金沢城の石垣
今年の大河ドラマは「八重の桜」ですが、その舞台会津藩から加賀藩に嫁いできたお姫様がいると教わった。
加賀藩第5代藩主綱紀(つなのり)の元へ合津藩主保科正之の二女摩須が嫁いでいる。
逆に加賀藩から会津藩に嫁いだ姫もいた。
第三代藩主前田利常の九女で保科正之の後を継いだ保科正経の元へ嫁ぐ。
加賀藩は徳川家系統から八度も嫁を迎えている。
もう前田家というより、血統は完全に徳川家だ。
加賀藩は100万石の大大名なのに何故潰されなかったのかなんていう人もいるだろうが、これ程血縁関係が確りしていると潰すにつぶせない存在なのだ。
加賀藩14代藩主前田慶寧(よしやす)が勤王よりの政策をとると13代藩主の斉泰(なりやす)にひどく怒られ慶寧に仕えていた多くの藩士が何等かに処分を受けたらしい。中には勤王派に何等関わっていない藩士もいたとか。
斉泰も藩政改革には熱心だったが、奥方が徳川から来ている為か幕府には気兼ねさぜる負えなかったらしい。
斉泰の奥方は徳川11代将軍家斉の21女(溶姫)、どうでもよいような存在だと思うが。
お陰様で加賀藩には優秀な人材が巷にあふれているのに、新政府には殆ど混ぜてはもらえなかった。
まして薩摩に警戒されて、県庁を1年間だけだが石川郡の美川に持っていかれた。そのため金沢県が石川県にされた。高岡地方も金沢県だったのに富山県に持っていかれた。
14代藩主慶寧が一生懸命近代化に勤めたのに新政権から無視された。
会津と同じ様に、加賀前田家も幕末の犠牲者だ。
どんだけ美貌があっても
どんだけ頭脳明晰でも
運・・・・そう"運"が左右してたのよ~
きっとね(*^^*ゞ