Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
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僕のロック芽生え編その17・大学1年在学時代2

2011-06-17 13:10:00 | 僕のロックな話
『インターナショナル・プレイヤーズ』
1975年
アーチーさんのバンド活動に参加したのとは別に自分のバンドを作るべくメンバーを探し始めた。
ドラムは高校からの同級生新井君は決まっていた。
ジミヘン、ベック、のギターにクール&ギャングのようなソウルバンドのリズムセクションの構想があった。
だからチョッパーも出来るファンキーなベースプレイヤーが欲しかった。たしかあの時「プレイヤー誌」にメンバー募集を出したと思う。
それで来たか誰かの紹介かは定かではないが、大森君というベース弾きが来た。大森君は180センチを超える長身でロングヘアー。見た感じもベースプレイヤーとして格好良かった。
あの時の僕のヘアスタイルは、ソウルバンド系に傾倒していたので何とパーマリーゼント!
僕の人生の中で一度だけツッパリ系?になった時がこの時だ。兄はツッパリ系だったので喜んでいたが。(笑)
新宿のそっち系が得意な理髪店を教えてくれたのも兄だった。
さすがにアフロヘアーまではしなかったが、大森君は僕のバンドに参加すると決まったらすぐにロンゲをアフロヘアーにしてしまった。
新井君もその後アフロに。
だからかなり見た感じガラの悪いバンドだったのではないか。
心はシラサギのよう、蟻も殺せない位やさしいのに。(笑)
ゆくゆくはアメスクの友達も何人か入れて国際色豊かなバンドにしたいなと思っていた。
三輪にモンドというライブハウスがあり、そこで何回かライブをやらせてもらっていた。
モンドのマスターは音に厳しく、ライブ終わってから我々のような明日を目指すバンドにアドバイスをしていた。
演奏曲はインストのオリジナルと英語で書いたオリジナルを中心、あとはブルース。

今思うと演奏はあら削りて稚拙だったが方向性はいいところにいっていたと思う。まだロックとファンクを融合しようとするバンドはあまりいなかった。
バンドは残念ながら1年足らずで自然消滅してしまった。
原因は僕がその後他のバンドに入団してその練習が忙しくなってしまった事だ。2人には本当に悪い事をしたと思う。