発想です。

ただし、ドラマ「明智光秀、神に愛されなかった男」のように、光秀が「自分が討たれ、討った人間によって平和がくる」と「計画して行動」した。そんな設定をされてしまうとしたら「いくらなんでもトンデモでしょ」と苦笑するしかありません。

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2018年11月01日 | ドラマ

最後に「お知らせ」があります。光秀と信長を「盟友」としているのは、NHKがそう設定すると公表しているからです。
加筆版もあります→ここ

主人公 明智光秀関連

明智光秀・・・長谷川博己(早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)1528年生誕
明智煕子(あけちひろこ、光秀の妻)・・・吉岡里帆
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
明智牧子(史実では名前不詳、光秀の祖母・京都公家出身、教養が深い)・・・松坂慶子
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
明智光安(美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・大泉洋
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室)・・・広瀬アリス
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・東出昌大
齋藤利三(光秀腹心の部下、春日局の父)・・・佐々木蔵之介
細川藤孝(細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・星野源
上泉信綱(柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南する、13代将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー

齋藤道三関連

齋藤道三(斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・阿部寛
長井(斎藤)新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐頼芸の家臣となる)・・・遠藤憲一
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の祖母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・麻生久美子
小見の方(おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ10歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・松坂桃李
齋藤義龍(道三の子、実は土岐頼芸の子、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・城田優
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
猪子兵助(いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
土岐頼芸(ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・小日向文世
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

織田信長(初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・山田孝之 1534年生誕
☆信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
織田信秀(信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・渡辺謙
織田信定(清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
濃姫(斎藤帰蝶、信長正室、道三の娘、母は小見の方、叔母である山崎屋いろはと連携し、信長の京都制圧を補佐する、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・新垣結衣
お市(信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
土田御前(信長の母、信長の才能を実は見抜いていた、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・水野美紀
織田信忠(信長の嫡子、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、1547年生誕、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉、1537年生誕)・・・中村七之助
木下寧々(秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・斎藤工
前田まつ(前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(信長小姓、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明

戦国武将・その他
武田信玄(甲斐の戦国大名)・・・中井貴一
上杉謙信(越後の戦国大名)・・・野村萬斎
今川義元(駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・ムロツヨシ
浅井長政(北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・向井理
朝倉義景(あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・ユースケ・サンタマリア
本願寺顕如(一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・市川猿之助
荒木村重(信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・キングコング 西野亮廣
ルイスフロイス(1532年生誕、ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
松永久秀(畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。将軍義輝暗殺には関与していない)・・・稲垣吾郎
足利義輝(足利幕府13代将軍、幕府権力と権威の復活を目指した、のち三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、死の間際まで戦い多くの寄せ手を切り殺した)・・・中村獅童
足利義昭(足利幕府15代、最後の将軍、信長によって将軍に擁立される。のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・妻夫木聡
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
徳川家康(三河遠江の戦国大名)・・・高橋一生

最後にお知らせ

言うまでもなく「予想キャスト」です。見直すとイケメンと美女ばかりです。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。