情報学部の下島君が南三陸町でのボランティア活動を行った経験をまとめてくれました。これから、何回かに分けて載せていきますので、ぜひお読みください。
南三陸町でのボランティア活動 その1
五月の終わり、かねてから行こうと考えていた被災地に、二日間の短期ボランティアとして入ることになった。向かったのは南三陸町志津川、リアス式海岸の南に位置する、豊かな港町である。いや、あったというべきか。
半日かけて仙台までたどり着き、三陸道を北上し、国道の峠を越えると、まだ海も見えないうちに川沿いに瓦礫が散らばっていた。やがて、周囲の建物も消え去った。カーナビを見ると、左手には線路と駅があるはずだった。しかしそこには砂利とコンクリの固まりが転がるばかりだ。海沿いに出ると、その痛々しさは増した。
橋はことごとく流され、鉄筋コンクリートの建物は文字通り傾き、大地に沈んでいた。
無残に破壊された水門の横にかけられた仮設の橋を、自衛隊の指示に従って渡り、志津川の街に入る。ある旅行記によると、志津川の街は道が入り組んでいて、迷いやすいとのことであったが、津波に洗われた後は、海から山まで一望できた。信号が無くなっているため、慎重に車を進める。有名な鉄骨だけになった防災庁舎と、四階まで窓ガラスが割れた志津川病院を横目に、ボランティアセンターのある高台のベイサイドアリーナを目指す。
自衛隊車両に混じってベイサイドアリーナに車を入れ、アリーナの中に入ってみた。線香の香りが鼻についた。アリーナの二階は遺体安置所で、身元不明者の特徴を書いた紙が壁に貼ってあった。そこにいた医師に場所を尋ね、ようやくボランティアセンターに到着した。
南三陸町でのボランティア活動 その1
五月の終わり、かねてから行こうと考えていた被災地に、二日間の短期ボランティアとして入ることになった。向かったのは南三陸町志津川、リアス式海岸の南に位置する、豊かな港町である。いや、あったというべきか。
半日かけて仙台までたどり着き、三陸道を北上し、国道の峠を越えると、まだ海も見えないうちに川沿いに瓦礫が散らばっていた。やがて、周囲の建物も消え去った。カーナビを見ると、左手には線路と駅があるはずだった。しかしそこには砂利とコンクリの固まりが転がるばかりだ。海沿いに出ると、その痛々しさは増した。
橋はことごとく流され、鉄筋コンクリートの建物は文字通り傾き、大地に沈んでいた。
無残に破壊された水門の横にかけられた仮設の橋を、自衛隊の指示に従って渡り、志津川の街に入る。ある旅行記によると、志津川の街は道が入り組んでいて、迷いやすいとのことであったが、津波に洗われた後は、海から山まで一望できた。信号が無くなっているため、慎重に車を進める。有名な鉄骨だけになった防災庁舎と、四階まで窓ガラスが割れた志津川病院を横目に、ボランティアセンターのある高台のベイサイドアリーナを目指す。
自衛隊車両に混じってベイサイドアリーナに車を入れ、アリーナの中に入ってみた。線香の香りが鼻についた。アリーナの二階は遺体安置所で、身元不明者の特徴を書いた紙が壁に貼ってあった。そこにいた医師に場所を尋ね、ようやくボランティアセンターに到着した。
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