かへる 東の国探訪記

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美しき泉(3)

2015-07-19 11:47:48 | 旅行
シェーンブルン宮殿は、女帝マリア・テレジアの時代に現在の姿に整備されたと言われている。
夏場に家族とともに過ごす離宮としたそうだ。
11室目からはそれをうかがわせる部屋が並ぶ。

11室目は『マリー・アントワネットの間』と名付けられている。
言うまでもなく、末娘マリア・アントニア(のちのフランス王妃マリー・アントワネット)にちなんだものである。
彼女がまだ小さかった頃、かの神童モーツアルトがこの宮殿で演奏し、プロポーズしたという逸話は有名である。
また、漫画『ベルサイユのばら』にも、嫁入りするマリーの台詞に「美しき泉」というフレーズが出てくる。
マリア・テレジアは、末娘の行く末を案じていたが、その通りになってしまったのは歴史でも明らかである。

次の部屋は『子供部屋』である。
マリア・テレジアは夫フランツ1世との間に16人の子どもをもうけ、そのうち10人が成人している。
この夫妻は、政略結婚の多かった(特にハプスブルク家)当時には珍しく、恋愛結婚である。
マリア・テレジアは初恋を実らせたと言われている。
初めてフランツを見たとき、その時の印象をお付きの侍女たちに嬉しそうに話していたという逸話が残る。
マリア・テレジアの肖像画がふくよかな姿で、座った姿勢ばかりなのは、常に妊娠状態だったからだそうだ。
女帝と言われているが、実際に神聖ローマ皇帝だったのは、夫のフランツ1世であった。
彼女が政治や外交に手腕を発揮している間、夫は財政面で帝国を立て直したそうだ。

『朝食室』(かなり小さい)『黄色のサロン』『バルコニーの間』『鏡の間』と続いて、
有名な部屋の一つ『ローザの間』に入る。
無知なわたしは、部屋がバラ色に塗られているのかと思ったら、違った。
マリア・テレジアが発注した画家ヨーゼフ・ローザの絵が一面に飾られているから、この名前である。
「この古城の絵は何だろう?」と思ったら、ハプスブルク家発祥の地の絵だった。
床と椅子の座面はローズ色ではなくて、真っ赤である。
もちろん、調度品である椅子には腰掛けられないが、
これまで見てきたどの部屋にも隅の方に椅子がある。
たぶん、学芸員の方々がかける椅子だろうと思うが、観光客が座って休んでいる。
室内は石造りのため、ひんやりと涼しいが、観光客でいっぱいでやや暑いと感じる。
これまた各部屋に置いてある扇風機の前にも人が集まっている。
ローザの間から2部屋『第1のローザの小部屋』『第2のローザの小部屋』と続いている。
その南側には『ランタンの間』がある。
王宮もそうだったが、ここシェーンブルン宮殿も、廊下がなく部屋と部屋がつながった構造となっている。
部屋の間のドアを通して次の部屋に行くのは、不便ではなかろうかと庶民のわたしは思ってしまう。