仕事を抜け出して北國新聞赤羽ホールに向かった。渡辺真知子さんを迎えたガルガン・アンサンブルのコンサートが開かれていたからである。地元の合唱団や声楽家の歌を聴いているうちに、何故か目頭が熱くなった▶年をとったからか。しかし、それだけではない気もする。客席では年輩の紳士も体でリズムをとっていた。渡辺さんの「かもめが翔んだ日」の熱唱で若き日々が蘇ったのだろう。涙を流す人もいたという▶辛いときほど、心が震えるのかもしれない。能登の演奏会では被災者が「すてきな時間でした」と涙を流しながらに声を掛けてくるという。オーケストラ・アンサンブル金沢のアースティック・リーダー、広上淳一さんが本紙連載につづっていた▶奏者の心が「音に乗っていた」とあった。音楽の力が伝わってくる。ジャンルを問わず、心のこもった歌と演奏は魂を揺さぶる。歌い手と演奏の気持ちが正直に出るから、辛さを抱えた人々の琴線(きんせん)に触れるのだろう▶コロナに地震と、災難が続く。ささくれ立った日々に感動がほしい。心ある音楽家の皆さんの出番である。(行燈)
これは今日の新聞の一面下段に載っている囲み記事です。とてもいいことを書いてあるので私は毎日パソコンに転写している。
学校を卒業してからこのコラムを読むようになって性格が変わりました。
今まで考えていたことは何だったろう。と、反省するようになった。
この記事を書いたのは、実は耳が悪い私には音楽はただの雑音にしか聞こえません。音楽を楽しむなんてことはとても出来ません。テレビで音楽番組をやっていても、聞くことはありません。従って、テレビでどんな人が活躍しているのかは全然知りません。
小学6年生の時に大きな病気をして右耳の聴力を失いました。その後、今から10年ほど前に山で竹を燃やしていたところ、竹の節が破裂する大きな音が耳元でして貴重な左耳の聞こえ方が変わりました。テレビから流れてくる音と生の人の声の区別がまるでつかなくなりました。それまで講演など聞きに行く時は必ず録音機を持って出て、その内容を家に帰ってから復習するのに使っていました。それが全く出来なくなりました。カセットテープはただの飾り物となりました。
耳が悪いって言うことは私の人生を台無しにしてしまった。悲しいね。
でもね、その耳がまるで役に立たない人たちも大勢います。そのことを思えば曲がりなりにも人の話を理解できることは喜ばしいことだと、私は自分を自分なりに慰めています。
母がいつも人が嫌みを言ってくるのを聞いて、「フン!貧乏人だと思って人をメトにして・・・」なんていつも言っていたことを思い出します。そんなことは誰でも経験することで、決して人を軽蔑して言っていることでない。
どんなに偉い人でも他人に攻撃されて嫌やめにあっているのです。たとえ総理大臣でも絶えず攻撃されているんですね。
石破首相も今や槍玉にあたって大変つらい思いされているんだと思います。毎日の新聞記事を見てつくづくそう思います。お金持ちでも貧乏人でもそれなりの苦労をしているんですね。
それを自分ばかりいい思いをして。なんて思っていてはいけないんだな、と思うようになりました。
人を攻撃する前にその人の立場を思いやる心の余裕を持って生きなければならないと思うようになりました。
この記事を書く人は本当のところは分かりませんが、その新聞を代表して記事が書ける優秀な新聞記者なのだろう。言わば新聞社の顔なのですね。だから一番目立つところに小さな囲み記事として書いているのです。
いいことを書いてあるので私は文章を綴るのにいい勉強になると思って毎日欠かさず転写しています。