Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
since 2006

6/16入院5日目

2011-06-16 23:38:00 | ノンジャンル
今日は検査でいろいろな事がわかり、今後の道筋をどうするか主治医の先生と話をしました。
また追々お知らせしますね。
元気ですからご心配なく。
(画像は夕食)

退院はやはりちょっと伸びそうで今度の日曜日か月曜日になりそうです。
土日のレッスンは
休講になるクラスの生徒さんにはメールでお知らせいたします。

代講
18日(土)
コミュニティーアリーナ亀有【アネラ講師】

19日(日)
上大岡アグリ
午前クラス【アネラ講師】
午後1クラス【長坂泰代講師】






僕のロック芽生え編その16・大学1年在学時代

2011-06-16 20:06:00 | 僕のロックな話
『アーチーさん』
高校3年の冬休み位からだったろうか、1年上の先輩飯塚さんと親しくなったのは。飯塚さんとは高円寺ジロキチで何度かジョイントさせていただいているアーチーさんの事だ。
新中野のご自宅に大学在学時代は良く遊びに行ったり泊まらせてもらった。中野区のイベントで「オレたちの祭り」というタイトルだったと思うが場所は中野文化センター(今の中野ゼロ小ホールの建物)でのダンスパーティーに飯塚さんが出演する事になって僕も誘われ新中野の松栄楽器店のスタジオ(現スタジオミュージアム)で練習した。
メンバーは良く覚えていないがベースは高校から一緒にバンドやっていた同級生李君、もう一人のギターには飯塚さんの弟さんの同級生のK君、ドラムは加藤君だったかな?
二度目はアマチュア主催のコンサートで、文化センターのホールで、「ラビアル」というバンド名で、ドラムは同級生の新井君、宮川君がパーカッションとボーカルで参加。
あの時はスライの「ハイヤー」とかストーンズの「ホンキートンク・ウイメン」クラプトンの「ハブユーエバーラブザウーマン」「レットイットグロウ」やドゥビーの「ロングトレインランニング」やファンクっぽい曲もやったような気がする。

飯塚さんと趣味が一致していたのは2人ともプロレスファンだった事。兄がプロレスファンだった影響で僕はもともとアントニオ猪木が好きだった。
何せ猪木は世界最強、プロレスはキングオブスポーツと信じていたから。(今でも!笑)
飯塚さんも確か猪木ファンだったと思う。バンドの練習の後はよしふじというお店に行き、ロックやプロレスの話に話を咲かせていた。

【飯塚さん、李君と血気盛んな僕はその後大分時が経ってから某所で武勇伝を行う事になる。(笑)】
※その頃はニューミュージックが台頭してきていた。当時基本的には聴かなかったけど荒井由美の初期のアルバムは確かにいいと思った。
(ひこうき雲、ミスリム、コバルトアワーの3作。あと松任谷由美時代のヴェルヴェットイースターはすごく印象に残っている)

話がそれたが、アーチーさんはバンド活動を継続し今も高円寺ジロキチでブルース歌っているのは素晴らしい事だ。
また機会があればぜひジョイントしたいと思っている。

【この記事はアーチーさんにもご協力い