かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

暑かった~

2019-10-01 16:10:56 | ブログ記事

今日は心臓の定期検診日であった。

予約時間は午後だが、

昼食は食べないできてくださいと言われているから、

午前中に生協の配送を受け取ったら出発。

病院は我が家から徒歩15分くらいのところにあるが、

病院の向こうにできた新しいショッピングセンターを見ていこうと思った。

が、これが暑くて、ショッピングセンターに到着したときは大汗をかいていた。

汗をひっこめるため、

新しくできたホームセンターでジュースを飲んで休ませてもらってから

阪急オアシスという食料品ばかりのスーパーを見て回った。

ついでに一角にあったユニクロもざっと見せてもらった。

そうして、やおら病院に向かったのだが、

途中できたばかりの公園を通ったのが、これがまた暑かった。

できたばかりなので、木々も幼木ばかりで陽射しを遮るものがなかったから、

病院に到着したときは、暑さで息も絶え絶えになっていた。

私は、いつも受診の前に採血をしてもらうのだが、

今日の看護師さんは年配の人であったにも関わらず下手で、

右腕に注射針を刺してもなかなか採血できなくて、

焦った看護師さんが注射針をぐりぐり動かしまわるものだから非常に痛かった~。(泣)

でも、あまり痛がると下手な看護師さんが可哀想なので、

「大丈夫ですよ」と言ってあげた。

結局、その看護師さんは採血に失敗して、

別の看護師さんに交替した。

次に採血してくれた看護師さんも、それほど上手な人でもなかったが、

今度は左腕のほうに注射針を刺して、なんとか採血に成功した。

上手な看護師さんに当たったら痛みもあまりなく終わるのだが、たまには、こういうこともある。

血液検査の結果が出てから診察を受けたのだが、

主治医の先生は、

「ワーファリンが効きすぎているから、確かめるため来週また来てください」と。

ワーファリンというのは、血液がさらさら流れるようにするお薬である。

私のように心臓に人工弁を入れている者は

血がどろどろすると弁に血の塊がついて脳梗塞とか心筋梗塞とかを起こすから、

常に血液をさらさらさせておかないといけないのだ。

が、それが過ぎると、また弊害があって、

たとえば、私が大腸癌の手術後、退院してから数日間血尿が出て、

もう少しで死ぬくらい体内の血液が減り気を失って再入院したことも過去にはあった。

私は、最近、身体がしんどくて元気が出なかったが、

ひょっとしたら、このワーファリンの効きすぎで貧血を起こしていたのかもしれない。

とにかく今日は暑くてしんどかったから、病院でも長いすに横になっていたかった。

帰りはタクシーを呼ぼうかと思ったが、

もったいないのと、夕飯のおかずも買わないといけなかったから、また歩いた。

それにしても、私も、いつまでこうして自分で病院に通うことができるだろうか。

今日のようにしんどかったら、もう老人ホームに入ってしまいたい。

夫も、

週に何度かテニスに行くのだったら、

月に一度の私の病院通いは往きだけでも車で送ってくれたらと思うが、

夫自身は健康な人だから、私のしんどさは、たぶんわからないだろう。

ご近所の娘さんは拒食症の後遺症で極端に痩せているから助けてあげたい気持ちが湧くようだが・・・。

瘠せていても、私から見たら、若い分、私より元気そうにも見えるのだけれども・・・。


私の母は霊感の発達した人であった

2019-10-01 06:02:15 | ブログ記事

昨日の記事の続きになるが、

私の母は霊感の発達した人であった。

昨日の記事で書いた、飛行機の中で甥の呼吸が止まったとき、

母には母の両親とか亡くなった人がいっぱい見えたそう。

それでその人達に必死で「孫を連れていかないで」と頼んだら孫(私の甥)は息を吹き返したそう。

これに限らず、母は不可能を可能にするような力が備わっていた。

だからか、どんなことも諦めるということをしない人だった。

私の父が給料を家に入れないで全部自分の小遣いにしてしまうようなことをする人だったから、

母は、自分は生け花で生きていこうと決めた。

それからは生け花の猛勉強をしたのはもちろんだが、

実際に日本生け花三大流派の幹部にまでなって活躍した。

私の実家をビルに建て替えたのも母であった。

それまでは木造の平屋であった。

それを近所の卸問屋の店に貸していた。

が、実家は高知市の中心地にあったから、

母はビルにして自宅兼貸店舗&事務所にすることを思いついたのだった。

建築資金は銀行で借りて、自宅兼貸事務所、貸店舗のビルを建てた。

日本の景気が上向きのときだったから、建てたビルにはよい借り手が見つかり、

銀行で借りたお金は7年で払い終えることができた。

その後、兄が勤めていた会社をやめて自営業に転じてからは、

三階の母の住まいが兄の住まいになり、

母は二階の事務所を自分の住まいと生け花の稽古場にした。

そして一階が兄の店になったが、

銀行の借入金の支払いが終わっていたから、兄にはただで使わせることができた。

その後、実家の隣の店が売りに出されたとき、

兄夫婦は買収して大きなビルに建て替えて貸しビルにする計画を立てた。

が、母は反対した。

理由は、

景気が減速しているから今後はビルの貸事務所、貸店舗は借り手がいなくなると。

世の中は母の言う通りになった。

実際、母の親戚で、かなり大きな商売をしていた家が、

その家のお嫁さんの発案で大きなビルに建て替えたが、

時代の流れで貸事務所、貸店舗は思うような借り手がつかず、

銀行への支払いが滞って、

最後には自宅兼貸店舗貸事務所のビルを手放さなければならなくなった。

こういうふうに、母には先見の明があった。

たぶん世の中の未来が見えていたのだと思う。

母は重い脳梗塞から復活を遂げたし、

死ぬ数年前には

二階の踊り場で足を滑らせて一階まで真っ逆さまに落ちて首の骨を折ったが奇跡的に助かった。

神様からの加護もあったのだろう。

母は決して幸せばかりの人生ではなかったが、

しかし力強く生きていられたのは、

神様からの加護や、こうした霊感によるものであったかもしれない。