金石街道の途中に車道をまたぐ鳥居があるというので行って見た。
鳥居を傷まさないため高さ制限のポールが立っている。
このような神社は他にもあったがみんな撤去されている。
どういう訳かこの神社だけ残っている。
高鞆神社(たかともじんじゃ)
謂れ
神武天皇は手に高鞆を負き悪者を平向けたまひし功業の偉大なればとて高大の意義を取りて高鞆と称へたり。―神社庁HPより
大石
大石の謂れが書いてある
字が所々消えていて読めないばかりか旧仮名遣いのため読めても意味が分からないところがある。
大体次のことが書いてあるらしい。
寛永11年加賀藩主前田利常が江戸より帰り金沢城内に庭園を造るため能登より多くの石を採集宮越(金石)まで船で運びそこから金沢城まで陸送した。その中に亀に似た大石があったが運ぶ途中で誤って傷つけてしまった。そのままでは運ぶことが出来ないので、道しるべとしてここ藤江において行った。大正15年6月20日それを土地の人たちが神社に運びこみこみ保存することとなった。
だいたいそういう意味らしい。
小さいので盗難防止なのか床に確りとつないである。