今年初の法話会です。3カ月ぶりの法話会というのに何だかそんな感覚がない。
前回の法話会はついこの間だったようなきがする。歳をとったら時間の感覚がマヒしてしまっているようだ。
今回は住職の話だった。能登半島地震のあった後なのでその避難民の話から始まる。
災害が起きると人の本性が分かるという。
親切にしてくれる人、冷たい人。
普段は見向きもしない人がとても親切にしてくれたり、良い人だと思っていた人に裏切られたり。
他所から来た人が親身になって面倒を見てくれたり。
その人がどんな性格の人なのか其時初めて知るってこと。
能登は過疎に悩んでいる。災害が起きても助けてくれる人がいないのだ。まして今回は千年に一度という大きな地震。被害が大きすぎて手が回らない。
能登には被災者を受け入れる施設が足りないので金沢にも多くに人が避難している。
そのため、謡曲教室を開いてくれている施設も能登の人たちに占領されてしまって開けないでいる。4月には教室を再開できるだろうと軽く考えていたが、どうやらまだ当分開けないらしい。「それはそうでしょう。帰っても水もなければ電気も来ない。家も潰れてなくなっている。そんな所にどうやって帰るの」と家内は言う。
今は水も電気も復旧して仮設住宅もどんどんできている。そんな深刻な状態でないんだよと言ってやりたいが、彼女の頭の中はどっかで止まっているらしい。
新潟、富山、石川で被害に遭ったお寺が400ほどあるらしい。「古いお寺もあるからね。と住職が言う。
石川県では圧倒的のお東さんが多いが全国ではお西さ最も最も多いらしくて、1万寺くらいあるらしい。因みに今いる寺は西本願寺系統のお西さん。家はお東さんだが何故か父が世話になっていた寺がこのお寺(お西さん)だったので父の供養にいいかと毎回世話になっている。父は宗派にこだわらない人だった。
いつもラジオ体操している体育館横の広場に仮説トイレが並んでいる。
これも男子トイレ女子トイレと別れている。立派な手洗い場もついている。
女子とトイレは男性トイレの倍ついている。女は贅沢だ。
仮設トイレの下には汚物をためるためのタンクがついているので、利用するにはこの上に上がらなければならない。避難している人は老人が多いのでこのタンクの上に上がるのは大変だと苦情が出たという。
いつも利用している老人施設とその隣にある体育館で100人余りの避難民が生活している。
体育館にも老人福祉施設にも立派なトイレがついている。それにその隣には大きな広場があってそこにもトイレがある。なのに、こんなにトイレが必要なのか。しばらく見ていたが利用している人は見かけなかった。
「老人福祉施設には立派な風呂があってそこを利用できるからいいね」とかないがいう。お陰で毎日のようにこの施設の風呂に通っていた兄は入ることができず、「風呂はどうしているのかな」と家内が心配する。
女子トイレが多いのは需要があるしトイレが近い人が多いからかも(・_・;)