今回の法話会は特別のものであった。県内の西本願寺系のお寺さんの布教大会であった。
特別に気の張ったものでなく、お寺さんが数人集まってご挨拶方々お説教をするというもので多くの人が集まることなくささやかな行事だ。お布施も特に集めるということなくいつも通りの法話会だった。
3人の方がお説教をし、その1番バッターが当寺の副住職のお説法だった。
馴れない副住職は相当緊張している様子だった。
彼のお話の内容は正信偈の一文「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」に付いての話だった。お話の内容についてはひとまず置くとして、面白いことを言われた。今回はその内容をちょっと拝借しよう。
この前、お土産で頂いた上等のお肉があったので、それですき焼きにしようかという話になったが、お肉が少し足りないので私と弟でスーパーに買にいきました。
中位の肉と安価な肉を買ってきてそれを混ぜてすき焼にしました。誰かが味比べをしようじゃないかといったので、それがいいということになった。まず父(住職)が先頭を切って目隠しをして挑戦。ほんの少し小指の爪ほどのお肉を父の口に入れました。どの肉だかわかります?というと父は中位の肉だろうといった。みんな笑った。お父さんは中位の肉でいいのだ。これからお父さんには中位のお肉を食べてもらって上等のお肉は私たちでいただくとしようか。
次に母が目隠しして挑戦しました。父と同じく当てることが出来なかった。次に私が挑戦。2度上等のお肉が続いたのだから3度ということは無かろう、きっと中位のお肉だろうと思った。そう思ったらそれもそれなりにそうかなあと納得がいくものなのですね。それで私は中ぐらいの肉だといった。そしたら弟がよろこんで笑った。そうなのです私のも上等のお肉だったのです。お鍋にはいろんなお肉が入っています、もしかしたら何かの間違いではないかと思いました。でも3人とも上等のお肉だと言うので間違いないでしょう。最後に弟の番です。私たちは弟にもそっと上等の肉を与えました。そしたら弟が見事に当てました。そうなのです4人とも皆上等のお肉だったのです。私は悔しかったね。
人間というものはそんないい加減な物なのですね。自分のことは何もわかっていないくせして分かったようにふるまっています。
仏さまの話は難しくてよく分かりません。でもこんな話が時々飛び出してくるので私はお寺に足を運びます。
数人の僧侶が参加していましたが、皆どことなくほくそ笑んでいました。仏教の話は苦手でもこういう話題は僧侶の間でも受けるようです。
副住職も言っていたが「悪人こそ救われる」という上人のお言葉には私も少しばかり疑問を感じます。1人殺すも100人殺すも一緒と殺人がエスカレートしては困るので上人はそうおっしゃったのだろうとおもう。だけどそういうことで不幸な時代がやってきました。何も難しいことない南無阿弥陀仏の6文字を唱えれば救われるのだと蓮如上人は説いて廻った。それが結果として危ない刃物を腰に差して好き勝手をするごろつきまがいの信者が蔓延ることとなり、結果として戦国という不幸な時代に突入することになったのだと思う。親鸞聖人のいっていることはある一面では正しいと思う。だけどそれがすべてではないのだ。